「他人には優しくしよう」と「競争相手は叩きのめせ」は全く矛盾してない
最近、MGS2の無線を聴いていた。
それで、ラストらへんに色々正義について語っている会話がある。
当時はこの言葉に言い返せなかったが、この言葉達の詭弁イズムを最近言語化する事ができた。
ので、今回はそれについて書いていきたい。
まず「他人には優しくしよう」と「競争相手は叩きのめせ」の矛盾について。
まず、全然矛盾してない。「他人には優しくしよう」は、社会の中で適用するルール。人間の文明の中で社会で生きる上で、他人には優しくしようというルールが世界の前提にある。
一方で「競争相手は叩きのめせ」はビジネスの世界に適用されるルール。相手を潰す勢いで取り組もうという意味の言葉であって、それはビジネス世界においてのみ適用されるルール。
適用される世界が違うんだから、そもそもこの2つの言葉は全く矛盾していない。「叩きのめせ」とは、実力で上回れという意味であって、他人を傷つけようという加害行為への推奨ではない。
「お前は特別だ」と「成功できる人間が一部」。この理論も、言葉が発せられる背景を考えればわかる。
オリンピック少年のジレンマという概念がある。
オリンピックの100メートル走で金メダルを目指す少年が「僕は金メダルを取れますか?」と目をキラキラさせながら質問してきたとする。
この時、選択肢は2つに分かれる。
「君は特別だ、夢は叶う!」と口にするか。それとも「オリンピックは4年に1回。代表は日本人で3人。短距離走の全盛期は6年ぐらい。オリンピックを逃せば4年後。だからチャンスは多くても2回。それが終わったらただの無職」と口にするか。どちらかになる。
どうだろう。後者の現実をその目をキラキラさせた14歳の少年に言うべきだろうか。かなり怪しい。現実を教えればそれでいいというワケでも無いのだ。
つまり「信じれば夢は叶う」は、現実を語らない無責任さがあるし「どうせ夢は叶わない」というのも、実はこれも一周回って無責任である。
やろうとしている他人にやるなとは絶対に言ってはならないからである。
やろうとしている他人に「やるな」とは絶対に言ってはいけない。
未来の事は誰にもわからないし、そのやめさせた責任も取れないからである。
金メダルは現実的じゃない。
でも、金メダルは現実であり、ウサイン・ボルトはフィクションでは無いのだ。
現実を見せるのも地獄だし、現実を見せないのも地獄だと思う。
だから、どっちかの地獄に連れていくしか無いのだ。つまり。
MGS2はネット社会が「都合の良い真実」を飽和させていると語った。
でも、都合の良い真実しか言えない現状もそこにはある。
じゃあ現実を教えようよと言って前述したように金メダル少年に現実を語る事が正しいとは限らない。
常に我々の言葉というのは「現実と理想」のどっちを口にするかのジレンマにある。ただそれだけの話なのだ。
MGS2のラストの説教無線はそこを批判した。
でも、そう口当たりの良い真実を口にしなきゃいけない背景要素には人間の優しさがある。
それをAIである大佐達は理解できなかった。
・・・という事を最近言語化できた。
ので、スッキリした。とっても良い議題だし、こういう事を2001年に議題にしてくれた小島秀夫には感謝の思いがある。
14歳の頃にPS2で触ってから、この言葉の詭弁性を言語化するまでに、実は16年ぐらいかかった。
ので、すっごく喉につっかえてた骨みたいなのが取れてスッキリした。
やっぱ言語化って楽しいなぁ。と思った今日このごろでした。
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