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長いトンネルの先へ

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 
大正から昭和にかけて活躍した文豪・川端康成の名作『雪国』の冒頭。この一文だけで、暗闇をひた走る列車の車窓から、やがて一面の銀世界が広がっていく光景が目に浮かぶ。

個人的な新潟の印象は、そんな雪国の印象が強かった。
しかし、どうだろう。Writone時代からその活躍ぶりを拝見しているようじろうさん主宰の「にいがたショートストーリー」に拙作も応募してみようと新潟について調べてみると、無知で恥ずかしい話ではあるが知らない名所が続々と出てきた。

実に多くの文化的であり自然的な魅力あふれるスポットを見つけてしまったので、その全てを紹介することは割愛するが、特に「日本で一番海に近い駅」と呼ばれる“青海川駅”と、冬になると多くの白鳥が渡来する“瓢湖”を舞台にした小説を、実際に「にいがたショートストーリー」に応募させてもらった。


そして先月末、にいがたショートストーリーのプロジェクトとして応募作品群の一部が書籍化され僕の手元にも届いた。

拙作2作も加えていただき、いつか紙の本として掲載されたいという個人的な夢を叶えることができた。
他作品を拝読すると、実に個性豊かな作品たちが連なっていた。運営委員会の皆さんのご尽力がなければ、ここまでの作品集にはならなかっただろう。改めて、こうした素敵なプロジェクトに参加させていただけて心から感謝を申し上げたい。

僕がプロジェクトに参加するそもそもの始まりは、ようじろうさんから「ボイスクルー向けの作品を書いてもらえませんか?」とメッセージをいただいたことがきっかけだった。ボイスクルーとはようじろうさんが所属されている朗読団体であり、「その皆さんに朗読してもらえるなんて!」という嬉しい気持ちで拙作『つままれる』を送らせてもらった。

そうしたらどうだろう。朗読会での発表のほかに、書籍化され大学・公共図書館等の施設や街の飲食スペースへも寄贈されるというではないか。
自分が書いた物語が手を離れ、いつしか翼を広げて読者に向かって羽ばたいていく。物書きの端くれとして、こんなに嬉しい体験は今までなかった。
そして、一時期は停滞していた創作活動も再開し、今日までこうして書き続けられている。復活のきっかけをくれたのは、間違いなくにいがたショートストーリーだったのだ。


話は冒頭に戻るが、実のところ、僕は文学部の学生だった大学時代に川端の『雪国』論を卒業論文として提出した経緯があった。
担当教授がスバル派の専門家だったから、その派閥作家の作品を卒業論文で取り上げるゼミ生が多かったので肩身は狭かった。
でも、今思えば新潟を舞台にした『雪国』論に決めてよかった。あの時『雪国』論でなく違う作品論にしていたら、きっとこんなにも新潟を舞台にした小説を書きたいと思っていないかもしれない。

今まで実際に新潟に足を運んだのは、学生時代に一度行ったスキー旅行しかない。(その時に楽しんだ越後湯沢の景色や食、観光もかけがえのない思い出になっている)
旅行が気兼ねなくできるような生活になったら、たくさんの新潟の魅力に触れられる場所に行くんだと今から決めている。

そんなワクワクを胸に秘めつつ、心の内では大粒の雪が舞っている。息を呑む銀世界で、雪に夢中な子どものようにはしゃぎ回ってみたい。今は不思議とそんな気分だ。閉塞的な時代のトンネルを抜けるのは、そう遠くないと強く信じながら。


皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)