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僕がSDGsのしたたかな戦略に乗せられることが楽しい理由

 実はnoteにアカウント登録してから、既に数カ月が経つ。何かしら想いを語ってみたいと思って登録したのだけれど、何から始めるかについてずっと悩んでいた。書き出しの1文目が最も難しいと言うやつです。

 結局、あれこれ悩んだ末、ここから始めることにした。SDGsだ。

 2016年に国連が採択した2030年までに達成すべき17個の目標。これが僕の現在のマイブーム(古い言い回し?)。これが中々面白い。内容はもちろん世界的な合意の為にかなり玉虫色。誰もがNoとは言い辛いものが並んでる。斜に構えた言い方をするなら、まあ言ってみれば綺麗事のオンパレードだ。
 ただSDGsの戦略として面白いと思ったのは、このフレーズ。「no one leave behind」。日本語訳では「誰一人取り残さない」。これは、皆を救う、もしくは全員を幸福にするというメッセージであるとともに、70億人すべてが当事者であるという強い意思表示だ。実は、当初のアジェンダ2030では「no one will be leave behind」だったはずだか、いつの間にか言い切るようになっていた。このあたりからもSDGsに世界中を巻き込みたい国連の戦略が着々と進行していることがうかがえる。

 SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)は、途上国の生活水準を向上させることを目的にしていた。それは一定の成果を上げたものの十分ではなかった。成果については、都合のよいデータをピックアップしているのではないかという批判も散見される。例えば、貧困についてMDGsではその半減を目標とし、実際世界レベルでは36%→12%と達成をうたっている。しかし、我々が貧困地域としてまず想像するであろうサブサハラ・アフリカ地域では、57%→41%と半減には程遠い数値となっている。このカラクリは中国などの特定の国々が大きく経済発展を遂げたことにより、全体の数値が低下したことによるものだ。それは、必ずしも本質な解決に至らなかった、たまたま条件が良かったということかもしれない。その批判はあってしかるべきものだろう。

 でも、個人的にはそれでも前に進む意思を示せた点で評価していいと思っている。皆が目標を共にし、行動した結果、世界が変わるという実績を作ったことは非常に意味のあることだろう。また、ある程度、結果を示すデータを取捨選択することは、特段珍しいことでもない。それは、善悪は別としてプロモーションとして必要なことだろう。

 ただ、MDGsの最大の問題点は「先進国」が「途上国」を助けるというスタンスにあったのではないだろうか。それは先進国の支援によって、途上国が豊かさを手に入れるということであり、先進国への依存度を高めるという点で、上からの目線であり、経済的な植民地政策のようにも見える。そしてそんないびつな関係が持続可能かといえば、その結果は誰もが想像する通りだろう。だからこそ、MDGsがSDGsにアップデートされたとき、対象を部分から全体に拡大することは必須だったのだろうと思う。

 そして、その国連の戦略は成功だったように思える。ESG投資のような経済的な潮流も後押しとなり、今や先進国の政府のみならず、世界各国、各企業がSDGsを自分たちのプロモーションに活用し、行動を始めている。もちろんその全てが、善意に基づくものとは限らない。むしろ、経営判断として投資を得やすい、消費者の支持が得られる、イメージの向上が期待できるなどの思惑があってのものかもしれない。でも、国や企業がそれをうたった時点で、それを行動に移す責任が生まれる。「やらない善より、やる偽善」とまでは言わないが、まさにそれに近いことがあらゆる場所で起こっている。今、世界はSDGsという大きな流行に乗せられ、国連の思惑とうっすらわかりつつも行動せざるを得ない状況になっている。

 以下、SDGsへの取り組みが積極的(と思っている)国内企業のリストアップをしている。自社事業との連結、事業の再定義を非常に上手く展開していると思える企業だ。ただし、国連の思惑に乗せられている企業として並べているわけではないことをご理解いただきたい。(というか、お互いわかってて利用しあっているのがほとんどだと思っている。)

 

 これを批判的に揶揄することは簡単だ。「所詮、SDGsは綺麗ごとで、どうせ上手くいかない」と言い続ければ済む。おそらくその発言の正確さは結果が伴うだろう。だが、そこに誰が正当性を認めるというのだろうか。中二病をこじらせたような「大きな組織の思惑に乗ることは正義ではない」という、前時代的な純粋正義にはもはや誰も共感しないだろう。そのようなことを述べる事業家を誰が支持するというのか。

 もしかすると、国連やアサインした各国は、そこを割り切ったのかもしれない。SDGsという目標を置いたときに、それを達成するプロセスを考えたときに、ただただ人々の善性に期待するのではなく、今の世界状況、経済状況を踏まえてどのようにアプローチするのが、最も効率的なのか。それを考えると、SDGsそのものがブランド化しステータスとなりつつある現状は、個人的には最適解のように思えて仕方ない。

 だからこそ、SDGsがその理念や理想を超えて、面白いと思えるし、そこに乗っかる価値があると思えるのだろう。全世界を巻き込んだ流行を作り出し、目的を達成させられるかどうか。そんなリスクのあるベット(賭け)を実行するSDGsに関わることが楽しくてて仕方ない。乗せられているというか、乗っかりに行っているというのが正しいかもだけど。

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