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善を急げ

一日一善。

その語源は仏教の六度万行に由来する。六度万行とは、あのお釈迦様が定めた「布施(親切にする)」「持戒(約束を守る)」「忍辱(忍耐)」「精進(努力)」「禅定(反省)」「智恵(知恵を高める)」の六つを指している。
そして、この六つのどれか一つでも良いから一日の中で実践してみなさい、という教えが「一日一善」の由来になったというのだ。

ああ。なんて素晴らしい教えなのだろう。

僕はこの一日一善を、信仰深い宣教師のごとく信じてきた。なぜかって? それは、十年前に経験した挫折が僕をそうさせたんだ。

あの頃は、ただただ愕然としていた。世間でいう一流大で優秀な成績を収め、米国への留学も居酒屋でのアルバイトリーダーも国際政治学のゼミ長も経験し、おまけに野球部の主将を務めテレビ放送もされた大きな大会でチームを優勝へ導いたこの僕が、大学四年の冬を迎えても、一社も内定を取れていなかったからだ。

そんな醜態を晒したせいか、当時の彼女にも愛想をつかされ、大企業に内定した別の男に鞍替えされる始末。「就職したら結婚しようね」と言っていた彼女の笑顔は嘘だったのか。いや、むしろ就職できない自分のことを嘘だと信じたい。そして、その後の僕は自暴自棄になり、やけ酒をあおっても懐が寂しくなる一方で、何かいいことなど起きるはずもなかった。

もはや内定ゼロを解明するのは不可能だと断定した僕は、うまくいかない現実を世間のせいにするほかなかった。間違っているのは世間の方だ。誰一人、僕の能力に気づいていない。でも、そう思えば思うほど、ますます出口の見えない暗闇に閉じ込められていく気分だった。

しかし、ある時転機が訪れる。それは、あまり気は進まなかったが、大学の就職課に勧められて足を運んだ就活セミナーだ。

次々にステージ上に現れマイクを握るのは、内定蹴りを幾度となく喰らい、新卒者採用予定数を下回り焦っている中小企業の人事部だ。あからさまな営業スマイルに、手元には職場での仲の良さをアピールする胡散臭い写真が踊っている。こんなひっかけにかかる人間などいるのだろうか。

一つも耳に残らなかった話を聞き終え、収穫のないことにもはや怒りすら湧かない抜け殻の体で会場を後にしようとすると、誰かに声をかけられた。十歳ほど歳上に見えるスーツ姿の男性。僕が何か言うより先に手を握られ「昨年優勝した〇△大学の大エース、鴻鳥さんですよね!」と鼻息荒い表情だ。そして、やはり僕が何か言うより先に「お困りなら、ぜひ就職のサポートをさせてくださいよ」と握られた手を揺すってきた。

「確かに経歴も優秀ですし、何せチームを優勝に導いた大エースであり主将。在学中の〇△大学も最難関の一角で、きっと頭も良いのでしょう。履歴書を拝見する限り、考え方も理にかなっていて、無駄のないように思えます」

先ほどまでの熱狂的な野球ファンとしての鳴りはすっかり潜め、男性は冷静に言い放つ。彼はどうやら業界でも有名な就活アドバイザーのようだ。名刺に書かれた会社名は日本最大手の人材会社で、テレビコマーシャルで見かけたこともある。目の前で語りかけてくる彼に、さっきまでの僕は一言も喋れないまま、手を引かれるままに小さなブースへ連れて行かれ、頼んでもいない就職相談が始まっていたのだ。

「しかし、実は大きな、いや、何もかもちゃらにしてしまうほどの致命的な欠点を鴻鳥さんはお持ちなのです」

その瞬間、これまで感じたことのない冷たい空気が彼と僕を包み込む。彼と目が合う。切れ長で表情の見えない瞳の裏に、全てを見通す底知れない何かが佇んでいる。
すると、一転彼はにこやかに微笑んだ。そして、親父ギャグのような軽妙なトーンでこう言った。

「要は自己中心的なんです。利己的ってやつかな。他者のことを何一つ考えちゃいない」

彼はまだ微笑んだままだ。笑っているはずなのに、彼から漂う不気味な空気が僕を一層こわばらせる。その時、人を初めて怖いと思った。

「一日一善。他者に感謝される振る舞いから始めてみたらどうでしょう。まずは意識改革から。鴻鳥さんの経験や実力が他者のために発揮されれば、就職活動のみならず、世の中の大半のことが敵なしだと感じるようになりますよ」

その日から僕の一日一善生活が始まった。
何をしてもいいから、他人に感謝される。具体的なイメージは湧かないままだったが、必死に何をしようか考えていた。しかし、それすら思い浮かばず頭を抱えたまま。そうしている間も、時間は刻々と流れていく。居酒屋のアルバイトの時間になったものだから、電車に乗り職場に向かう。

車内はいつもと変わらぬ景色そのものだ。夕方の穏やかな陽射しが窓から差し込み、その光を後頭部で受ける人々は睡魔に襲われている。眠気と闘いながら文庫本とにらめっこする女子学生、そんなことには気も留めず小型ゲーム機にのめり込む子どもとそれを見守る母親。その隣には買ったばかりの夕刊を広げるサラリーマン。何も変わらない、いつもの光景である。

すると、ある駅で腰を曲げた老婆が乗り込んできた。
年季の入った杖は所々はげており、長年老婆と連れ添ってきた痕跡が見える。ぱっと車内を見渡したところ、空いている席はない。そこで僕は考えた。ここで席を譲れば、もしかしたら感謝されるのではないか。いやいや、そんな安直な考えでいいのか。きっと老人に席を譲るのも簡単なことではないのだろう。「そんなに老けて見えるのか」と問い詰められたらどうするのだ。

そうこうしているうちに、電車は次の駅へ向けて走りだす。老婆は僕の目の前に立っていて、吊革は高すぎて握れていない。やはり、頼みの綱は杖のみだ。一駅、二駅……と止まるたびに車内には人が増えていく。それと同じく、少なくはあるが降りていく乗客もいた。

待てよ。よもや、この老婆は次の駅で降りる可能性もあるのではないか。そんな淡い期待すらするようになっている。いや、そんなことではだめだ。もし終点まで乗っていたらどうなるのだ。あと一時間は立ちっぱなしだぞ。その頃には老婆の腰が限界を迎えていてもおかしくないだろう。

既に降りるべき駅を完全に忘れて、老婆へ善を行うべきか考えあぐねていたその瞬間、電車が突如急停止した。幸い立っている乗客は少なかったが、老婆は杖によって保たれていた重心を失い転びそうになった。
杖の先は地面を離れ、同時に老婆の後頭部は地面に向かって急降下。刹那、僕の手は老婆の左手へと伸び、もう一方の手は老婆の背中へと滑り込んでいく。すると、杖は徐々に定位置に戻っていき、老婆も頭を打たずに済んだ。どうやら、小柄な老婆のおかげで僕は何とかその場でバランスを取ることができた。

「危ないところをありがとうね」

動き出した電車と、詫びる車掌アナウンスが響き渡る中、顔を覗き込むように老婆から礼を言われた。最初は何がなんだか分からず、「こちらこそ」と訳の分からぬ返事をしてしまった。後日その言葉は感謝だったのだとようやく気付き、今まで感じたことのない喜びが体の中を駆け回った。

それからというもの、僕はいい気になり一日一善を信じて突き進むことになる。
道端で荷物を持って「ありがとう」。道に迷う外国人あればネイティブ英語を駆使し目的地を案内、「サンクス!」。公衆電話を待つ人に携帯電話を貸して「助かりました」。スーパーで後ろに並ぶ人に前を譲り「本当にいいの? ありがとう」。

日々を過ごす中で着実に善を積み重ねていく。いつしか一日一善を通り越し、呼吸をするかのように善を行うようになっていた。感謝されることで自らの存在意義を確かめ、感謝されることで社会に貢献できているようにも感じた。

そのおかげなのか、ついに新しい恋人もできた。「あの……人違いでしたら恐縮なのですが、〇△大学野球部の鴻鳥さんですか?」と、やはり名前より肩書きが先にくるのはいつものことではあったが、街で声をかけてきた野球ファンである彼女とすぐに仲良くなり、そのまま僕たちは付き合うようになった。
どうやら彼女はモデルをしており、そういう方面に明るくない僕でも知っている有名雑誌で何度も表紙を飾った人物でもあった。

幸運はまだ続く。
以前、第一希望として受けた商社に欠員が出たのだ。世界でも名が知られている超大企業に欠員が出ること自体奇跡だった。しかも、一度落ちた学生も受けていいとの太っ腹具合。もちろん、僕は真っ先にエントリーし、五次面接まである選考をクリア、見事内定を勝ち取った。

あれから十年。
一日一善は欠かさず継続しており、僕の善は積み重ねられる一方だった。あの頃からの変化と言えば、最年少で課長に昇格し、恋人である彼女と婚約したことくらいか。そして、その彼女との結婚式がいよいよ来月にまで迫っていた。

誤解を恐れずに言うと、僕が最優先に掲げているのは会社での仕事ぶりや上司からの評価、ましてや彼女との時間でもない。誰かに感謝されることだ。その使命を全うできれば、もう僕には何もいらない。最初は内定欲しさに始めたはずだったのだが、今では善以外何もいらなくなってしまった。それほどまでに僕は善に狂っているというわけだ。

「三九九九善っと」

いつからか毎日つけ始めた通称・善ノートには、これまで行ってきた善の総数が四○○〇の大台が目前まで迫っていることを教えてくれる。

前のページをめくってみると、これまでの善の一部始終が綴られている。
中には風邪を引き会社を休んだ日さえ、病院の帰りに出会った財布を落としてしまったらしいご老人と一緒に財布を探した旨が記載されている。結局、交番に届けられていたことが判明するまで数時間も探し回っていたんだっけ。そうやって僕は時折、過去の頑張りを思い返しては懐かしんでいた。

今日も仕事を終え外の空気を吸い込む。さて、今日はどんな善をしようか。と思った矢先、横断歩道を渡ろうとする小さな男の子が親の目を盗んで走り出したのが見えた。信号機は点滅し赤に変わろうとしている。母親は携帯電話の操作に夢中で気づいていない。まずい、と思った時には男の子を拾い上げようと走っていた。だが、その瞬間、誰かがその男の子をすっと抱え、やがて母親のところで降ろした。

「息子さん、危なかったですよ。どうか、一緒にいる時は目を離さないでください」

スーパーヒーローのごとくそう言い放った彼は、母親が礼を言い終わるより先に背中を向け立ち去ってしまった。
名もなき善がこうした形で奪われることも少なくない。自分より優れた人間がいち早く他者の困りごとを察知し手を差し伸べる。素晴らしき行いだが、僕には迷惑ほかならない。競合相手はなるべく少ないのが一番だ。

会社帰りに利用する駅のホームには大勢の人間が電車を待っている。
よし、ここでちゃちゃっと一善稼ぐか。そう意気込み、必殺順番譲りを繰り出そうと考える。後ろに並ぶ人間は前にいる人間が邪魔で仕方がないので、譲られるとかなりの確率で喜ぶのだ。経験上、断られたことのないこの必殺技で今日はしのぐと決め、後ろに並ぶ人の方へ振り向くが誰もいない。先ほどまで背後に感じた人の気配は、向かい側のホームにやってきた電車に乗り込んでいった。

若干の焦りを感じつつ、やってきた電車に乗り偶然確保した席から車内を見渡す。今日はいつもより乗客数が多く誰が困っているかを満足に把握できない。
すると、隣に座る大学生風の青年が軽やかに立ち上がり、窮屈そうに立っている妊婦に席を譲る。ここでも、また一つ善を先に越されてしまった。
そのまま何もなく、最寄り駅に着いてしまい、数時間駅で粘るものの、困っている人を見つけることができない。一旦諦めて自宅へ退却することに決める。

まずいな。うん、まずい。
最近購入した洒落た壁時計は二三時を示している。あと一時間で今日が終わってしまう。これでは「善は急げ」どころの騒ぎではない。何もかもを差し置いて、最優先で善を急がなければ、この十年連綿と続けてきた善のバトンリレーが途切れてしまう。

もしここで善を積み重ね損ねば、仕事はクビになり、恋人にも振られ、あの頃へ逆戻りだ。善が僕をここまで連れてきたのだ。何が何でも今日中に誰かに感謝されねばならない。

近くにあるコンビニに向かう。
再起を図ろうとコンビニでタムロしている少年たちに何かおごってやろうと考えていたら、予想が当たり高校生らしき制服を着た学生数人がいた。急いで缶コーヒーを買い、ドア付近でわざとらしく「あっれー。買いすぎたな」と呟いた。そして、偶然を装って彼らと目を合わせる。あくまでも自然に「よかったら飲んでくれないか」と手渡す。何人かが「ラッキー」とそれを受け取ろうとしたら、その中で唯一の女子学生が眉をひそめて冷たく言った。

「どなたか知りませんが、タダでいただく筋合いはありませんので」

思いのほか、その一言が効いたようで、僕は肩を落としながら家路に着く。
この十年やってきたことって何だったのだろう。もしかしたら、今までたまたま感謝を言ってもらえていたが、腹の中ではありがた迷惑だと思われていたのかもしれない。僕は善人ぶって、他者のためでなく自分のために善を振りまいていただけだったんだ。

「一日一善」でなく、いつからか「一日偽善」に変わっていた習慣。
ここらで終いにしよう。神様。これからどんな試練が待っていても、甘んじて受け入れるさ。誰かに迷惑がられるくらいなら、自分が不幸になった方がマシだ。

一つ大きなため息をついた時、突然「誰か助けてー!」という声が夜中の住宅街に響き渡る。
その声色には緊迫感が漂い、ただ事ではないと察した僕は瞬時に声のした方角へ顔を向けた。ポケットナイフを女の顔に近づける無精ひげを生やした、まるで熊のような男が「通り魔だ」と言わんばかりの形相でこちらを睨みつけている。双方の距離、およそ十メートル。

そして、僕も叫んだ。「確認だが、本当に助けていいんだな!」ビクッと顔を引きつらせ、少し首を傾げる女は小さいながらも二回頷いてみせた。

僕は腕時計の日付が跨いだことを目視し、缶コーヒーの中身をグイっと飲み込む。その瞬間、夜空に星が瞬いたような気がした。
初めての試練にしてはヘビーだなと思いつつも肩慣らしをし、かつて大学野球界で輝かしい最多盗塁を記録した「盗塁王の鴻鳥」よろしく、助走もほどほどに犯人めがけてロケットダッシュを決め込んだ。

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)