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いつも子どもを怒ることを考えている

と言うと、特に直接僕を知っている人は驚くかもしれない。でも、これは割と本当にそうなのだ。基本的に温和で怒らない人間に見えるらしく、かつ子ども好きと知れ渡っているので、子どもを怒るということに縁遠い人間だと思われるんだろう。

でも実際の僕は、結構短気ですぐカッとなるタイプだ。ただ、それがあまり認知されていないとすれば、一つは怒りが長続きしないからだと思う。いわゆる瞬間湯沸かし器タイプなので、表面化しづらいのだろう。しかし、そんなタイプなので、子どもに対してイラっとすることも、カッとすることもしょっちゅうある。そして、たちが悪いのが、怒りに任せて感情をぶつける、あの薄暗い快感を知っている

人は怒りを爆発させるとき、ことさら攻撃的になりがちだ。それは、その原因となった事だけでなく、日ごろの鬱憤や不満を同時に解消しようとするからだと思う。そして、鬱憤や不満の解消はやはり快感を伴う。そして、その快感がため無意識のうちにそれを繰り返してしまう。

なので、僕はいつも子どもを怒ることを考えている。それは、目の前でなにかやらかしそうな(それはだいたい的中する)子どもの行動を見ているときだけでなく、仕事中やニュース、Youtubeなどを見ていて、不快な情報が入ってきたときに、それを自分の子どもがやったときにどう怒るかを、常に考えてる。というか無意識に考えてしまう。

例えば、息子が妹を傷つけるような行為をした場合、僕は多分ガチでキレるだろう。暴力に訴えることはさすがにしたくないが、力ずくで押さえつけ、威圧を与えて、泣いても許さず、言葉で攻撃し続けるだろう。おそらく息子ははじめ反抗するが、やがてパニックを起こし、泣き出しママと叫ぶ。そこで妻がまぁまぁという感じで介入してくる。だけど、泣いたぐらいで僕の気は済まない。きっと「ちょっと待って」と介入を制止し、怒りを子どもに続けることを継続する。そのうちしびれを切らした妻が、「いい加減もういいんちゃう?」という感じになる。「いや、違う」と、「今、俺は怒っていて、冷静になれないから、余計な介入はやめてくれ」と、「こいつ(息子)が、本当に反省するまで、怒り続ける」と。そうして自分自身がスッキリするまで感情をぶつけ、子どもを攻撃するだろう。



うわ...我ながら最低。引くわ...

でも、そんなことを考え続けてしまうのが、僕という生き物なのだ。


...さて、そろそろネタばらしをしないと、色んな人に軽蔑されそうだ(笑)

一応、これは全て仮定の話。実際にやるつもりはない。ただ、いつもこの手のシミュレートをやっているのは、本当。

その理由は、そうしたくないから。

子どもと接するにあたって、いろいろと想定外の事柄は起こりうるもので、それは評価すべき場面もあれば、是正すべき場面もあるだろう。その際に、自分の価値観で、一方的に子どもを怒るという行為が、いかに不毛か。子どもと言えど、一人の独立した意思を持った存在だ。その思考のすべてを、例え親だろうと推し量ることはできない。だからこそ、いろんな場面を想定し、自分がどんな反応をするのかを仮定し、それをシミュレートすることで、客観視することでその無意味さを自認して、いざというときに適切な対応(になるべく近い行動)をとれるようにしたい。

ただ、聖人君子になるなんて、どだい不可能なことを自分に強いる気はさらさらない。できないことはできないって割り切っているから。

それを突き詰めても自分がしんどいだけだし、きっと誰も幸せになれない。なので、できるだけさまざまなシーンを想定し、自身の反応をシミュレートし、客観的に批評することで、最適に近い対応をストックしておく。多分、何もないところから好ましい対応をすることができないと分かっているが故の、苦肉の策ではあるのだけれど、今の自分にできるのはこれが精一杯。

極論を言えば、感情のままに子どもに怒ってしまうのは、親としての、人としての未熟さを突き付けられる様で、辛い...
この辛さは、できる限り味わいたくない感覚だ。だからそれを避けたいと思う。だから、一つでも多く引き出しを増やしたい。傷つけるときは、感情に任せて結果的に傷つけるのではなく、己の責任で意図して子ども傷つけるという覚悟を持ったカードを切りたい。

そのために、日ごろから想定できるシチュエーションにおいて、自分がどう対応するのかを考え、客観的に批評し、アジャストするようにしている。そのために、子どもに怒ることを常に考えるのだ。ある意味、しんどいけれども、感情的・衝動的に攻撃するよりよっぽど、精神的ダメージは少ない

とはいえ、予想外のカードを出してるのが子どもというやつで、少なからず感情的に怒ってしまうことがある辺り、まだまだ精進が必要だなと思う今日この頃(笑)


そんな自分を支えている1つの要素が、子どもが生まれた時に自身の制約として考えた次の三原則。

これは、アイザック・アシモフのロボット三原則をモチーフに、子どもに制約する想いとしてまとめたものだ。多分、親として子どもに本当に実現してもらいたい、実践してほしいことなんて3つもないんじゃないかな。それを明文化することで、自分の指針が揺らぎないものになればいいなと思う。


子どもを怒ることが絶対的にダメだとは思わない。それが、僕らの心からの声なら、子どもたちにもきっと伝わると信じている。だけど、そのカードは切り札であって、常時場に出していてはブタと同じだ。

だから僕は、持てる手札を最大限活用できるようにシミュレートを重ねる。その効果が子どもたちの将来に息づいて欲しいから。


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