忘れられないストレート

お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。
先日までは大雨での災害が多発していましたね。大雨で大変だと思えば、次は猛暑…。やはり我々人間は自然に勝てませんね。笑
さらに、コロナの爆発的感染……。
改めて感染予防等の対策を強めていかないといけません。
みなさまも健康には気をつけてくださいm(_ _)m

さて、今回はタイトルから見てもわかるように野球のお話です。
この話は報道で知っている人も多いかもしれません。
(目立ちたい、利用したいという訳ではなく、僕が抱え込んだ思いをどこかで出したかったからです。)
長文になりますが、是非読んでくれるとありがたいです。

野球を好きになったきっかけ

幼稚園児の頃、連れられて行ったナゴヤドーム。ここから僕の野球好きな人生が始まりました。
その試合から野球を見始め、アライバコンビの守備に魅せられ、森野選手和田選手ブランコ選手といった頼れる打撃陣、頭脳プレーの谷繁選手、死神岩瀬投手、最強のセットアッパー浅尾投手、ワンポイントの三瀬投手小林正投手……
野球を知れば知るほど面白くなり、その時からずっと野球を見続けています。

もうお分かりだと思いますが、地元の球団「中日ドラゴンズ」を応援しています。

語り始めると熱くなりすぎる…笑
それくらい野球、ドラゴンズを愛しています。

悲しい出来事の連続

今年は投手がとても良く、華麗な守備も健在。しかし、昨年までは打てていた打撃陣が沈黙…。
貧打戦ばかりで、投手が好投しても勝てない試合が多くファンの不満も溜まり、ネガティブな発言や誹謗中傷も増えていました。

オープン戦では悲しい出来事もありました。
さらにもっと悲しい出来事がありました。

今回はその出来事について話させてもらおうと思います。

僕が話したいのは木下雄介投手のことです。

野球を知らない方のために下に木下投手の経歴等を描きます。

プロ野球選手になるまで

木下雄介投手はいくつもの困難を乗り越えてきた苦労人でした。
高校時代延長戦の末に敗れ甲子園出場ならず…
進学した大学でも野球を続けていましたが、怪我や大切な人との別れもあり野球への気持ちが薄れ野球から離れてしまいました。

その当時の木下投手の写真がこちら↓

ジムのアルバイトや現場仕事などをしながら生計を立てていました。

しかし、ジムで運命を変える人と出会います。
それが今の奥さんです。
そして奥さんの一言で野球を再開します。

四国アイランドリーグという独立リーグのトライアウトを受け、徳島インディゴソックスに入団。

150キロを超えるストレートと鋭く落ちるフォークを武器に好成績を残し、2016年育成ドラフト1位でドラゴンズへ入団しました。

プロの世界

入団してから2年が経った2018年。
実力が認められ、一軍の試合に出場できる資格のある支配下選手に登録されます。
木下投手は順調にキャリアを積んでいました。

しかし、2019年夏。
父親が交通事故で突然の他界。
「急いで大阪(実家)へ向かえ」という声に対し、

「父親は“どんな時でも仕事を休むな”が口癖で、40度の熱があっても仕事に行っていた。父親は大切な存在。しかし今は嫁と子供と守るべきものがあり、一軍昇格へのアピールを逃すわけにはいかない。」

といいその日の試合の登板を終えてから帰阪。

2020年はシーズン前のキャンプで足の怪我をし、手術リハビリにたくさんの時間を奪われ、思ったような活躍は出来ませんでした。しかし、その中でプロ初セーブを上げました。
2021年は飛躍の年として期待されていました。あの、藤川球児さんにも大絶賛されていました。

厳しい戦い

しかし、そこには大きな怪我が待っていました…。ペナントレース開幕まであと約1週間ほどという頃…。開幕前最後の登板予定だったであろう日ハム戦で右肩を脱臼。投手として肩の脱臼は選手生命を脅かすものでした。
ファンも悲しみに包まれました。
そんな中でも木下投手は前向きでした。


「今回はちょっと大丈夫じゃないかも、です。あれは、自分でも衝撃映像ですね。でもやれることはやっていきます!肩は、当日の夜、はめていただきました。ただ、肩の脱臼は初めてで、こんな痛いと思わなかったです。
投手の脱臼というのは、復帰は厳しい、と言われてますが、それなら、自分が第一号になります。全然有名じゃない選手のボクに、あの日以降、ファンの方から本当にたくさんのメッセージやSNSでの励ましの言葉を頂いて、頑張ろうって気持ちになりました。感謝しかないです。とにかくただ復帰するんじゃなくて、今よりさらにレベルアップして、クローザーは木下しかおらんやろ!って、周りに認めてもらえるぐらい、怪我前より成長できるように、これからの時間を大切にしていきます!
乗り越えられない試練はないと思うので、この試練も乗り越えます!」

手術を終えてからすこしでも早く復活しようとリハビリに励んでいました。

ファンも復活を待ち望んでいました。

チームメイトはこのようなTシャツも作ってくれました。

また、木下投手の登場曲である黄金魂(湘南乃風)を何人もの選手が使ってくれました。

そんな色んな人からの激励を受け、

「ドラゴンズ大好き、ファンの方も大好き。」

と言っていました。
ファンからすると、とってもとっても嬉しい言葉です。

リハビリ中の悲劇

7月下旬に信じられないニュースが飛び込んできました。

週刊誌なので不確かな情報なのでは無いか?と疑いもしました。けれど、球団オーナーが認めている時点で本当の出来事なんだと…。

どうにか帰ってきて欲しい。
野球ができるようになるのが最善だが、まずは命だけでも助かって欲しい。


そんな思いがTwitterやコメント欄に溢れていました。

僕も毎日復活を祈りました。
身近な人間でもないので全てを知っている訳ではありませんが、なぜ木下投手の人生はこんなにも試練が降りかかってくるのか。
神様を恨んだりもしました。


しかし数日後…僕を含めたファンやチームメイトの思いも届かず帰らぬ人となってしまいました。

夜中にその報道が出ましたが、何が何だかわかりませんでした。向き合えませんでした。心が拒否してしまいました。
昼頃に本営から報道が出て、ニュースでも扱われるようになり、本当なんだな…と思い涙が溢れてきました。
何日も何日も泣きました。
今でも泣いてしまいます。

悔しさ。憤り。悲しさ。つらさ……。
そんな感情で溢れ返るTwitterのタイムライン。
感謝を伝える人。受け入れられない人。何も手につかない人……。そんな人が多く居ました。

どれだけ木下雄介という人物が愛されていたか。
それが分かるコメントで溢れ返っていました。

ファンでもこれだけ辛い出来事でした。
チームメイトや友達、家族の皆さんの辛さ、悲しみは到底計り知れません。

天に掲げる金メダル

訃報が出たあとの侍ジャパンの決勝戦。見事に日本はアメリカを破り優勝し、金メダルを獲得しました。
侍ジャパンの選手であり、ドラゴンズのチームメイトである大野雄大投手は、金メダルを掛けてもらったあと天に向かってメダルを掲げました。

「木下から『金メダル取ったら見せてください』と言われていました。見せられてよかったです」

「残留練習中に木下(雄介投手)に会ったとき『金メダルみせてくださいね』という話をしてた。ほんまささいな会話で。木下だけじゃなくいろんな選手ともそういう会話していた。(木下投手は)その中の1人だったが、こういうことになってしまった。一番に報告してやりたいなと思ってたんで、喜んでくれていると思うし、それができて良かった」

これに応えるかのように降り始める雨。
何も感じずにはいられませんでした。

木下雄介投手へ


最後に僕の思いを綴らせてください。

僕は雄介さんが大好きです。
ダイナミックなフォームから放たれる唸るストレート、鋭く落ちるフォークがとても魅力的でした。
しかしそれ以上に人柄が魅力的でした。
ファンへの対応も時間ギリギリまで行っていましたね。サインを書きながらファンと話をしていましたね。
自分の練習もたくさんでスケジュールも体力もきついのに、他人へのサービスを忘れない姿も大好きでした。

もっと試合を見に行けば良かったと後悔しています。
本当に本当に悔しいです。何日も無気力でした。
雄介さんの活躍している姿を見ては、どこかで生きているんじゃないか…と思ってしまいます。
未だに受け入れられていない部分があるのだと思います。
しかし、いつまでもそんなことは言ってられません…。
短い間でしたが雄介さんを応援できたことを嬉しく思います。
出会えたこと、贔屓球団でみれたこと、応援できたことは僕の宝物です。

これからは空からチームメイトたちに喝を入れてあげてください。
そしてお父さんと仲良く過ごしてください。

改めて。本当に大好きです。これからも忘れません。

ご冥福をお祈りします。

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