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優しい人

世の中で出会う人たちを、一概に敵とみなして生きてきた。
そんな時期が確かにあった。もしかしたら、今もその呪縛から解き放たれず、そんな暗闇の真っ只中を走っているのかもしれない。
 
それでも、一縷の光が差し込むように、優しい人と巡り合う瞬間は、頑なになった心を解きほぐすようなひと時になる。
人生、捨てたもんじゃない。この時ほど、この言葉が相応しい場面はないのではないかと思うほど。

 
“優しさ”なんていう曖昧な捉え方は、人それぞれ違う。
辛い時に励ましてくれる。嬉しい出来事を自分のことのように喜んでくれる。誰も口にしてくれない一言を憚らずに伝えてくれる。優しさとは、実に多くの種類があるように思える。
 
自らの正体を明かしたくない、あるいは自信がないことの裏返しか、優しいふりをして八方美人のように振る舞いがちな僕にとって、本当に優しい人というのは、相手のために自己犠牲すらいとわない人のことではなかった。
目の前にいる人のことはもちろん、自分のことも同じくらい大切にする。一緒に幸せになろう。そんな人だった。


長期的に誰かと良好な関係を築き続けるのは難しい。
ふとしたことがきっかけで、縁が切れてしまった人もたくさんいた。その中には、疎遠になるべくしてなった人もいたし、関係を継続したくても相手が拒んだり、その逆もあった。
 
生活や仕事で手一杯で、相手には伝えずに心のうちで泣く泣く別れの手を振る。僕はそんな失礼な人間でもあった。
その僕が誰かにとって優しい人間になるなんて、土台無理な話だろう。自らの殻に閉じこもり、それはまるで籠城さながらの様子で日々を過ごす人間が、誰かに求められるなんてことは、万が一にもあるはずがないのだ。

 
そんな器の小さい人間にも、手を差し伸べてくれる人は確かにいた。
輪に入れず、独り遊びを続ける僕に声をかけるなんて。よほどの物好きか、もしくは値踏みでもされているのか、なんて怪訝な顔をしていると、その人は屈託のない笑顔を浮かべている。
ああ。この人はここにいる全員を、もれなく幸せにしたいのかもしれない。僕にはない、その器量の大きさは、想像すればするほど圧倒されるものだった。
 
僕を許してほしい。
そういう人と接すると、独りで勝手に決めつけていた人間関係の諦めを、僕は遠回しに伝えている。
 
「大丈夫。君は君のままでいいんだ。色々な人がいる。君と私は違う人間なんだ。それぞれに違う人間同士が同じ空間にいる時、その人とは傷つけ合うか、わかち合うかしかない。だったら、私は後者を選びたい。それは何があっても、どんな場合であっても。そう思っているだけさ」
 
 
許すというのは、非常に骨の折れる行為なのかもしれない。
謝って済むなら警察はいらない。そんな言葉すらある。もちろん、許されることと許されないことがあるのも承知しているつもりだ。それでも、どんなことでも、自らの過ちを認め頭を下げる人を、決して足蹴にはしたくないと思ってしまう。

その謝罪が偽りか否かは、その後の言動や行動で示されるものだとも思う。
だから、まずは和解の握手を。血の通ったその瞬間から新しい関係が築かれていくのだと、心のうちにひとつの希望を持ちながら。
 

綺麗事だ。世の中、そこまで甘くない。
そう言われても仕方がない。でも、仕方のない人生が僕でもある。何度も間違いをして、多くの人たちに迷惑をかけて、やっとわかったことがこれなのだ。
誰かにわかってほしいなんて傲慢なことは微塵も思わない。だから、せめてその理想を信じて、僕は僕の人生を。いつかまた、真っ暗闇のトンネルをくぐり抜けることになったら、ここに書き連ねた想いを思い出そうと思う。
 
優しいのね。
真の意味で、そう言われるような人になるために。まだ見ぬ人と出会い、誰かを許し、たとえわかり合えそうにない人とも、「今日も空が青いね」って笑えるように。
数えきれない別れと出会いを繰り返して、いつかそんな未来が訪れたのなら、僕も晴れて“優しい人”になれたといえるだろうか。

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)