詩人たちは自らの体験に対して無恥である。彼らはそれを搾取し尽くす。
ニーチェ-善悪の彼岸

愛情の反対は憎悪ではない。無関心だ。関心がなければ人やものをわざわざ痛めつけたり壊したりはしない。

この世は知りたくないことで出来ていると思う。ふとした瞬間に闇が垣間見えた時、見たくないものが見えた時、誰かが自分の嫌う誰かに重ねて見えた時、当人からではなく他人から信じがたい話を聞いた時などだ。知りたくないことを知った時、知らなければよかったとは思わない。基本的には。ただ例外がある。自分によく思われようとして、とか保身のため、とかで自分に嘘をついていた事を当人以外から知る時。

 軽く失望する。

やはり、何事も先に本気になった方の負けなのだ。

失望が重なって、無関心になる。あの時俺に打ち明けた表情はなんだ?ってなる。その腹の底で何を考えて発言したのだ?気持ち悪い。別に失望する要件はそれだけではないが、そんなこと言う人だと思わなかったとかでも失望はする。積み重なればもちろん無関心になる。0→1も1→100もできたとして、100→0になればもう二度と0→1に戻ることはない。