児嶋草次郎さん(大阪185日目)
10年前から宮崎と神戸はカーフェリーで繋がっている。
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そしてこの航路ができたことがきっかけとなって、神戸・三宮商店街の皆さんと、さまざまな交流が行われている。その中核を担っていただいているのが「KOBE三宮・ひと街創り協議会(会長:久利計一氏)」。商店街のアーケードを使った物産展や観光PRにご協力いただいたり、子供たちの交流なども行われている。
また、商店街のみなさんが、毎年宮崎の歴史・偉人について学ぶ会といった取組までしていただいている。
今年は「児童福祉の父・石井十次」がテーマ。
石井の名前は、宮崎県民と岡山県民以外には、あまりその名を知られていないのかもしれない。
ものすごく簡素化して石井十次の軌跡をまとめると
・1865年、宮崎県児湯郡上江村(現在の高鍋町)生まれ。
・岡山の医学学校へ入学。
・診療所で実習中、貧しいお遍路の母子に出会い、その子供を預かる
・身寄りのない子を次々に引き受け、児童救済事業に取り組むことを決意
・結果、わが国で最初の本格的な孤児院となる(最大1200人を受け入れる)
・活動の最大の支援者は、倉敷紡績(現・クラレ)の御曹司・大原孫三郎
・その後、石井は故郷宮崎に戻り、孤児のための理想郷づくりに取り組む
と、ここまでが石井十次の物語。
これに大原孫三郎や児嶋虎次郎の物語もリンクしていく。
・洋画家・児嶋虎次郎は、大原から奨学金の提供を受け、欧州に留学
・児嶋は、石井の長女と結婚
・児嶋は、たびたび欧州に渡り、大原の資金で大量に洋画を買付ける
・1930年 倉敷市に、日本最初の西洋美術館・大原美術館が建設される
いろいろな偶然や縁があって、最後は美術館建設という話につながっているという不思議。まあでも世の中ってそういうことで回っている。
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ところで、今回、石井十次のことを学ぶにあたって、講師を務めて頂いたのは、石井十次の曾孫、つまり児嶋虎次郎の孫にあたる児嶋草次郎さん。草次郎さんは、先祖たちの意思を引き継ぎ、現在「石井記念友愛社」の理事長を務め、児童養護施設や保育園、障がい者養護施設、介護施設など多くの福祉事業を展開されている。
事前の学びとして、石井十次が重要人物として登場する小説「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯/城山三郎」を読んだり、商店街の皆さんと一緒に、岡山の孤児院跡や大原美術館を訪ねたこともあって、草次郎さんのお話はいろいろと沁みた。
・草次郎さん自身、孤児と一緒に育ち、自然と施設運営に携わったこと
・石井十次がチャーミングな人であったように草次郎さんも素晴らしい人格者
・現在の児童養護施設では、孤児ではなくDV被害を受けた子や発達障害の子がほとんど
・一人ひとりに合った教育に注力し、現在は大学進学者が増えている
・子どもに何かあったらすぐ戻れるように一生海外には行かないと決めている
・・・などなど
これまでは「児童福祉の父」というキャッチフレーズだけが石井十次に関する知識の全てだったが、歴史を学び、また曾孫である草次郎さんの現在の姿を知り、その哲学に想いをはせることで、より立体的に石井十次の偉業を実感することができた。