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在りし日の夢想家

首を動かさず、目線だけで周囲を窺う。少し汚れのついたガス会社の制服を着て、男はタワーマンションのエレベーターに乗り込む。

今日の獲物は半年の密偵期間を経て狙いを定めた人物だ。
起業して五年余りだが、そんな短期間でも業界の稼ぎ頭として台頭し始めた若手の社長。しかし、メディアなどの表舞台にはほとんど立たないため、どのような人物なのかは一般的に知られていない。
その辺りは少々苦戦したが、泥臭く足を使い複数の筋から仕入れた彼の実像は同世代の青年像とあまり変わらないことが分かった。

専用の小型工具を取り出す。住民は日中の働き手が多く、長い廊下には当然気配もない。残る可能性としては宅配業者に見られることくらいだ。そのため、こうしてガス会社の人間を装いマンション内に侵入することが必要となる。

実践でのピッキング作業はまだ経験が浅かったが、ものの数分で開錠し中に入る。独り身で派手な遊びもしない。その噂通り、忍び込んだ彼の部屋はやはり殺風景なものだった。

白を基調とした一人用のベッドやダイニング。生真面目に並べられた自己啓発本にチリ一つ落ちていないフローリングからして、こまめに掃除しているのだろう。これが現代の成金像なのか、と思わされる真面目な生活ぶりが見て取れる。

軍手のされたその手で手際よく金目のものを探す。いくら指紋がつかないとて、手数を無闇に増やしてはいけない。現金はもちろん、口座通帳やクレジットカード、金庫類のある場所を見極め、なるべく少ない手数で探す。ここから先は相棒の姿を何度も反芻しながら金の匂いを探り当てる。


「終わったぞ」

「その声からして、うまくいったようだな」

優は報告する前からこちらの結果を見透かす。十五年以上の付き合いで、一度も俺は最後まで「成功した」もしくは「失敗に終わった」と言ったことがない。それほどまでに彼は常日頃から俺はもちろん、偶然すれ違った人間さえも細かく観察し、瞬時に人物情報を頭にインプットするのだ。もはや空き巣犯の模範といってもいいだろう。

「そっちはどうだった?」

聞くまでもないが、一応聞いておく。俺が新進気鋭の若手社長宅にお邪魔している間に、彼は有名サッカークラブで補欠選手をしている自宅に入っていた。

「言うまでもないが、計画通りだ。今日の収穫だけで数ヶ月はやり過ごせるぞ」

普段は冷静な声も珍しく上ずっている。どうやら数ヶ月の準備期間をかけた彼の獲物は、相当の価値を俺たちに生んでくれたらしい。

「一等星を狙う必要はない。三等星くらいまでが金も持っていて、かつ盗みやすい相手だ」

優はそうやって、決まってターゲットを星になぞらえて説明した。
星なんて、夜に出現するだけの幻想だと思っていたが、優の話に何度も出てくるものだから、まるで親友の話でも聞いているような、途中からそんな気さえした。

「お前は星のなんなんだ」

ある時、そんなことを聞いたことがある。その声は妬いている恋人のようで、俺はなんでこんなにむきになっているのだと不思議に思う。優は背を向け、窓辺で煙草を取り出す。夜の外気は冬を知らせる冷たさを運び、遠くで聞こえるサイレンは人々の営みを、どこか世間から隔絶されているこの場所にも届けている。

「星は決して裏切らない、ただ一つの希望だよ」

 
「今月の、お前の担当分だ」

優から受け取ったリストを見る。月に一度手渡される、いわば俺の持ち分であり、ノルマだ。前月と変わらず小金持ちの氏名がずらっと並んでいる。

もちろん、その名前など一人も知っている者はいないのだが、優が空き巣業界の情報網を使い集めたリストに、まず外れは存在しない。

佐山杜夫…作家。
リストに書かれた職業に目が留まる。これまでは資本家狙いが多い優のリストに、初めて創作関係の人間が登場した。世間ではマニアックだが、文壇において著名な作家はたくさんいて、佐山もそろそろその仲間入りを果たす時期に差し掛かっていた。そんな、まだまだ発展途上ではあるが将来の文壇を背負って立つ有望株の一人であり、何より俺はその作家のファンでもあった。

その夜は何ともたやすくことが進んだ。
佐山の家はまさに人気の出始めた小説家よろしく、洒落た室内をしていた。築十年ほどの駅近マンションは、独身者の楽園のような間取りをしており、今時珍しい現金主義な男ならではの古臭い金庫も簡単に開いた。数えるのも面倒なほど、分厚い金の束がぎっしり詰め込まれている。

それを手にし、さっさととんずらしようとしたら、ふと目に触れた机には原稿が置いてあった。紙の原稿用紙にはびっしりと文字が埋まっている。
なるほど、こうした時代遅れの作家が陽の目を浴びる時代になったか、と思った。所々殴り書かれており、タイトルには「(仮)オリオンの旅」と書かれていた。思わず、優の顔が思い出されたものの、気にせず原稿を読んでみる。

次第にページを繰る手を止められなくなった。流暢なほどにすらすらと進む物語を自然と自らの漫画に置き換えていく。これは使えるぞ。心のどこかでそう思ってしまう。

そこで、突然、電話が鳴った。方向を見ると、固定電話だ。無視を決め込み、留守電に切り替わるのを待つ。しかし、いつまで経っても留守電にならず、かといって電話の相手もコールを鳴らすのを止める気配がない。数分間ものコールがけたたましく鳴り響く中、原稿どころでなくなり、乱暴に受話器を一瞬上げ切る。
すかさず、二度目のコールが始まった。しつこい。俺はついかっとなり、電話に出た。

「はい」

「もしもし。佐山さんのお宅ですか。三重県警の者です」

電話の主は冷静にそう言い放った。その後も針の触れないメトロノームのように淡々と続ける。佐山が交通事故で緊急搬送されたこと。恐らく、助からないこと。もし可能なら、家族の者だと偽った俺に来てほしいこと。そんな話をして、電話は一方的に切られた。

俺は警察に悟られる前に現金を持って逃走を図ろうと考える。その瞬間、視界の端に映ったのは机上に散在された原稿用紙。
これに手を出すということは、佐山のアイデアを盗むということになる。人から盗んだ金で生活してきた人間のはずなのに、大好きな漫画まで盗んだものを使っていいのか。
そう考えるよりも前に、手はそれに伸び、佐山の部屋から姿を消す。


「お前に話がある」

優は雑居ビルの小さな部屋で安いソファーに座り、煙草を吸っていた。

「その声からして、いい話ではなさそうだな」

優はもくもくと上がる白煙を見上げていた。カフェイン中毒でもあり、薄茶色のテーブル上からは煙草の煙に続けとばかりにコーヒーの湯気が立っている。

「足を洗いたい」

 感情を押し殺しつつ言う。しかし、優は表情一つ変えない。

「これからどうすんだよ」

「漫画がある。ようやく売れたんだ」

「お前、佐山の盗んだだろ」

 間髪入れずに指摘され、反撃の気力すら奪われた気分だった。やはり、俺はいつまで経っても議論で勝てる気がしない。

「佐山の家に入ってから怪しかったぜ。漫画なんか、所詮絵空事で、つまらん趣味だと思っていたんだがな」

「つまらないとはなんだ」

想像以上に怒りを含んだ声を出していた。漫画をけなすことだけは許さない。そんなことを他人の脚本を盗んだ人間が主張できるのかは甚だ疑問ではあったが、結果主張していた。

心中で渦巻く葛藤に気づいたのか、それとも関心がないのか分からないが、優はすぐに「熱くなるなよ」と言って、煙草を消しコーヒーに口をつける。温度が熱すぎたのか、昔から猫舌な優は「これはアツアツだな」と独り言を呟いた。

「お前が抜けるのは構わない。今まで二人だったのが、これから一人になるってだけだ。お前がいようがいまいが関係ない」

優は目線を合わさず、どこか遠くを見ている。空中を漂う何かを見ているような、上の空の表情だ。

「でも、どう話すんだよ、子どもに」

そんな風に、突然ナイフを突きつけるような鋭利さで、優は俺に問いかけた。

若い頃、「頼むから育ててくれ」と優は頭を下げた。まだ生まれたばかりで名前すらつけていなかった優の子ども。優はその子育てを妻に任せるつもりだったらしいが、堅気の職業についているという優の嘘がばれ妻が蒸発してしまったらしい。困り果てた優が頼んだのが、俺だったわけだ。当然漫画家として鳴かず飛ばずで、いくつも掛け持ちしたアルバイトで食いつないでいた俺にとっては土台無理な話だった。

「俺が金を生む技術をお前に叩き込む。だから、その金でこいつを育ててほしいんだ」

思えば、優が俺に頭を下げたのは、あれが最初で最後だった。

「俺は人の気持ちが理解できない。存在しているもの全てが金にしか見えないんだ」

そう言って、優は俺に空き巣の技術を一から教え、結果、生活には困らないほどの金をもたらした。今こうして生きていられるのも、優のおかげだった。

「分かった。その条件なら飲むよ。でも、一つ条件がある。名前はお前がつけろ」

すると、優は口元を少し上げて言った。

「誠也。正しいことを信じて突き進め、って願いだ」

それを聞いた時は、優の言う正しいこととは、人の道に背かないことばかりだと思ったが、続けて、「俺を反面教師に、という意味だけじゃないぞ」と付け足してこうも言った。

「正しいことは人の数だけある。こいつもその正しいことを見つけて突き詰めてほしいのさ」

俺が何か言おうとしたら、手でそれを制した。

「あと、星夜とかけてる。どうだ、うまいだろ」

ここにも天体好きが出るとは。呆れつつも、優の子どもらしい名前だと声にはしないが素直に思った。


「話さない。お前の子どもには、何も」

走馬灯のような速さで昔を思い出した後、そう告げる。
それが、俺の正しいことだった。きっと、そんなことは世の中では通用しない。しかし、それこそが優と誠也に向けての俺なりの正義だ。悪事ばかり繰り返した人間の、いつか痛い目に遭う人間の、最後の悪あがきだ。

「そうか」

ぬるくなったことを確認し、優は目の前にあるコーヒーを一気に飲み干した。

「そう決めたなら、必ず守り通せよ。約束だからな」


あれから一年。世間に騙しつつ、佐山の脚本を元に売れた漫画はついに連載を持つようになっていた。

俺は佐山の脚本に変更を加えた。世間の読者からしてみれば、それはあまりにも唐突なことで、バッシングは避けられないだろうと、馬鹿な俺でもそれくらいのことは想像がつく。
優を漫画に登場させたこと。担当編集者にも猛反対を喰らったが、どうしても曲げることはできなかった。

あれ以来、優とは連絡を取っていない。
ただ、一度だけ、どうしても削除できなかった電話番号に非通知でかけたことがあった。

「優か?」

そう聞くと、「その声からして、かつての相棒だな」と声が返ってきた。
そうして、俺は全部を報告した。「誠也は立派に育っているよ。宇宙に興味があるんだと。やっぱりお前の子どもだな」
電話口からは何も応答はない。

「今からでも遅くない。『こいつが本当の父親だ』って紹介してやろうか」

冗談交じりに言うも、内心どこか本気だった。これから真面目に働き続けて、今までのことは何も言わないで誠也を育てられるのだろうか。そんな不安を、本当は優に言いたかった。

「俺は盗んでばかりで、何も生みだしちゃいない。ただこの命を生かすために誰かが汗水たらした金を盗んでいるだけだ」

ようやく返答する優に、何か反射的に反論しようとするものの、優は間髪入れずに続ける。

「でも、お前は違う。最初は確かに人から盗んだアイデアかもしれないが、佐山が急に作中で俺を登場させるとは考えにくい。お前はもう、お前自身の力で金を生んだんだ」

優が俺の漫画を読んでいた。どこでどうやって見つけてきたかは分からない。ただ、その事実はこの世界の唯一の理解者に認められたような、そんな心地がした。俺はとっさに、優を驚かせてやろうとある知識を披露する。

「オリオン座の三ツ星の下には、オリオン座大星雲という星雲がある。そこでは新しい星が幾度も生み出されていて、星のゆりかごといった表現がされるんだ」

優は押し黙っている。多分、知っていることだろうけど、最後まで聞いてやろうとする優しさがその沈黙から感じ取れた。

「さしずめ、お前はその大星雲で、そこで生まれたのが俺と誠也。お前はしっかり生み出している」

電話の先で優は笑った。空き巣を覚えるずっと前に出会った俺たちみたいに。

「こうしてまた、お前と話せる日がくるとは思わなかったよ。奇蹟みたいな日だ」

「奇蹟は作るもんだろ。お前が書いた漫画もある意味奇蹟だな」

大事なことを言おうとして、俺はまた優に先を越されてしまう。

「もうかけてくるなよ。ちょうど明日番号を変える。これで最後だ」

そうして、電話はやはり一方的に切られる。画面に表示される短い通話時間は、星にとってみれば一瞬にも満たない。


「お父さん、今夜オリオン座が見えるんだって」

ノックもせず、彼が部屋に入ってくる。最近声変わりした彼は優そっくりの声を出すものだから、俺は驚きを隠せない。

「その声からして、相当楽しみなようだな」

彼の一等星のような笑顔とともに、夜の街へと天体観測に出かける。早く星を見たいと先を走る後ろ姿は、不思議とかつての相棒と重なって揺れていた。

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)