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しがないイモムシのお話

ここはとある森の中。


一匹のイモムシが、
せっせと葉っぱを食べていました。

濡れた葉っぱにしがみ付いているのは少し大変でした。

一晩中ふりしきっていた雨がすっかり上がって

雲一つない空から太陽が森を見下ろしていて、

点々とした水滴が緑を一層輝かせていました。

大好きなエノキの葉を見つけて、イモムシはご機嫌でした。

ピシッと葉っぱの表面に張り付きながら、

むしゃむしゃと葉っぱを口いっぱいに頬張っていました。

打って変わった晴れ空の中、

無邪気に葉っぱを放り込んだ口をもぐもぐとさせながら

ふと首をくいと上へあげたその瞬間、


一羽の雀が目に飛び込んできました。

雀は、風を切るようにして頭上を一直線に駆け抜けていきました。

「かっこいいなぁ。。もうあんなに遠くまで飛んで行っちゃった…」

イモムシの目線の先で、
かろうじて見える木の天辺に、華麗に着地を決めました。


雀は涼しげな顔をして、木のてっぺんから辺りを見下ろしているようでした。
そんな姿を見ていると、なぜか心の中でふつふつと何かが湧き上がっていくのを感じました。

「僕も...あんな風に飛んでみたい!!」

今まで一度もそんなことを思ったことがありませんでした。

ですが、空高く颯爽と飛んでいく雀の姿がどうしても頭から離れず、

不思議と胸も高揚して、しがみついた葉っぱから手を離してみようとさえ思いました。


その時、口いっぱいに入った葉っぱのことを思い出して、イモムシは我に返りました。

もぐもぐと噛んだ葉っぱをゴクリと飲み込んだ後、

目線を下へと滑らせ、水たまりに映った自分の姿をまじまじと見つめてみました。


「今のままじゃ無理だよな。
 どうすればいいんだろう。」


イモムシは考えようとしましたが、

きっとここにいても答えは出ないだろうと思い、

とりあえず下へ戻ろうと、四方へ葉っぱを伸ばしている枝の方へ

もっそりと身を動かして行きました。


ようやく地に足をつけた時。


『やあ!元気かい?』


同じイモムシのなかまが声をかけてきました。


今はなかまと話したい気分でもなかったのですが、

昂った気持ちを少しでも落ち着かせようと、今の悩みをなかまに話してみることにしました。


「ねえ、君は空を飛びたいって思ったことある?」


『そりゃ思うよ。ちょうになってあちらこちらに飛び回れることを考えるとさ、わくわくするよな。

 きっと気持ちいいんだろうなぁ。』

なかまはいずれ来る未来に目をらんらんと輝かせていましたが、

イモムシは彼の抱いているものに、どこか共感できずにいました。 


「でもさ、ちょうになってもさすがに木のてっぺんまでは飛んでいけないよね。」


『そんなの当たり前じゃないか。

 第一、そんな高いとこまでいってどうするっていうんだい。』

「それは・・・。」

イモムシはそれ以上の言葉が出てきません。

「・・・きっとそれだけ飛べたら、いろんなものが見えて楽しくなるよ!」

『ふーん。よくわかんないけど、そのうち飛べるようになるし、羽根が生えたらやってみな。

 あぁー、蜜の味ってやつがどんな味なのか、楽しみで仕方ないな。

 じゃ、俺はそろそろ行くわ!』


「うん、じゃぁね。」


イモムシは、自分と同じようにのろのろと歩く仲間をじっと眺めながら、

頭の中にもやがかかったような感覚からなかなか抜け出せずにいました。


たしかにこのまま待っていれば、いつかは飛べるようになる。

でも、それでいいのだろうか?

しばらく一人で考え込んでいましたが、

自問自答するばかりで、なにも進みません。

悩んでいることに少し疲れてしまって、

ごろんと仰向けになってひんやりとした土に背中をくっつけて、

考えることをやめて目を閉じました。


すると、

ブンブンと音を鳴らして飛んでいる存在に気づきました。

イモムシは目を開きました。

目を凝らしてみると、

せかせかと羽音を鳴らしている黄色いそれが、みつばちだということはすぐに分かりました。


下からじっと据えられた目線に気づいたみつばちは、

イモムシのくたびれたお腹を一瞥すると、ゆっくりと下へと降りてきました。

『こんなところで寝転んで、何しているんだい?』

「べ、別に。何にもしてないよ」

みつばちは、イモムシの声がいつもみたいに活発でないことに気づき、

イモムシの顔を覗き込みました。

『どうしたんだい、珍しく元気ないじゃないか。』


「うん、ちょっといろいろ考えちゃって。

 今日も忙しそうだね」

『まあね。今は食料のかき集め時だし、みんなあちこち駆け回ってるところだよ。』


「そっか。なんだかすごく大変そう。」


『いやいや、そうでもないよ。

 こうやって家族のために蜜を運んでいると、何もしてない時よりも気持ちがいいんだ。

 ま、たまに疲れて、その辺の枝葉でボーッとしてる時もあるんだけどね。』

イモムシは気持ちよさそうに汗を流しているみつばちを素直に尊敬していました。

優しげな笑みを浮かべているみつばちに、思い切って打ち明けてみました。


「ねえ、どうやったら空を飛べるようになるの?」


『空を?あまり意識したことはないから、説明しづらいな。』


「じゃあ、何かこう、コツがあるとか」

『コツねぇ。羽根が生えたときも無我夢中だったからな。

 正直、どうやって飛べるようになったかはあまり覚えてないんだ。

 まあ、君も成長して羽根が生えてきたら、きっと何不自由なく飛べるように』

「そうじゃない!今飛びたいんだ!」

イモムシは大きな声で叫んでしまいました。

羽根がない中で飛ぶのはもちろん無謀でした。

普段なら、今は無理だと説明するだけで済む。

ですが、みつばちは、イモムシから放たれた言葉にとても強い意志を感じ取りました。


『どうしたんだい。悩んでることがあったら、なんでも言ってごらん。』


みつばちは優しく語りかけました。

温かい表情で見つめられたイモムシは、冷静にゆっくりと話始めました。


「今日、雀が空を駆け抜けていくのを見たんだ。

 雲にも届きそうなくらい高く飛んでたよ。

 ビューっと頭の上を通ったかと思えば、

 普段僕が登って葉っぱを食べてる草木なんかよりも何倍も高い木のてっぺんに、ヒョイっと乗ったんだ。

 すごかった・・・。

 僕もあんな風に飛んでみたいって、そう思ったんだ。」

みつばちは一言も挟むことなく、じっと話を聞いていました。

そしてしばらくイモムシの目を見つめながら、同じようにゆっくりと口を開きました。

『そうかい。大きな夢を抱くのはいいことだ。

 そうだ、君の夢のために、とてもうってつけなのがいるよ。』


「本当に!?」


『ああ。

 この道をずっと真っ直ぐに進むと、クヌギの木々が生い茂っている森に出会う。

 そこで生活しているちょうに、相談してみるといい。

 きっと話を聞いてくれるよ。』


みつばちから

イモムシは目を輝かせました。


『さあ、お行きなさい。

 そう遠くはないよ。』


「ありがとう!行ってみるよ!」

イモムシはお礼を言うのも束の間、

みつばちから教えてもらった方向へと、ノロノロと歩き出しました。


『あとそれから・・・』


みつばちは何かを言いかけたので、イモムシは振り返りました。

『いや、なんでもない。

 道に迷わないように気をつけなさい。』


みつばちの温かい表情をみて、イモムシは安心すると同時に、

その笑みがどこか寂しげに映ってもいたのでした。

ですが、イモムシにとってはせっかく光が差し込んできたところです。

みつばちから示してもらった道へ顔をスッと向け、

再び歩き始めました。


今から空を飛ぶなんて、無理かもしれないと思っていた。

でも、これからそのヒントをもらえるかもしれない。

イモムシは期待を膨らませながら、一歩一歩と踏み締めて行きました。

大好きなエノキの草があっても、見向きもせずに歩き続け、

みつばちが示してくれた少しの光を頼りに、

ひたすらに真っ直ぐ歩き続けるのでした。


するとそこへ、

突如として大きな何かが、イモムシの目の前にいくつも降ってきました。

あまりに唐突な出来事に、イモムシは一体何が起こったのか暫く分かりませんでした。

視線の先に降り立った大きな物体たちは、

みな一様にバサバサと体を大きくうねらせています。

よく目を凝らしてみると、

突然現れた生き物の正体は、なんとあの朝に見た、雀でした。

自分よりも遥か上にいるはずだった存在が、

歩いていた道に突然現れたことに、驚きも喜びも混じって、


イモムシは身動きができず、震えながら、ただただ雀たちを見つめているのでした。

すると、


『・・・何見てるんだよ。』


イモムシの視線に気づいた一羽の雀が気怠そうに話しかけました。

イモムシはぎょっと驚いて、身体が棒のように固まってしまいました。

「あの・・・」

『なに?』

声を絞り出そうにも、

砂に埋れてしまったようにうまくいきません。


「い、いま、なにをして・・」

『なんだって!?全然聞こえやしねぇ。

 今忙しいんだ。邪魔してくるなよ』


イモムシなどには目もくれず、

雀は羽をひゅっと広げたかと思えば、

さっきよりも一層勢いよく、捻るように身体をばたつかせました、

巻き上げられた砂が、さらりと吹いた風に乗って

イモムシの顔まで降りかかってきました。


すっかり心が怯んでしまったイモムシでしたが、

雀が空を一直線に駆け抜けていった光景がふっと頭をよぎりました。

忘れていた気持ちが吹き返していくのを感じて、

勇気を振り絞って、深呼吸をして声を上げました。

「僕、君達みたいに空を飛びたいんだ!!」

その場にいた全員が振り返るほど大きな声でした。

みなの視線が一気にイモムシのもとへ集まりました。


一体何事なのか、と囁かれる中、

初めに話しかけた雀が、グイグイとイモムシのもとへ近寄りました。


『お前、イモムシだよな』


「う、うん」

『俺たちみたいに飛びたいのか?』

「うん!君たちが空を駆け抜けるのを見たんだ!
 僕もあんなふうに飛んでみたい。」


すると雀はニヤリと笑って、


『そうか。

 そんなにお望みなら仕方ない。

 俺たちが飛び方を教えてやるよ。』


「本当?!」


思いがけない展開に、イモムシは跳び上がるほど嬉しい気持ちになりました。

『おい!ちょっと誰か来てくれ!』

大きな声で仲間に声をかけると、


2、3羽の雀がやってきて、なにやらヒソヒソと話していました。


そしてこちらの元へやってきた雀たちは、

ざっと地を蹴ってどこかへ飛んで行ったかと思えば、


数枚の葉っぱを咥えてさっと戻ってきました。


『その葉っぱを持って、あの真ん中の広いところまで一緒にこい。』

雀はそう言って、仲間の雀たちのいる真ん中の方へ、

イモムシを案内しました。

『今から俺たちがどうやって飛ぶのかを教えてやる。

 けどお前には羽がないだろ?

 だから、そこにある葉っぱを使いな。』


突拍子もない提案に、イモムシは戸惑いを隠せませんでした。

「葉っぱなんかで飛べるかな・・・。」


『疑ってるのか?

 この俺が教えるんだ、こんなもんでも間違いなくお前も飛べるようになるぜ。

 なーに、そう時間はかからないさ。

 俺を信じろって。』

葉っぱを使って空を舞う姿はとても想像できませんでしたが、

とにかく雀のことを信じてみようと、イモムシは葉っぱを手に取りました。

「わかった!」

イモムシの決意を確認すると、雀は顔をニヤつかせてそばへ近寄りました。

「さーて、楽しい時間が始まるぜ」

雀は翼を広げて、ヒョイっと宙返りをしました。

「うわぁ、すごい。

 僕もそれできるかな!」

『ハハッ、こいつはお前にゃ無理だ。

 基本だけ教えてやる。

 飛ぶ時はこうやって・・・』


雀は、翼の動きを事細かに説明して見せました。

もちろん、イモムシにとっては初めてのことばかりで、

頭を空っぽにして、ただ葉っぱの柄をギュッと握り締めて

必死に雀のいうことを聞いて手を動かすのでした。


『そうそう!そういう感じだ!』


合間に雀が褒めてくれるのもあって、


イモムシは夢中になりました。


『よし、だいぶいい動きするようになったぜ。

 もう飛べるはずさ!』


「もう飛べるの?!」

イモムシは目を輝かせて雀にききました。

『あぁ。もう大丈夫だ。

 どれ、早速テスト飛行といくか。

 おい!!こいつをその木の枝に連れてってやれ!』

雀が声をかけると、

また数羽の仲間がイモムシの元へ近付きました。

「ほ、本当にもう飛べるのかな。

 僕まだ練習しなきゃいけない気が・・」

『大丈夫だって!

 けっこういいセンスしてたぜ?

 ほら!行ってみろ!』


数羽の雀たちは、不安がるイモムシの身体をぐいと掴んで、

クヌギの木のそばに生えていた、少し背の低い木の枝の先へ連れて行きました。

緊張した面持ちのイモムシへ向かって、

飛び方をレクチャーした雀は相変わらず乱暴に叫びました。

『おい!!準備はいいか!?

 練習でやったことを忘れずに、しっかり葉っぱを動かすんだぞ!?』


「うん!わかった!」

イモムシは深呼吸をしました。

本当に自分が飛べるのか?

もし飛べたら、きっと夢見心地だろう。

そう思って、不安と期待を胸に、

ついに決心しました。


「よし・・・。きっと大丈夫。いくぞ!」


自分に言い聞かせて、意を決して、枝葉をグイッと蹴って宙へ飛び出しました。

目を閉じて、必死に手足をバタバタとふって、

雀のように飛んでいる姿をイメージしました。


それも束の間。

ほんの少しだけ、お腹の方からずっと風を切るのを感じていることに違和感を覚える間も無く、

ドンッ!!!


あまりにも勢いよく土に打たれ、声すら出ませんでした。

痛みで意識が飛んでしまうかと思いましたが、

かろうじて目を開けることができました。


そこにはいつもと変わらぬ、地面の上を這っている時の景色が広がっているだけでした。

一つだけ違ったのは、

ゲラゲラと笑ってこちらをみている雀たちの姿でした。

『ワッハッハ!!本当に飛びやがったよこいつ!!

 羽もないのに飛べるわけなんかねぇだろ!!』


雀たちの中に枝から真下へと一直線に落ちていったイモムシを心配するものなどいるはずもなく、

砂の上でバサバサと身体をよじらせて笑うばかりでした。


イモムシは雀たちの笑い声すら聞こえず、ただその場にぐったりと倒れていることしかできませんでした。

周りの木々も茶色い砂も、雀の姿も、全てがぼんやりとして、絵具の混ぜたような色に見えました。


『お前に羽が生えてきたらまた教えてやるよ。

 その時には、もっと上質な葉っぱを持ってきてやらねぇとな。

 いくぞみんな!!』

そう吐き捨てるように言うと、

雀の大群はバサバサと羽を広げて去って行きました。

辺りはしんと静まり返って、

聞こえるのは、イモムシの泣き声だけでした。

イモムシは、いまだに葉っぱをぎゅっと握りしめていたことに気付いた途端、

スッと体に力が入らなくなりました。

葉っぱがイモムシの手足からするりと抜け落ちると、

そっと音もなく、土の上に被さるのでした。


全身から感覚がなくなってしまったかと思いましたが、

しばらくしてから、

イモムシはようやく土の冷たさを感じると、

どすんと打ち付けたお腹を土に押し当てているのも嫌気がさして、

痛みをこらえてごろんと半回転しました。

いくらか瞬きをしてみると、

木々の緑の隙間に、ほんの少しだけ青空が見えました。

ゆらゆらと揺れる枝葉の間から漏れた太陽の光が眩しくて、

きゅっと目を細めました。

すると、差し込んだ光を縫うようにして、

綺麗な青色がひらひらと舞い降りてきました。

『大丈夫?』


話しかけてきたのは、美しい青色の羽根を持った一匹のちょうでした。


『クヌギの森にいるちょうに相談してみるといい。』


イモムシは、みつばちの言葉を思い出しました。

とはいうもの、

目の前にいるちょうの美しさは、今のイモムシにとっては無色同然の存在となっていました。

驚きも感動もそこにはなく、青々とした輝かしい羽根も、モノクロのようにしか感じました。

イモムシはもう何をする気力もなくなっていたのです。

空を駆け抜けた雀に抱いた夢も、

思いがけずみつばちがくれた道筋を頼りに積み上がっていた期待も、

今となっては涙と一緒に流れてしまっていたのでした。

ぐったりとして一言も喋らないイモムシに、ちょうは優しく語りかけました。

『あなたのことをずっとみていたわ。

 ずいぶんひどい目に遭ったわね。』


「・・・もういいんだ。僕がバカだったんだ。」

『ぜひあなたに見せたいものがあるの。

 ついてきなさい。』

イモムシはぷいと顔を背けたままでした。

ぶっきらぼうなイモムシへ向かって、ちょうはふわりと羽根を広げ、そっと近付きました。

『今のあなたは、ただ光に目を瞑っているだけ。

 あなたが目を開いて、手を伸ばせば、

 必ず答えは見つかるはずよ。』

「光?」

『さあ、こっちへおいでなさい。』


今はもうどうでもいい。

どこにも行きたくないんだ。

心の中では、そう何度も呟いていたのですが、

ちょうが放った「光」という言葉に、

自分の胸がトクンと小さく鳴るのを感じました。

それと同時に、

まるで霧がだんだんと晴れていくようにして、鮮やかな色彩がちょうの羽根へと映し出されるように感じました。

気づけば、不思議と身体がちょうの誘う方へと向かうのでした。

ちょうの後を歩いている間、イモムシはずっと下を向いていました。

そして、雀たちとのことを思い返していました。

思い描いていた理想は、

枝葉からパッと身体を離したあと、ほんの一瞬で砕け散ってしまった。

ちょうがどんなものを見せてこようとも、

きっと心は真っ暗なままだ。

ですが、イモムシはふと思いました。

あの時、なぜ雀に惹かれたのだろう。

彼らように飛べるようになったとして、

一体その後に何がしたかったんだろう。

今までそんなこと思いもしなかったのに。

僕は光に目を瞑っている。

あれは一体どういう意味なんだろう。

答えが出ないまま頭の中でぐるぐると考えている間に、

周りにクヌギの木々が点々と生茂る雑木林に入りました。

イモムシは、それに気付かずに俯いたまま歩き続けていました。

すると、ちょうはスッと進行するのをやめて、イモムシの前にひらりひらりと降り立ちました。


『さあ、前をごらんなさい。』


考え事をしていたイモムシは、ちょうに話しかけられてはっと我に返りました。

ずっとぼんやりと眺めていた地面から目線をちょうへ移そうと、くいっと頭をあげてみました。

ここは一体どこなの?

と聞きかけたとき、


「うわぁ・・・。」


目の前に広がる光景にイモムシは言葉も出ずに見惚れました。

そよ風に揺られたクヌギの木が、

大きな幹からイモムシたちを優しく抱くようにして枝葉を伸ばしており、

陽の光を受けて透き通った無数の葉っぱはエメラルド色に輝いていました。


イモムシの心を一層動かしたのは、

緑の中をゆらゆらと飛び交う、ちょうたちの姿でした。


何匹ものちょうが空中をゆったりと舞い、

キラキラと輝く葉っぱを背景に、光芒のように入り込んだ光に包まれていました。

温かい陽光を纏った羽根の模様は、イモムシの目に優しく映されました。

空より深い青色を真ん中に据えて、外側の柔らかい土の色へと滑らかに色を変えていくような模様を見ていると、

イモムシの心も、太陽の光に暖かく包まれるようでした。


『こんな景色に出会うのは初めて?』


「うん。いつも葉っぱを食べることに夢中で。」


『うふふ、たくさん食べるのはいいことね。

 あなたもきっと、いいちょうになれると思うわ。』

イモムシの意識は眼前に広がる景色へと没入していました。

かろうじて残っていたちょうの存在に対する意識をそっと抱えるようにして、

ちょうはまた語りかけました。


『あなたは、光を閉ざされたと思っているかもしれない。

 でもそれは違うわ。』

イモムシは自分の心を見透かされているような気がして、

少しぎくりとして、隣のちょうの方を振り向きました。

「どういうこと?」 


『あなたの目の前にいるちょうたちを見て、あなたはどう思った?』


「・・・すごく綺麗だと思った。こんなに綺麗な光景に囲まれたのは初めてだよ。

 なんだかよくわからないけど、すごく心地がいい。」


『そう。

 じゃあ、さっきの雀たちと会った時には?』


イモムシはその問いに答えることができませんでした。

雀が空を駆け抜ける光景を見てから、

自分も雀のように飛ぶことをイメージして、期待を膨らませていた。

雀のように空を飛びたい。

その気持ちの理由をイモムシは見出すことができませんでしたが、

ただ一つ確かなのは、

雀を見たその時に心に湧き上がった感情と、

目の前のちょうたちを見て心から溢れ出るそれは、何かが違うということでした。


『何かに憧れることは悪いことではないわ。
 
 希望や夢は力となってあなたを支えてくれる。

 けれど、あなたの中に光があることも、決して忘れてはいけないの。

 遠くに見える眩しい灯りだけ見ていてはだめ。

 大事なのは、あなたの中に秘めた光を信じてあげることよ。』


「僕の中の光?」


『そう。

 今はまだ見えないかもしれない。

 だからこそ、あなた自身の中に秘めた光を、懸命に探してあげるの。

 どんなに暗闇の中を彷徨ったとしても、

 必死に目を凝らした先に、煌々と輝くものが必ず見つかるから。』

ちょうの言葉を受け止めたイモムシは、

緑の中を舞っているちょうたちに姿を、ただただじっくりと見つめているのでした。

あれから数日、

イモムシは元の住処へ戻っていました。

お気に入りの植物を見つけては、

せっせと葉っぱを食べていました。

時々空を見上げたイモムシの目線の先に、

雀がひゅっと、目の前を飛んで行きました。

イモムシは、雀を大きく取り囲んだ青空を見つめました。

カンカンと照る太陽が眩しくて、きゅっと目を細めました。

そよ風が吹いて、イモムシは葉っぱと一緒に揺られながら、深呼吸をしました。

そして、口いっぱいに頬張ったものをゴクリと飲み込んで、

まだまだ、と言わんばかりに葉っぱをむしゃむしゃと食べ始めました。

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