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クネルスドルフの戦いの後、フリードリヒ大王が書いた遺書のような手紙


Frédéric au comte de Finckenstein, (Oetscher), ce 12 (août 1759)

J'ai attaqué ce matin à onze heures l'ennemi. Nous les avons poussés jusqu'au cimetière des juifs, auprès de Francfort. Toutes mes troupes ont donné, et ont fait des prodiges; mais ce cimetière nous a fait perdre un prodigieux monde.Nos gens se sont mis en confusion; je les ai ralliés trois fois; à la fin, j'ai pensé être pris moi-même, et j'ai été obligé de céder le champ de bataille. Mon habit est criblé de coups. J'ai deux chevaux de tués. Mon malheur est de vivre encore.Notre perte est très-considérable. D'une armée de quarante-huit mille hommes, je n'en ai pas trois mille dans le moment que je parle. Tout fuit, et je ne suis plus maître de mes gens. On fera bien à Berlin de penser à sa sûreté. C'est un cruel revers, je n'y survivrai pas.Les suites de l'affaire seront pires que l'affaire même; je n'ai plus de ressources, et, à ne point mentir, je crois tout perdu. Je ne survivrai point à la perte de ma patrie. Adieu pour jamais.

フリードリヒからフィンケンシュタイン伯爵へ
(Oetscherより)この12日(1759年8月)

我が軍は今日の午前11時に敵を攻撃しました。フランクフルト近郊のユダヤ人墓地※1 へ追い詰め、全力で攻撃するも壊滅し有り得ない事となったのです。我が軍は大混乱におちいりました。私は3回反撃を試みましたが、捕縛されるかもしれないので戦場から退却せざるをえなくなりました。私の上着は銃弾を浴び、馬は2頭射殺されました。私の不幸は、まだ生きていることです。私たちの損失は非常に大きく、四万八千人の軍隊のうち私が話している間にも三千人もいません。

全ては失われていく!※2
もはや私は民の主ではないのです。ベルリンは安全を確保する必要があります。無慈悲にも力尽き、私はもう生き延びることは出来ないないでしょう。壊滅そのものよりその結末のほうが悲惨となると思う。もはやなすすべはなく、正直なところ私はすべてを失くしてしまったと思っています※3 私は祖国を失ってまで生きることはできない、永遠にさようなら!

補足

※1 どうもJudenberge (ユダヤ人の山)と呼ばれる場所であり、ユダヤ人墓地 (Judenkirchhof)ではないらしい。ここの高台にロシア軍は陣を構えていた模様。

※2 原文は「Tout fuit」で《すべて逃げていく》、なので兵の逃亡のことを指していますが、その後の内容から兵の逃亡と自分の運命が失われて詰んだこととリンクしてると思われたので、どちらにもとれる《すべては失われていく》としました。

※3 8/16のマーシャル卿へのお手紙でも「Mon cher mylord, la fortune me tourne le dos et ne me seconde plus; c'en est fait.」《親愛なる閣下、運命は私に背を向け、もはや私を助けてはくれない》と絶望のどん底に。

場所

クネルスドルフの戦い(ドイツ語:Schlacht bei Kunersdorf)は、七年戦争中の戦いであり、1759年の8月12日、フランクフルト・アン・デア・オーダーの東に位置するクーネルスドルフにおいて、 4万9000のプロイセン軍と7万1000の露墺連合軍が戦闘。フリードリヒ大王にとって最大の敗北となった。(ウィキペディアより)

登場人物

フィンケンシュタイン伯爵

カール・ヴィルヘルム・フィンク・フォン・フィンケンシュタイン
1714年2月11日-1800年1月3日
プロイセンの国務大臣、在スウェーデンのプロイセン大使。フリードリヒ大王とは幼馴染。
7年戦争中は、国王にもしもの時があった場合の国政を密かに任せられる。



あとがき

クーネルスドルフの戦いで大敗した後に書いた有名な遺書のようなお手紙なので、あちこちで翻訳しつくされてますが私なりに頑張ってみました。
訳した感想はかなり感情的なお手紙で、いつもの妙な言い回しも比喩もなく、どストレートなあたりが訳しやすかったと同時に絶望の深さを感じさせました。

コサック兵に囲まれて覚悟を決める大王の図

コサック兵に囲まれて絶体絶命なところをプリットヴィッツ騎兵大尉に助けられて退却しようとするところ。ちなみにプリットヴィッツさんは大王が亡くなった時に看取ってあげてます。

おまけ
クーネルスドルフの戦い勝利!!のラウドン閣下の絵。
ウィーンの軍事博物館も7年戦争の取り扱いは控えめでしたがラウドン閣下の騎馬の絵画はデデん!と飾ってあった。
※かたや大王は絶望のどん底中

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