スポーツをつぶす組織

ちょっと脱線回

全然更新しないのに脱線してみる笑

ということで今回は、、、
ズバリ、高校野球で問題視されている件についてです。
今夏、記念すべき100回大会を大阪桐蔭が下馬評通り優勝した大会を見てて、感動もたくさんもらいました。やはりスポーツはいいものだと思うことが多々ありました。しかし、
体質的に問題点が多すぎる、そんなことを思うばかりでしたので、発信したいと思います。

その中でもふたつのテーマを中心に語ります!!

① 高野連という団体の問題
まずは、高野連という私が嫌いな団体について
なぜ、嫌いになったのかというと、高体連と違う行動を起こす点に尽きます。
野球部だけ世間的に優遇されていること、多くありませんか?と感じることばかりだからです。
なかでも、野球だけ地方予選が平日に試合がある点にずっと納得がいってないです!
それは、高野連が掲げる日本学生野球憲章(注)の内容にも抵触することであり、学校教育・公教育から逸脱したことだと私は思います。

(注)日本学生野球憲章 第2章第8条
野球部の活動は、部員の教育を受ける権利を妨げてはならず、かつ部員の健康を害するものであってはならない。
2 加盟校は、前項の目的を達するために、野球部の活動の時期、時間、場所、内容などについて配慮しなければならない。この場合、原則として1週間につき最低1日は野球部としての活動を行わない日を設ける。
3 学生野球団体は、前2項の目的を達するために、野球部の活動の時期、時間、場所、内容などについて基準を定めるものとする。
4 学生野球団体は、大会を開催するに際して、第1項の目的を達するために、大会の開催時期などに配慮をしなければならない。
引用:http://www.jhbf.or.jp/rule/charter/index.html

夏休みに入る前の7月中は平気で平日に行っていませんか?
これは全くと言っていいほど守られていないですよね?

これと関係することで、もう一つ。
近年選手の身体酷使が話題に挙がることも多いと思いますが、
まず地方大会を休日のみに行えば少なくとも地方大会での疲労蓄積は低減されませんか?
と思います。
私は中高大とバスケットボールを部活動で続けてきましたが、インターハイ予選も毎週末行われており、長期休み以外で平日に試合を行った記憶は大学で数試合だけです。また、地方予選と甲子園大会の間隔が短いと思います。少なくともバスケは6月中に地方大会は終了し、8月頭のインターハイまで1カ月程度の間隔があります。
この差を突き詰めるとやはり運営団体の違いだと思います。このようなことが平気で行われている団体へは不信感しかありません。多くのしがらみがあるにせよ、それらを解決して環境作りをするのが大人の役目なのではありませんか。

だから私は高野連が嫌いです。

② 部活動の教育的観点
先ほども少し触れた、選手の身体酷使について、教育的な観点(一応教員免許状取得しています)からの意見を述べたいと思います。教育、なかでも部活動における教育は難しい問題も多く孕んでいるため、大きな声で大層なことを語っているとは思われたくありませんが、少し言わせていただきたいです。

まず、初めに部活動とスポーツの違いから。
私見ですが、スポーツは結果から語られるべきものであり、部活動という過程に重きを置くものとは根本的に異なり、スポーツは部活動の中では手段でしかないと思います。そして身体の酷使を推奨するわけではありませんが、部活動が教育現場であることから言えば、限界まで取り組むその精神こそがスポーツに留まらない大切なことの一つであり、正直限界まで頑張ることは当たり前のことだと思います。
そのため限界近くまでプレーし続け、結果その後の選手生命が絶たれたとして、それをどう受け止め未来の生き方に活かすかが一番大事であると思っています。もちろん、運動前後のケアやトレーニングなど、予防に繋がることはすべて取り入れていることが大前提ですが、それでも起こってしまうのが怪我だと思います。だから、結果的に怪我をして将来有望な選手が選手生命を絶たれようともしょうがないことだと割り切って考えてほしいし、その過程で自分の身体と向き合えきれなかった(自分で超えてはならない線を見誤った)ことを指導者と一緒に反省してほしいです。それが“教育”を含んだ部活動であると思います。

これらを踏まえた際、選手が「勝ちたい」と思って、目の前のことに全力で取り組んでいることを「後先考えて、未来があるから」と大人が簡単に止めていいものなのでしょうか。

私が好きなバスケットボールのある漫画で似たような話、詞が多くあります。
少し引用します。
「子供達にはやる気がある。今放出しなければもう二度と次はありません」
「あの熱量を体感できる場所はほかのどこにもない」
「人が “もうダメだ” っていう限界ギリギリのラインなんてこんなもんじゃない。こんなもんじゃないんだ」
「今動かずに、いつ動けっていうんだっ」 
etc....

これらから思うことは、子ども達の限界を大人たちが決めてしまうことは、そのスポーツに対する子ども達の熱量をとってしまうことなのではないでしょうか。そしてその熱量というのは学生スポーツの醍醐味であるし、その先の人生の柱になるものではないでしょうか。

もちろん、後先を考えて指導するのが大人の役目ですが、あくまでサポートであってやる気を損なうことをしてはならないと思います。でも、選手は“今”を生きており、“今”の結果がすべてだと思います。“今”を全力に生きた中でもごく限られた一部の選手がプロに進める世界で多くの選手は学生スポーツが結果としてゴールになり、そのあとは趣味などになるのが現実です。その中で、高校までのスポーツ人生の集大成がインターハイであり、甲子園であるからこそ、全力を出し切ってほしいと願っているのです

これらの想いから、医学的・科学的根拠を盾に投球制限などを設けて学生スポーツの先の“プロ”を考えさせることには反対です。自分の身体の限界は自分で限界を経験して初めてわかることです。それを理解するのも部活動の一部ではないでしょうか。
同時にメンタル的な要素が大きく存在するものが部活動です。部活動を通して技術をつけることは結果論であると思うため、技術だけつけたいのであれば、クラブチームに行けと思っています。技術以上に大切な何かを“学ぶ場所”が部活なのです。時代は変わった、精神論だけではないと感じられる方もいらっしゃると思いますが根底はココであるとこに変わりはないと思います。

最後に、あくまで一般的なことを取り上げているので、当てはまらないケースがあることも大いにあります。また、やはりone of them でしかないことをご理解ください。読んでくださった方の何かしらのきっかけになることを祈ります。

お読みいただきありがとうございました。
#高校野球
#スポーツと部活動


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