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70年万博を振り返る(大阪99日目)

1970年開催の日本万国博覧会(通称:大阪万博、EXPO’70)を調べると、色々と興味深いことがわかってくる。たとえば、半世紀前と今回の表層部分を、大掴みで比較してみるとこんな感じ。

●1970年万博
・外国の情報が一般には届きにくい時代(例:「地球の歩き方」1979年創刊)
・大多数の日本人は外国に行ったことがない(出国日本人数 年66万人)
・大多数の日本人は外国人を見たことがない(訪日外国人数 年85万人)
・参加国数:77ヶ国、4国際機関、1政庁、9州市
・開催期間:3月15日~9月13日(183日間)
・来場者数:6,421万人
・企画の中心にいた人たち
 丹下健三(プロデューサー)
 岡本太郎(テーマ館総合プロデューサー)
 梅棹忠夫・小松左京等(基本理念づくり) 等

●2025年万博
・インターネット経由で世界中の情報が溢れている時代
・日本人が外国に行くことは珍しくない(出国日本人数 年2008万人)*コロナ前
・外国人の観光客や労働者が身近にいる(訪日外国人数 年3118万人)*コロナ前
・参加国数:160ヶ国、9国際機関
・開催期間:4月13日~10月13日(184日間)
・想定来場者数:2,820万人
・企画の中心にいる人たち
 森下竜一(総合プロデューサー)
 小橋賢児(催事企画プロデューサー)
 藤本壮介(会場デザインプロデューサー)
 宮田裕章・福岡伸一・小山薫堂・河瀨直美等(テーマ事業プロデューサー)


よく、70年万博の「良き面」として語られるのは、SF作家・小松左京や文化人類学者の梅棹忠夫が構想段階から参加し、「人類の進歩と調和」というテーマ設定や草案の策定に関わったという話。つまり、70年万博にはしっかりとした理念があったと。だから成功したのだと。

実際、来場者数は想定を大きく越え、万博がきっかけとなって日本の国際化が加速化したこと、新しいモノやサービスが一気に普及したことなど、多くの成果があったのは間違いない。

ただ、ネガティブな情報を拾ってみると、開催前の世論は決してウェルカム一色ではなかったし、建設現場では多くの事故が発生し(死者17名)、開会後も食中毒や動く歩道での転倒、太陽の塔への立てこもり事件など、連日のように事件・事故が起き、コンパニオンや現場スタッフは酷使され、閉会後も跡地利用等で何度も揉めていて、決して誇らしい万博という面ばかりではなかったようにも思える。

たぶん半世紀という時間が流れる中で、ネガティブな面が相当程度整理・浄化され、ポジティブなイメージがより多く残ったということなんだろう。

何にせよ、55年前とは社会情勢や価値観が大きく変わった2025大阪関西万博が目の前に迫っているのであり、できるだけポジティブに関わっていけるように考えていきたいと思う。


余談。
1980年代の空気をまとった新しいマクドナルドのCM。いい意味での「40年前と変わってない!」がいっぱい。そして企業同士の信頼関係がとっても良い。
あした、ビックマック食べよう。ポテトとコークで。

↓本家



(メモ)
・KITTE関係協議


スープとかゼリーとかちょっと汁物多めで


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