GWに歴史を考えてみる
今年のゴールデンウィークは、期せずして「歴史についてあれやこれや考える」ウィークとなった。
きっかけは、ゴールデンウィーク突入直前に、Podcast番組「コテンラジオ」の織田信長特集(全12話)を聴いたことだった。織田信長という1人の人物を描くために鎌倉時代からの800年の「武士の歴史」を語り倒すというこの試みは(この番組では往々にしてあることだが)、「歴史とはどの視座から眺めるかで捉え方が全然変わってくる」ということを教えてくれる。
https://cotenradio.fm/category/s24-織田信長/
その流れで、撮り溜めていた「鎌倉殿の13人」を最新話まで一気見し、子ども用に買っていたマンガ日本史を引っ張り出して、平清盛・源義経・源頼朝・木曽義仲・北条政子の分を読んだ。
三谷幸喜の大河ドラマが面白いのは、歴史上の事象を踏まえつつ、登場人物たちの人物造形を巧みに創作して、点と点の繋がりの部分で現代にも通用する物語性を持たせていることなんだろう。800年も前の人々の営みが、今の自分たちの営みの延長上に感じられる。直近のドラマで言えば、上総広常の書の練習や源義高のセミ収集のエピソード(どちらも人としての可愛げを感じさせる)を挟むことで、その後の悲劇性を際立たせている。
さらにその流れのなかで「世界史の考え方」を読んだ。
「世界史の考え方」は、今年4月から始まった高校のカリキュラム「歴史総合」への期待感を込めて、歴史学者たちが対話(といってもかなり論文調なのだけど)を重ねたもの。新しい視座が生まれることで、これまでの「歴史」の捉え方が変わっていく議論が面白い。
例えば、印象的だった以下の一説。
この部分だけ読むと、それほど新鮮味はないかもだけど、この前後の部分は戦争責任だとか植民地責任という国際秩序に関する記述であって、ふとそこに「歴史の渦中にある人として言外に想念されるのは男性」であると指摘し、主体としての「個」の問題を改めて提示することで、議論の視界がパッと広がるとても印象深い一説なのだ。
今を生きる我々は、過去の出来事について、様々な書物によって、こういう出来事があった、こういう事件や戦争があった、と知る。そこで意識しなければならないのは、「書き手」の視座だと気付かされる。どの時代の、誰が、どういう視点で記述した歴史なのか。1つ1つの事象だけではなく、時代性や地域性を長く広く捉えて俯瞰的に考える必要性を同書は繰り返し説く。
フランス革命と明治維新の共通項と相違をその前後の社会の変化から考えたり、世界に流通する商品(例えば砂糖)や移民という視点から近代史を眺めたり、空爆の変遷から戦争責任を考えたり、ホロコーストをイスラエル視点で考えたり。そういう新しい視座を得ると、思いもよらないような歴史の姿が立ち上がってくる。
ところで、今回新たに設置された教科「歴史総合」は、「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉え、資料を活用しながら歴史の学び方を修得し、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を考察、構想する科目」と位置付けられている。
知識偏重の学びを、いかにして考える(いわゆる探究の)学びへと変えていくか。こんな教科であれば自分も積極的に学んでみたいなあ。
永原先生はこうも書いている。
環境問題、コロナ禍、ウクライナ問題など、現在進行形で歴史は続いている。いやそういう世界規模な課題だけではなく、日々の暮らしの中にも未来に発掘され、認識される歴史のタネはある。子どもたちが新しい視座を獲得しようとしている今、オトナたちも学んでいかネバダバダ。