FIREして変わった『お金』の価値観
こんにちは!
私事の報告で恐縮ですが、僕は今年の11月1日にFIREしました。
FIREは「Financial Independence, Retire Early」の略で「経済的に独立して、早期リタイアすること」です。
具体的には、27歳から投資をはじめて、35歳で経済的独立を果たして、36歳でFIREしました。
現在は資産8500万円で、妻と子どもの3人暮らしです。
…………と、話がここへ到達すると、必ず「30代子持ちでFIREして大丈夫?」とか「8500万円ではFIREに十分ではない」とコメントをもらうことになります。
今回は、これらのコメントやFIRE生活の中で感じたことを踏まえて、変わった『お金』の価値観について、書いていこうと思います。
『お金』に対する価値観
会社員時代。僕も『お金』のことばかりを追いかけていました。
「お金さえあれば……」
「1億円さえあれば……」
心のどこかで『お金』がすべてを解決してくれる。
そう、思っていました。
長時間労働、パワハラ、冴えない給与明細、目減りする資産、他人の儲け話、思いどおりにいかない人生………これらにいつもイライラして、心をかき乱され、朝から晩まで頭の中は『お金』のことばかりが渦巻いていました。
しかし。
FIREを果たしたした今では『お金』というものは、絶対的な存在ではなく、相対的な存在であり、視点を変えてみれば、その価値は変わるモノにと言うことを実感しています。
ここで使った『相対的』の1つ目の意味は、『お金』は絶対的な価値があるように思いがちですが、価値は常に変動しているということです。
2つ目の意味は『お金』の価値は、単独で考えるべきものではないということです。時間や場所、経験など、他の項目とセットで考えると価値は大きく変質するモノであるということです。
今回の記事では、まず『お金』の価値が変動するということを再確認して、そのあとFIREして感じた『お金』の価値観の変化の順番で話をすすめていきたいと思います!
Chapter1.『お金』の価値とは?
『日本円の価値とは、一体なんでしょう?』
突然、道端でこう問われたら、あやしい新興宗教のたぐいかなと身構えてしまいそうですが、『お金』の本質を考えていくと、日本円(フィアット)は宗教さながらな存在であると思うようになります。
どうして私たちは、紙切れに1万円という価値があると信じているのでしょうか?
そもそも『お金』は物々交換の代わりとして『価値を代替する』モノとして、歴史の幕をあけました。
言い換えると、みんなが欲しがり、交換が簡単で、納得する値打ちのあるモノを『お金』として用いてきました。
(これは『お金』の3つの機能と言われます↓)
(図の引用元:お金の機能とは?)
ご存知のように、昔は『お金』は美しい貝殻だったりしたわけです。
現代に生きる人からみたら『貝がお金なんて馬鹿馬鹿しい』と思うかもしれません。
確かに、iPhoneを買うために貝殻を10万枚集めてApple Storeへ持っていったら、ただの変質者ですし、場合によっては逮捕されてしまいます。
ですが。
昔の人にとってみれば、貝は美しく憧れの存在だったわけです。
もし、私たちがタイムスリップして、貝の代わりに日本円を山のように積み上げても、魚や肉には一切ありつけません。最悪の場合には、打ち首にされてしまいます。
(注意:現代でも一部の地域では『お金』として貝貨が利用されています!)
ここまでの話が明示しているように、当たり前すぎて忘れてしまいがちですが、お金は『絶対的』なものではなく、あくまで『相対的』なものにすぎないということです。
現代の日本では、日本円絡みで人が死ぬのは日常茶飯事ですが、貝殻の奪い合いで人が死ぬことはまずありえません。
『お金』は、絶対的なモノではありません。
にも関わらず、いつからか日本円(フィアット)さえあれば何でもできるような、まるで絶対的な神のような存在に仕立て上げてしまっています。
実際は、現在の日本円(フィアット)という形態も金本位制が崩壊した1971年からはじまったもので、たかだか50周年を迎えたにすぎません。
これから、いつまで続くかも分からないシロモノです。
さてさて。どうして現代では紙切れに1万円という価値があると思い込んでいるのかという話題に戻りましょう。
『強制通用力』として法律で決まっていることはさておき、基本的には、国そのものの信用が、紙切れに裏付けされていると考えることができます。
貝殻こそが『お金』だと信じている人たちに、これを説明するのは、難儀します。
紙に国の力が宿っている……もはや意味不明です。
カルト的・魔術的・超人的ですが、とにもかくにも。
フィアットには、国の信用が宿っているわけです。
これをもう少し深堀りしてみます。
たとえば、アメリカは資源や食料を豊富に生産でき、多く所有しています。これは、米ドルを裏付けているコモディティとみなすことができます。
金本位制のゴールドであったものがコモディティ(資源や食料など)に変わったと考えれば、分かりやすいです。
他に米ドルを担保するモノは何でしょうか?
テクノロジー、医療、人口、人材、企業、政治力など国の生産力に関わる項目のすべてで決まると思えばいいでしょう。
さらに、戦争に勝てるどうかも大きく影響を与えていると考えられます。
なぜなら、戦争に負けてしまえば、通貨の価値はなくなるからです。
実際、第二次世界大戦前後には、ヨーロッパ大陸の多くの国で自国の通貨が無価値になりました。(そして、ハイパーインフレに苦しみました。)
アメリカには強大な軍事力があります。
これこそが、紙幣の最大の信用の源です。
ここまでの話は、日本円に同じように適用することができます。
それで、僕たちは一万円紙幣には一万円の価値があると考えているわけです。(これを『共同幻想』と呼ぶ人や『ストーリー』と呼ぶ人もいます。)
日本のコモディティや資源、テクノロジー、医療、人口、人材、企業、政治力など国の生産力や防衛力が、未来永劫変わらなければ、一万円は常に一万円です。
しかし、これらは他の国とのパワーバランスによって、常に刻一刻と変化しています。
つまり、日本円の価値も常に変化しています。
(さらに、モノの需要と供給、貨幣の流通量などで物価も刻一刻と変化しています。)
これは、ドルやユーロと比べて価値が高くなる低くなるという為替の意味にとどまらず、ゴールドや他のコモディティ、仮想通貨などと比較しても価値が変化することを意味しています。
ここで詳細は述べませんが、日本の国力は世界と比較すると下がり続けているため、相対的に日本円の弱体化が進んでいると言えると思います。
だから、日本円のみを貯金しているだけでは価値が目減りしていくのであり、ドルや他の紙幣、株、不動産、ゴールドなどに投資をすることが重要になってきます。
ここまでが、一般的な『お金』の価値の変動の復習になります。
Chapter2 FIREして変わった『お金』の価値観
ここからは、FIREして変わった『お金』の価値について話をしましょう。
僕が、FIREして『お金』に対して感じていることは『お金』は単体で価値を考えることはナンセンスであるということです。
たとえば、会社員時代は繁忙期に旅行に行くことがほとんどでした。
どこにいってもヒト、ひと、人……そして、何をするにも『お金』がかかります。
せっかくの休日に高いお金を払っているのに、疲れ果てて、うんざりしてしまうことも多々ありました。
一方、FIREして平日や閑散期に行動すると、どこもすいているうえに、値段も安いと感じることがほとんどです。
平日のランチタイムは安くておいしいですし、引越代や家賃すらも繁忙期を避ければ安くなるということは、FIREした大きなメリットです。
会社員を辞めて『時間』が自由に使えるようになり、『場所』に縛られることがなくなっただけで、QOL(Quality of life)は爆上がりで『お金』の価値は数十%は増加した感覚がします。
つまり『お金』の価値は『時間』や『場所』によって、大きく変質するということです。
そういう意味で『お金』は相対的なものであると思うようになりました。
『時間』とセットで考える例は、いくらでもあります。
日本のFIRE本を手に取ると必ずと言っていいほど「お金は節約しろ」というアドバイスが書いてあります。
コンビニは使うな、タクシーは使うな、図書館を使え……関白宣言みたいですよね笑
このアドバイスも一理あるとは思いますが、やはり『お金』単体で考えることはあまり意味をなしません。
僕なら「図書館を使え」なんてアドバイスはしません。
もちろ使うこともありますが、図書館に本を借りに行って、帰ってきたら最低でも1時間はかかるし、人気の本であれば、待っているだけで最短2日、長ければ数ヶ月は待ちます。
もし、娯楽のための小説ならそれでもいいかもしれないですが、今必要なビジネス書であれば、さっさと電子書籍で買うべきだと思います。
なぜなら『時間』のほうが『お金』よりも大事だからです。
図書館に借りに行って帰ってくる時間で、本の1/3は読み終えることができてしまいます。
(僕は外出中に、どうしてもアノ本のココが読みたいと思ったら、家に本があったとしても迷わず電子書籍を買います。すぐに読んで、すぐに行動するべきだからです。)
コンビニもタクシーも同じことが言えます。
お金は『ツール』です。
『お金』単体で価値を考えるのではなく『時間』とセットに考えることで、もっとうまく使いこなせることができるようになります。
もう一つ、別の例を示しておきましょう。
次は『スキル(経験)』に着目してみます。
誰にでもわかりやすい例だと、自転車のパンク修理があります。
パンクしたときに自転車屋さんに持っていって、修理してもらったら1〜2時間はかかりますし、料金も1000円くらいはかかりますよね?
これが自分でできるようになれば、一生自転車屋さんにお世話になることはありません。
このスキルは、資産の項目には見えてきませんが『価値』を産む手段になります。
(1年に1回、100年なら10万円!!)
同じように、宝くじで一発当てて得られた8500万円と、自分でマネーリテラシーを習得して積上げた8500万円では、同じ金額でも『価値』は違ってみえると思います。
もう一回、資産を0から積上げようとしたとき、前者であれば同じように積上げることができると思いますが(決してやりたくはないですが……)、後者の宝くじは、現世では当たりそうにありません。
このように、同じ金額でも『経験(スキル)』を組み合わせることで、価値の見え方は変わってきます。
もしも、僕がFIRE生活に失敗して資産が目減りしたとしても『経験(スキル)』はなくなりません。
『価値』は自分に内在していることがあるのです。
「8500万円ではFIREに十分ではない」という人たちには、ここが見えていません。
これは、FIREして一番感じていることです。
これまで僕がnoteに投稿してきたFIREにおける教育論(教育の内製化)や『人的資本』を考慮したポートフォリオについても根源的には同じことが言えるので、興味のあるかたはぜひ読んでみてください↓
これからの時代は、『スキル(経験)』がより重要な時代になってくると思います。
なぜなら、インターネットで簡単に人と人がつながることができて『スキル(経験)』の売買が可能になったからです。
秘書や翻訳家、ライター、プログラマーなどはすでにリモートで仕事ができるようになっていますし、メタバース化が進めば、お店の接客、会社で働くこと、学校で教えることですら、場所を選ばずにできるようになります。
『お金』を貯めることに夢中になるあまり『スキル(経験)』をおろそかにするべきではないと、今は強く感じています。
そういう意味で、自分の『スキル(経験)』に投資をすることは、とても重要であることを強調しておきます。
まとめ
今回は『お金』の価値について考えてみました。
ポイントは、以下の2つです。
・日本円(フィアット)には絶対的な価値はなく、常に変動している。日本の国力が下がっている今こそ、日本円を貯金するのではなく、他の資産にも分散投資をするべきである。
・『お金』は、単独で考えるだけでは見えてこない価値がある。たとえば、『時間』や『場所』や『スキル(経験)』などとセットで考えると価値が変質する。これからの時代では、特に『スキル(経験)』への投資も重要である。
特に2つ目の項目は、FIREして強く感じたことです。
ホリエモンやキングコング西野さんなどは『お金』は『信用』を数値化したものでしかなく、貯める必要はないと公言しています。
『信用』があれば、いつでも『お金』へ変換が可能であるということであり、これは今回の話の究極的な形であると思います。
『お金』の価値は変化するということを理解しておくことで、人生はより豊かになると思います。
僕は、FIREしたことで、この考えに確信を持てるようになりました。
これも、FIREした『経験』の価値の1つです。
読んでくれてありがとうございます!
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