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夢【2023年2月27日】

あぁ〜っ!だめ!鬱になっちゃう!鬱になっちゃう〜‼️‼️
ンゅ、ンゅ、ンゅ……………………


本当に生理前はろくなことがないな、胃も痛いし、今週仕事忙しいし、友達と約束入れてた土曜日に仕事が入るし、取引先はクソ。
親の嫌なところが目に入ってつらい言い方をしたり、だけど依存から抜け出せないから強く出ることもできなくて、そんな自分に嫌気が差す。
結局自分は親の望むところを少しずれただけで、それを「最大の予想外」「最大の反抗」と言われ続けるのだろうかと思うと、結局自分が自分優位に動くのが怖くて、優しさのつもりで、ただ親を理由にして逃げているだけに過ぎず、見ないふりしてきた夢も、やりたかったことも、すべてを自分が小馬鹿にしながら生きている。

小中の同級生が、俳優業になったときいて、本当に驚いた。その子は本当に優秀で、高校も大学も名のしれたところに行ったからだ。
それなのに今、駆け出しの俳優として頑張っているときき、目眩がした。

本当に頭が良いとは彼女のことを言うのだと感じた。
自分の夢から目を背けず、まっすぐに捉えて、そのためなら親を説得し、反発しあい、認められたのか、それとも勘当されたのかは知らないが、そういう話し合いを乗り越えた今がある。
私なんかと全然違う。強い。そんな強さのある子だと、私は全く思っていなかった。

私は声優になりたかった。役者になりたかった。歌手になりたかった。漫画家になりたかった。
すべて親に言うことが怖かった。正確に言えば、言ったけど無言の圧力で諦めざるを得なかった。

だから私は、母親に「Mちゃん、あんなにいい大学行ったのに今駆け出しの俳優やってるんだよ。親御さんよく許したよね」と言ったときに「別にいいんじゃない?」と言われた時の静かな絶望と怒りを忘れられないかもしれない。

医学部に行くよう、静かに仕向けられた我が家で、強固なレールが敷かれている我が家で、手に職をつけた両親がいる我が家で、遅めの一人娘の私がいる我が家で、そんな『不確定』なものは許されなかったじゃないか。

私が本当に声優になりたいと言ったとき、「えっちなアニメとかゲームのやつか?」と茶化されたこと、医学部に行けない、行きたくないと告げたときの「自分が親に反抗したときの報いを今受けた」という冷たいラインの文面を、私に理解があるようなふりをして、本当は結婚して子供を産んでほしそうな面をしていること、すべてが蘇って、押し付けてやりたかった。

私は言った。声優になりたいと告げた。
だけど、それを良しとしない空気を感じて汲み取らなければ私は生きていけなかった。
扶養を抜けても、まだ抜けられない柵がある。
私が臆病で、実家の太さにかまけていることもある。まだ私に隙があるのもある。
「今の生活から少しでも落ちるのは没落だ」と言われた。没落したくない。そんな感情が気持ち悪く私の中に根を張って、うまく動けない。
親に愛想笑いすることも、気を遣うのも、空気を読んで自分が好きなものを馬鹿にする癖がついたのも、そして、それを他人にも向けてしまいがちになることも、もう私は辞めたい。

私の今の生活は、とてもじゃないが私一人の力ではできなくて、7割は両親のおかげだ。
だから私はまだ『没落』とは程遠い生活を送っている。

もう怖くて足が動かない。歩き出せない。
Mちゃんのようにしなやかに、軽やかに、だけど強く、自分の人生を歩めない。

今からでも何者かになれるのだろうか。
地下鉄の代わり映えのない景色が永遠に続くような気がして、視界が歪んだ。

演じるというのは、本当に楽しかった。
短い期間、私は声優養成所のようなところに通っていた。あの時間をもっと一生懸命生きればよかった。バイトが終わってから向かっていたので、他人の発表のときは眠ってしまったり、大事なオーディションの準備を全くしなかったり、どう考えても自分の態度に十分な問題があるのは感じていた。

だから一度離れてみて、自分が本当にまだやりたいのか考えると言った。両親は「やっと目が覚めた」みたいなことを言っていた。

覚めたよ。私は今の仕事を今すぐにでもやめて、バイトで食いつないで、売れない役者をやってるほうが性に合う。
役者は、声優は、唯一、考えすぎのこの性格が好転する仕事だ。

きっとこんな気持ちも、生理前の今しか持続しなくて、また両親のせいにして、歳のせいにして、タイミングのせいにして、ズルズルと一年がすぎるんだろうな。
こんな自分が嫌いだ、こんな私にした親も嫌い。親も嫌いなら良かった。
親を憎めないのが一番つらい。

また鬱のnote書いちゃった。
鬱と真反対の言葉で締めます。

ポイフル‼️(最近食べてめっちゃうめえなと思ったから)

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