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8/6

広島に原子爆弾が落とされて今日で78年の月日が経った。
僕はnoteを始めてから、
この日は平和への想い、8/6について伝えられたこと、今の自分の感情を書くようにしている。

1週間前に僕のじいちゃんが82歳の誕生日を迎えた。
「あんまりこの歳になると祝われとうない」
じいちゃんの誕生日だけは毎年毎年というわけではないから僕の記憶にも薄い。
だから、もう82なのかとなった。
ということは、じいちゃんが4歳の時に戦争を経験していたということ。

僕の4歳は幼稚園の裏山で、この山掘れば水晶が出てくるんだ〜、この池カッパが出るんだ〜って遊び呆けていた。

それを思うと、じいちゃん達はどうだったんだろう。
容易に想像できるものじゃない。戦争が終わったからって
すぐに日常が戻ってくるわけでもなく。
失ったものを諦め、壊れたものを修復する時間がしばらくはあったのだろう。

それでもこの街は、日本は終わった、、、
当時そんなことを考えることが大衆の意見でないことは現在の街並みを見れば分かる。

先人の方のおかげ、本当にそう思います。

少し前に連日のように流れていたロシアのウクライナ軍事侵攻のニュースを見てて、じいちゃんに聞かれたことがある。
「かいくん、今戦争行けぇ言われたら行くか?」
僕は行かないそう答えた。
そりゃそうだろ、日本のためになんて到底思えなかったし、それなら行きたい人が行ってくれたらいいだろという気持ちから出た言葉だ。
少し残念そうな表情のじいちゃんを見た。

この文章を書く最中、4年前にカンボジアであった出来事をふと思い出した。

東南アジアを旅する中で、カンボジアのキリングフィールドというところを訪れた。
ポルポト政権下で有益な人材や子供が虐殺された場所。未だに人骨が埋まっている可能性があるらしい。
僕はそこへ仲良くなったカンボジア人と2人で行った。
バイクにニケツし、ガイドも彼がしてくれた。
そんな彼が途中、涙を流していた。
「自分の身内もそういう目にあった。本当はこの現実が突きつけられる場所にいることは苦しい。でも、この国にこういう過去があるということも知ってほしんだ。」
こういうことを話してくれた。
20歳の僕は可哀想だと同情することしかできなかった。
すごい無責任だったと思う。

今思うと、彼とは生まれた国が違えど、目を背けがちな負の歴史というものに向き合い、勉強し、自分だけのものにせず伝えてくれた姿勢に改めて感心する。それだけでなく、歴史を自分ごととして捉えているところや先祖に感謝しているところも学ぶべきところではないかと思う。

そこでさっきの話でいうならば、
「おれは知らない、他の人が頑張ればええ」
だと過去の戦争や、これから起こる戦争(あってはならない)に目を背けることになるのではないのか。
他人事で終わってしまうのではないのか。
彼から学んだことはなんだったのか。となる。
それはちょっとだせぇな。

自国の歴史を知ることが戦争に行く勇気を与える。というわけではなく、
戦争という悲惨なことを2度と起こしてはならないと強く胸に刻むものだと思う。
だから、今度広島市内に行くので資料館小学生ぶりに行ってみようと思う。

今日こうして国のために動いてきた方を改めて思うと、ちっぽけな悩みに忙殺されてる自分が愚かに思えてくる。
国のために戦ってくれた先人に感謝していきたい。

なんたろーに。 黙祷

今年取れたスモモを添えて。

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