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2022年9月

読んだ本:6冊


ユリイカ 菌類の世界ーきのこ・カビ・酵母ー
青土社
魅惑の存在、きのこ。
特集号と聞いて小躍りして書店にはしる。
姿形のおもしろさ、毒が在ったりなかったりするあやしさ、そんなところに魅惑されてきたわけだけれど、最近では自然界での役割や他との関係性に興味がでている。知れば知るほど面白い。そのうえまだまだわからない。
掲載文の多くで「そもそも菌類とは何か」が語られていて、専門家の目には一般での認知度が相当低く見えるのだなあと切なくなった。専門家の主張も細かいところを見ていくとまたあらそいがありそうな。研究というのはそういうことであるか。
『菌類と「食べる」ということ』きのこ葬、興味ある。きのこに分解されて土に還る。わたしがわたしでないものになるけれど、わたしでなくなった先で、なにか思いもよらぬ元●●と手をつなぐこともあるのかもしれない…と幻想脳がうずく。
『菌類を巡るヘッケル的夢想』どこを掴んでひとつと数えていいのか分からない=どこを切れば死んでしまうのか分からない=生物としての本質がどこかわからない。ぞくぞくする。無限のものになりたいのかもしれない。
地衣類や粘菌に触れた文章の端々から滲む「しらないものは見えない、気づけない」。形あるものだけでなくて概念とか心とかの認識・認知にもまったく同じように当てはまることだ。見て学ぶことはあるけど、そもそも見えてない可能性について肝に銘じておきたいもの。


世界の看板にゃんこ
新美敬子/河出書房新社
猫って、すきかってなところにいるもんなんだなあ。
動物のことは動物としてすきだけど、猫だろうが犬だろうが獣は獣だと思ってるので、とくに食べ物のそばで我が物顔をしている姿にはぎょっとする。この店はやめとこ…となるな、自分は…と、タイトルに尻を向けるような感想になってしまった。


もっとすごすぎる天気の図鑑
荒木健太郎/KADOKAWA
第一弾がとてもよかったので第二弾も。
彩雲を見つけられそうで見つけられない最近です。
落雷一回のエネルギー量となんで利用しない(できない)のかを知れてすっきり。
グリーンフラッシュは映画で見たことあるきがするぞ。(映像はCGにしろ)空想の産物かとおもってたけど、あるんですね。


中国怪談集
中野美代子、武田雅哉(編)/河出書房新社

おそろしいので詳細は省くが、偽物サイト対策のキーワードに大笑いしてそのおそろしさをおもいだして。再読しようと思ったのにどうしても見つからない。 三日ほど、広くもない家の中を捜索したのに見つからない。買い直した。おそろしい。


日本人ときのこ
岡村稔久/山と渓谷社
日本人ときのこというより、日本人と松茸みたいな本である。
この国では、松茸と親しい人たちによっていろんなものが遺されてきた証拠かもしれない。自分ではあんまりたべたことがなく、そういうわけで特に興味がわかない存在、松茸。松茸など買う余裕がないせいとおもっていたが、それだけじゃなくて食文化のなかにそもそも松茸がない地域で生まれ育ったせいかもしれない、と。鮮度のおちないうちにと夜市で競られたというのは、なんというか、あっぱれだ。
いまは初茸が気になっている。


歴史の中の多様な「性」ー日本とアジア 変幻するセクシュアリティ
三橋順子/岩波書店
松涛美術館の「装いの力 異性装の日本史」で図録と一緒に購入。展示は異性装という現象があることはわかったけど、それで…?と物足りなさがあったので、補完できたらいいなという思惑があった。
突如差し挟まれる自分語りに面くらいつつ、視界が一段クリアになった気持ちのする本。
認識と知識はアップデートしないとだめね。
現代の「同性愛」「LGBTQ」問題や感覚を以前の、特に前近代のそれとごっちゃにして語ることはできないという基本姿勢に大きく頷き納得した。実体験を含めた多様な事例紹介もどれもとても興味深い。
それにしても、個人の思考はともかく(これを探るにはむしろ日記がある)、大衆のなんとなくの共通意識や時代の空気を歴史として浮上させることのなんとむずかしいことか。
ひとことも出てこなかったけど、シェイクスピア劇の女形についてはどう位置付けるつもりなのか。つもりがあるのかないのか。 それから、ミソジニーとミサンドリーの問題。性にまつわるアイデンティティが100%生得的なものでないとするなら(自分もそう思う)絡んでくるように考えているけど、論考からうかがい知ることはできなかった。
二点、自分の乏しい知識のなかからながらちょっと引っ掛かりを残している。ただ、後者は別の視点から語られるべきことかな。