EP.05 自分の失敗は誰かの武勇伝
こんにちは。
三日坊主とはまさにこのことで、すぐ更新をしなくなってしまうんですね。
そんな自分に嫌気が差してしまいます。
このように、私たちは日常の中で大小関係なく、たくさんの失敗とともに生きています。
例えば、ちょっとした言葉のニュアンスや抑揚、それによる相手への伝わり方。コミュニケーションの中での失敗もあれば、単純にミスもあると思います。
特に、初めてやることには失敗はつきものです。
先日まで、ある企画の進行をやっておりました。
その中で、皆さんにアナウンスをする際に、
「どこまで伝えるのか」「どのように伝えるのか」など、いろんな形を想定した中で、最終的な案内を出します。
進行している側としては、100知っている中から考えるので、考えれば考えるほど何が正解の形かわからなくなるのです。
でも、0しか知らない側の人たちはそんなことは知ったこっちゃないんですよね。
だから、案内されるだけの受動的な人間から石を投げられることがしばしばあるのです。
「なぜ、こうしないんだ」とか「こうした方が良いだろ」とか。
その意見は至極真っ当な意見なんです。なぜなら、私自身もたくさん考えた中の形の一つだったから。
それでも、案内する際の取捨選択で落としてしまった。それは私の失敗です。
しかし、納得できないのはこれが向こうの美談や武勇伝になることなんです。
「あいつは何も分かってないから言ってやったんだ」と声高らかに言われるんです。その時、私は無能な奴で、言ったあの人は勇者になるんです。
私の思考の過程は、頭の中でしかないので、相手には何も見えません。
だから、あの人は「無能な私に、手を貸してあげた優しい人」になるんです。
それが、私には耐え難い。そして、相手の思考まで考慮できない人間がのさばっているのが恐ろしい。
私は、誰かが失敗したら、確認するようにします。
「どこまで考えていたのか」「何が分かっていないのか」それを知りたいからです。
それでいて、そこまでの過程を評価してあげたいからです。
あくまで、見えている部分は物事のある側面でしかないのです。
しかし、それを理解してしまったことで、私は意見をすることが恐ろしく、できなくなってしまいました。
私は私が面倒くさいです
では。
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