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※改編版※点と点がつながる日を信じて①(大型自動車第2種免許の取得編)

※お詫び※
 この記事は「一度公開した記事」をテーマごとに分割後、加筆または訂正を行うことで「再編集」することになりました。

なぜ、「大型自動車第2種免許」持ってるの?それは、約10年前の「地方都市移住計画」が始まりであった。

 今の私は「行政書士開業」を目指している。しかし、最大の課題が「個人事業主マインド」への移行であると思っている。


 私は、社会に出てからは「ずっと会社勤め」しかしたことがない。
 会社員として、新卒で入った企業は、残業100時間当たり前の「いわゆるブラック企業」であった。私は会社勤めに疲弊し、一旦は無職となってしまう。
 無職期間に「通関士」試験を受け、合格後に転職した会社には、その後13年勤めることになった。5回の異動を受け入れながら、「このまま、なんとかやれるだろう」と思っていた入社8年目、現実は甘くなかった。

「会社が、吸収により合併されることになりました。現在勤めている方は新会社で雇われる保証はありません」

 辞める人が続出した中、「なんとか生き残る」ことが出来た私であったが、「給料の見える化」を行った新会社勤め5年後に衝撃の事実を知る。

「(合併前を含む13年目の私が)新会社で採用された2年目の人と基本給が一緒だ」

 前職も含め17年で7回の異動。そして、出た答えが「何をやっても上手くいかない」人生。

 この時から、私は「転職人生」を歩んでいくことになる。大型自動車第2種免許を取りに行ったのは「この新会社」を辞める時の「有給消化期間」であった。そして、この話が、今から約10年前の出来事になる。

夢と現実の境界線を引きたい。地方都市での生活を始めてみる。

 この時、考えていたのは「異動がなくて、地方都市で働ける方法はないか?」ということだけだった。つまり「地方都市移住計画」ということになる。今思うと「安易すぎる考え」で上手くいかないのは当然なのだが、それでも「会社勤めしか知らない」私は、そこに望みを繋げたい気持ちであった。

 大型自動車第2種免許取得後は静岡県にある地方都市のバス会社に転職した。
 もちろん「公共交通の厳しさ」は事前情報で把握している。さすがの私も、生半可な気持ちで入るような、そこまでのバカではない。
 地方都市で実際に生活することを経験してみること。そして「夢と現実の境界線」をココで明確にしておきたかった。

 凄まじいほどの「覚悟」で臨んだ「バス運転手」生活は、意外と順調であった。静岡県人の人柄の良さもあり、職場も和やかであった。今で言う「カスハラ」もほとんど経験することなく、逆にお客様からの意見箱の中で「いい運転手さん」として、9回の営業所表彰を受けたほどだ。

 ただ、私の中では「長くは続けられない」と思っていた。とにかく「休みがない」のだ。7勤1休は当たり前、11勤1休をこなす時もあった。
 そして、拘束時間最大13時間59分の、いわゆる「中休勤務」シフトで、寝ても覚めても「バス漬け」の日々。仕事内容は、嘘偽りなく「楽しい」のだが、休みがない生活により「いつか、大きな事故を起こしてしまうのではないか?」という不安があった。

 ただ「夢と現実の境界線」という意味では、十分な成果を得ることができた。

①「地方都市で生活する」ということは、十分に可能である。
②「バス運転手」はとても楽しいが、勤務の仕方をキチンと考えないと、大変なことになる。
③そして、なにより「この生活を実際に行うのは(当時)40歳前半の今ではない。もう少し先でもいい。」  

この後、私は再度転職し、通関士として仕事をすることになる。

そして今、私は「行政書士開業を目指す」シャトルバスドライバーになっている

 この時の「地方都市移住計画」は約10年たった今、「行政書士開業計画」に変わっていた。
 しかし、本質は何も変わらない。「自分で自らの働き方を決めて、自分の意志で住む街を決めたい」のだ。
 静岡の路線バス会社での経験は「シャトルバスドライバー」として、現在「いいトコ取り」をすることになった。ただ年収は半分、なんとか「保険証」を手に入れられている程度だ。
 ここでは、終われない。ただ、確実に「点」が線になってきている予感がある。大型自動車第2種免許も、このような形で活かすことができている。

 「会社員」しかできなかった私が、何かを始めようとしている。

 未来は「明るい」と信じたい。
 

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