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スラムダンクにまつわる後悔と教訓と広告と

今月から佐藤尚之(さとなお)さん主催の「さとなおオープンラボ」に参加して「伝える」ということを学んでいる。さとなおさんのコミュニケーション・デザイナーとしての思考の「型」を叩き込まれるこの講座は、毎回濃厚かつ刺激的で、また同期の15人の仲間たち(20代から50代まで。ぼくが最年長w)の熱量がすごくて、必死で食らいつく日々だ。

4回目となる今日の講義のテーマは「共感」。題材で取り上げられたのは、井上雄彦さんが個人スポンサーとなり、さとなおさんが企画した「スラムダンク」の1億冊感謝キャンペーン。さとなおさんの著書「明日の広告」でも大きく取り上げられているプロジェクトである。
https://pressnet.or.jp/adarc/ex/ex.html?cno=a0093

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でも、このキャンペーンは個人的な経験と強く結びついていて、とても感慨深く講義を聞くこととなった。今日はこの感傷的な気分のまま、そのことを書き留めてみる。

1)人生最大の後悔

このスラムダンクのキャンペーンは、作者である井上雄彦さんが読者に対して直接「ありがとう」を伝えることがポイント。全国紙6紙を使ったこの広告は、”ファンだけ”に伝わるように緻密に組み立てられ、WEBへの導線を経て、壮大なフィナーレとしてのリアルな「場」が用意された。神奈川県の廃校(三崎高校)に井上さん本人よる3日間限りの「黒板漫画」(原作最終話から10日後が舞台)が描かれ、訪れた大勢のファンを歓喜させたのだ。
http://www.flow-er.co.jp/sd/


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実はこのイベントの前日、どういう経緯かは忘れたが、さとなおさんから直接連絡をいただき「おいでよ」と誘って頂いた。そのこと自体は素直に嬉しかったものの、自分が「スラムダンク」の熱心なファンではないことがどうにも引っ掛かったし後ろめたさもあった。


一応、原作は読んでいた。知人が熱心なファンだったこともあって単行本が完結したタイミングで借りてきて一気読みしていた。激しく感激した記憶はあったものの、8年という時間が経過する中で登場人物の名前もロクに思い出せないレベルになっていた。そんな自分がコアなファンの集まりに参加して良いものか。半日ぐるぐると悩んだ末に、結局は参加を断念した。

その後、イベントの経緯や全容を知るにつけ、「どんなにニワカファンだったとしても行っておくべきだった」と大後悔することになる。「気持ちを伝える」ということをとことん突き詰めたこのイベントは、コアなスラムダンクファンでなかったとしても長年のさとなおファンとしては何としても参加すべきだったのだ。後悔の度合いは、もはや「スラムダンク」自体が読み返せないレベルになり、後にイベントの内容を緻密に取材した「SWITCH」を本屋で見かけたときには、手に取るのも恐ろしくすぐさま本屋を飛び出したのだった。

2)人生最大の教訓

今回、講義を通して久しぶりにこのイベントをおさらいして、改めて大後悔の沼にどっぷり浸かりつつも、「ああ、スラダン読みてえな」と思うくらいには傷が癒えていることが確認できた。明けない夜はない(苦笑)。

ぼくはこの一件によって、その後の人生に大きな影響を与えるひとつの教訓を得ている。それは「迷ったときはGO!」ということw

ハナから「ありえん」と思った場合は別だが、「どうしよう」と迷ったときには原則として「GO!」を選択する。迷うということ自体、幾ばくかの魅力を感じているということなのだ。失敗もそれなりに増えるけれど、どっちに転んでも経験値は確実に積み上がる。やるべし。

まあ、そもそもが公務員という仕事を選択するぐらいディフェンシブな自分を内包しているわけで(笑)、この教訓以降チャレンジな姿勢に変わったことは、ぼくの人生をとても豊かなものにしてくれていると思っている。今となっては感謝しかない。

・・・ということで講義後、中古品の「SWITCH」をポチったw

3)人生最大の広告

ただの一地方自治体の職員でしかない自分が、一度だけ仕事で全国紙5紙に広告を掲載したことがある。この人生最大にして無二の「広告」は、スラムダンク事件wの影響を多分に受けたものとなった。

宮崎県では2010年4月に口蹄疫が発生した。口蹄疫とは、牛・豚・山羊などの偶蹄類(ひずめが偶数の獣)に感染するウィルス性の病気であり、畜産県である宮崎県ではその感染が一気に広がってしまった。テレビや新聞では、連日、防護服に身をつつんた職員が牛や豚を殺処分する映像が流れ、県として人の行動を一定程度制限する「緊急事態宣言」を発するに至った(自分も9回殺処分に参加した)。

約2ヶ月にわたるウィルスとの戦いの末、なんとか7月には無事終息宣言を発することができたが、畜産業のみならず観光業やサービス業など、多くの産業・企業が大きな打撃を受けることになった。当時ぼくは、県のプロモーションの担当をしており、終息と同時に口蹄疫からの「復興キャンペーン」に取り組むというミッションが与えられた。

しかし、ぼくは復興の前にまずは「お礼」を伝えることが先決だと考えた。2ヶ月の戦いの最中、全国からは様々なご心配をいただき、また人的あるいは金銭的な数多くの支援・応援を頂いたのである。プロモーションを始める前に、まずはしっかりとその想いを伝える必要性があった。スラムダンクとはまた違う「ありがとう」が必要だった。

当時の知事は東国原さん。自治体の場合、何かの情報を発信する場合、知事が県民を代表して伝えるケースが多い。ましてや東国原さんは当時全国的に大人気であり、当然そのお礼も知事を通してお伝えするという考え方が主流だった。

ところが宮崎出身のデザイナー・日髙英輝さんに「県民みんなのお礼の気持ちを伝えたいのだ」とオリエンしたところ、「だったら知事に語らせてはいけない。特に東国原さんは全国的なイメージも強いから個人のメッセージとして受け取られてしまう。丁寧な感謝のお手紙にしましょう」と提案された。確かに。120%同意したぼくは、手紙に記載すべき要素を全部書き出し、全てを日高さんに委ね、素晴らしい広告デザインが出来上がった。

県庁内からはデザインの真意が伝わらず「地味だ」とか「目立たない」といった否定的意見もあったし(幹部一人ひとりを丁寧に口説いていった)、予算も削られてたった5段(新聞片面の1/3サイズ)しか打てなかったが、それでも読売・朝日・毎日・産経・西日本5紙に掲載され(日経は予算で折り合わず)、とてもあたたかな反響をいただいた。おかげさまで個人的にもとても意義深い仕事になった。
https://www.pressnet.or.jp/adarc/ex/ex.html?dno=c0586

日高さんのコラムにも
https://www.gritz.co.jp/column/foot-and-mouth-2/

スラムダンクの後悔と教訓と広告。ぼくの中ではすべてがつながっているのだ。

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さとなおさんと出会って約20年。日々生きて、様々な人と出会いを繰り返すなかで、時に思いもよらない場所に連れていかれることがある。さとなおさんと出会いはまさにそれで(さとなおさんの意思とは全く関係なく)ぼくはとても豊かなところに誘ってもらってきた実感がある。

いつか何かのカタチでお返しができたら嬉しい。

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