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つづ井さんのnote【2022年12月4日】


日曜なのにこんな時間まで働かすな!!
えーーーーん

忙しくていやになっちゃう。
でも当たり前のように土曜日がない友達とかみてると、緩急があるだけマシか…。と思うようにしてるけど、やっぱりこんな時間に帰るのは嫌だよな。

なんか体のあちこちに不調が出てる。左肩甲骨がビリビリ痛むし、喉もずっと痰が絡んでるのか詰まった感覚がある。
他にも色々不調あり。限界だ〜。

仕事の取引先の人がすごくエネルギッシュだった。エネルギッシュというとよく聞こえるけど、まぁ悪くいうと全然引かなくて我が強いなという感じだ。
取引先だから、私たちの会社にとっては客ということになるんだけど、だからと言ってタメ口聞いて良い理由にはならなくない?
しかもうちの上司の方がその人より年上なのに。しかも口を挟む隙なくずっっっっっっと話してる。マシンガントークより喋ってる。
自分に自信があるというか、自分がいろんな話に口を挟んで、一回も引くことなく喋り続けたら、相手にどう思われるかとか考えないんだなと思うと、もう別の生物に見える。
「新卒?頑張ってね!」って言ってくれたから、悪い人じゃないんだろうなとは思うけど、苦手ではある。こういう、相手の思考とか人生とか、誰かに愛されてるであろう事実とかを無視して、私の感情だけで嫌いたくないとはおもうんだけど、どうしても苦手なものは苦手だ。そこの気持ちの折り合いがつかなくて、時々落ち込むことがあるけど、もうそろそろ上手く生きていかないといけないな。

お腹が空いた。
こんな時間(23:13)にラーメンなんか入れちゃいけないってわかってるんだけど、どうしてもラーメンとかそういうカロリーが爆弾くらいあるやつじゃないと賄えない日もある。月曜日くらい働いたなと思ったのに日曜日だったと言う俺の気持ち。まだ月火水木金があり、また来週の日曜日もなくなるという現実。親と遊ぶ予定が入ってたのに、絶対に抜けられない仕事が入って、なくなく断りのラインを入れたという現実。こんな仕事したくて就活してたんだっけと思うこともある。楽な仕事なんてないんだけどな。

今日早く着きすぎて、仕事の準備が終わったあとにつづ井さんのnoteをよんだ。
つづ井さんは『腐女子のつづ井さん』で一躍注目されて、今はWebメディアで『裸一貫!つづ井さん』を連載されてる。ポップで愉快な独身女性のハッピーな日々を綴っていて、こういう友達いいなあ、私にもいるわ!ガハハ!と思える、ゆるいゆるいエッセイ漫画を描いている。絵もテンポもすごく好きで、アップされるとすぐサイトに飛んで読んでる。

そんなつづ井さんのnoteを読んで、泣いてしまった。
読んだのはこの記事。
https://t.co/6mo21ood9z

つづ井さんの愛犬への思いを綴った記事だった。
つづ井さんの絵日記には、老いぼれてしまった愛犬との日々も描かれていて、口が絶望的に臭いとか、ゆっくり散歩する日々とか、そういうことが描かれていたので、なんとなく知ってる子の話だなと思って記事を開いたのだが、そこには、愛犬の死が綴られていた。

愛犬が老いて、そろそろ寿命だと言うのをきっかけに仕事をやめ地元に帰ったつづ井さん。
つづ井さんにとってどれだけ大切な犬なのだろうと思っていたけど、その理由が記事を読んでわかった気がする。

つづ井さんにとって、愛犬はお父さんだったんだ。
つづ井さんの綴る毎日に、悲しいことなどほとんどなく、読んでいるこちらも明るくなるような内容だったのだが、そんなつづ井さんのお父さんは、中学生の時に亡くなられていたそうだ。

中学生の時に亡くなった父、その空いた穴を埋めるように迎えた愛犬。
その愛犬が老い、なくなってしまうまでの日々を書いた中で、特段心に残っている部分がある。

抜き出すには余りに長く、一文選び出すにはあまりに申し訳がないので、もしこのnoteを読んだ人は、つづ井さんのnoteを読んでほしいのだが、愛犬が亡くなる数日前、撫でながら父親のことを思い返すシーンがある。

父は愛犬ではないし、愛犬は父ではないと書いていたが、つづ井さんのお父さんの形は、愛犬によく似ていて、決して埋まりはしないものの、とても柔らかく変化して、不器用に優しく埋めてくれようとしていたのだろうと思った。

私の家にもかわいいかわいい猫がいて、今の猫の前にも、別の猫や犬や魚がいた。
家族の死を何度も経験して、その都度悲しい気持ちにもちろんなるのだが、もし私がその時社会人だったら、実家に帰る勇気があるんだろうか?この気持ちがあるから、正直つづ井さんが仕事を辞め、大切な友人たちとすぐ会える距離ではなくなる地元に帰るということが、信じられなかった。すごいなと感じていた。

でも、その理由が本当になんとなくわかった。
愛犬は、お父さんではないけれど、お父さんと繋いでくれる存在だったんだな。
父を通して、愛犬の気持ちを理解する描写もあったが、その気持ちの動きが手に取るようにわかる文章で、私の手のひらの上に、つづ井さんの気持ちが、まさにそこにある命のように動いているのがわかった。

そして気づいたら会社で泣いていた。
誰もいなくてよかった。口では説明できないから…。

朝にこんないい文章を読んで、いい一日のスタートをきれたなと思ったのに、こんな時間まで拘束されてたムカつきで忘れてしまうところだった。危ない。

つづ井さんの本当の意図や気持ちはわからないけど、私というフィルターを通してみたとき、こういうことなんじゃないかなと思った。それが書けて良かった。

大切な存在はいつかいなくなってしまう。生と死だけが生き物には平等にある。その死を感じ取れるのは、悲しいかな親しい存在のものだけである。そのときに何を思うか、何をするかで、自分の生の時間が活きればいいね。
誰かに生かされるってそういうことなのかしら。難しいな〜。

ラーメン食べます。私の生を今輝かせてくれるのはラーメンなので。

まぁそういうことじゃないんだよな、グァハハ。

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