船中にて ー小説・村田新八断片ー
10年以上前に書いた、村田新八絡みの小説が出てきました。
長編小説の構想だったようですが見事に冒頭で挫折しており(苦笑)、きりのいいところで終わっていたので、2回に分けて公開してみます。
「船中にて」は「受け継ぐ」の続きとして書いたものになります。
「受け継ぐ」はこちら。
明治四年十一月十二日(1871年12月23日)、村田新八は岩倉具視を全権大使とする使節団の一員として、欧米各国を巡る長い旅に出た。宮内大丞である新八は、侍従長・東久世通禧の随行という立場だ。
外洋に出てしまえば、あとはアメリカに着くまで陸地を見ることもない。
新八は日々たいした変化もないアメリカまでの船旅を、英語を勉強したり、同行の人々と食堂や船室で談笑したりして過ごし、退屈を紛らわした。
この日も、新八は昼食後船室で英語の勉強をしていたが、狭く換気の悪い船室にいることがなんとなく嫌になり、食堂に向かった。
使節団が乗っているアメリカ号は外輪式の大きな客船で、当然食堂も広い。食堂に行けば誰かしらいるから、いい暇つぶしになる。食堂の隅では、大使の岩倉具視と副使である大蔵卿の大久保利通が、よく碁を打っていたりする。
もし二人がいたら対局を見物するつもりで、新八は食堂のドアを開けた。
案の定、碁盤を囲む二つの人影。新八はゆっくり歩み寄っていく。
長身で、猫背気味の背筋を行儀よく伸ばした、断髪の洋服姿が大久保利通。公卿髷を落とさず、羽織袴姿でいるのが岩倉具視。
二人とも真剣な顔で碁盤に向かっていて、新八の靴音に気づくふうもない。
「また大久保さあが優勢ごわすか」
新八は二人のそばまで来て一礼すると、岩倉をからかうように言った。唇をゆがめ、ぎろりと新八を見る岩倉。
碁は大久保の若い頃からの趣味で、かなりの腕前の大久保に、たいてい岩倉は勝てない。それを新八も知っていた。
「またとはなんや、またとは」
碁盤をよく見るまでもなく、岩倉の不機嫌さで分かった。相当分が悪いらしい。
無口な大久保はなにも言わず、唇にわずかな微笑を乗せて新八を見る。
大久保は対局相手が誰であろうと、わざと勝ちを譲ったりしない。それがいい、大久保と打つのが一番面白いと、旧主である島津久光もかつて言っていたという。
「最後の最後まで、あきらめぬことが肝要。そやろ、大久保」
岩倉が子供のような上目遣いで大久保を見る。この二人は、あきれるほど粘り強い。そんな二人が組んだからこそ、御一新前後の朝廷工作を成し遂げられたのだ。
はい、とだけ応え、碁石を置く大久保。似ているようで、似ていない二人だ。
「息子が開拓使の留学生やったか、村田んとこも」
碁盤を見つめたまま、いきなり岩倉が言う。
「はい、いずれアメリカで会えもんそ」
新八の長男、岩熊は十二歳で、農業技術などを習得するため、使節団より一月ほど遅れて、アメリカに留学することになっていた。
「老いも若きも、猫も杓子も洋行洋行」
岩倉が笑いもせずつぶやく。
岩倉も大久保も、それぞれ息子達を留学させている。使節団も洋行志願者が殺到し、結果的に同行の留学生も含めると百名近い人数に膨れ上がっての出発となった。
一行の中で、最年少は開拓使派遣の女子留学生、津田梅子の九歳、最年長は四十七歳の岩倉自身だ。
「新吉どんも、じゃったな」
岩倉がようやくといった感じで打った後、つぶやきながら大久保が、即座に迷いなく打つ。
「大久保さあにも、そん折はご助力ばいただきもして、あいがともしゃげもした」
軽く頭を下げながら、岩倉がますます不機嫌そうに唇をゆがめるのを、新八は見た。
「あいはよかもんじゃっでな」
こういう時の大久保の笑顔は、透き通るように心にしみる。
「なんの話や?」
碁盤をにらみつけていた岩倉が、ぱっと顔を上げた。
「こん村田のいとこが、高橋新吉と申しまして、薩摩の同志と英和辞書をば作いもした」
ほう、と岩倉は身を乗り出したが、気分を変えたくて話に乗ってきたのは明らかだ。
「こいが実に便利じゃち大隈さんも申すゆえ、一部を政府で買い上げた次第でございます」
大久保は丁寧に語って、岩倉に軽く頭を下げる。あとは新八に語れということらしい。
「ほう、なるほどのう」
「様々な方んおかげで、そん辞書も無事すべて売れもして、そん金で新吉は洋行いたしもした」
その辞書は、洋学を学ぶため長崎に留学していた新吉と、同じく留学中だった前田献吉、正名兄弟の三人で編纂、出版したものだった。どうしても海外に出たければ、藩には頼らず自力でその費用を稼ぐ。それはずっと洋学を勉強してきた新吉が、学ぶうちに得た精神から自然に発想した結果だった。
「ようやったもんや」
岩倉の感心したような声に、新八はゆっくりとうなずいてみせる。はっきりした二重まぶたの瞳が涼やかな新吉の顔を、新八は懐かしく思い浮かべた。
武士の身で自ら金儲けに手を染めるなど、これまでの常識ならば蔑まれるところだ。だが新吉は志の実現のため、洋学を学んでいるというだけで殺されかねない時勢の中、幕府の目を盗み、命を賭けてそれをやった。
今この場にいる三人がそれぞれに政治や戦場で命を賭けている頃、新吉も戦い続けていたのだ。いとこ同士で兄弟の契りを結んだ仲の新八でさえ、新吉の意志の強さと行動力には驚いた。
辞書の編纂は毎夜ひそかに行い、ようやく脱稿すると印刷のため上海へ行った。当時の日本では印刷できるところがなかったのだ。新吉達は言葉が分からず生活費も乏しい不安に耐え、一年近く上海に潜伏した。約束の二千部すべてを手に入れた時には、すでに世は明治になっていた。
だが、苦労を重ねてなんとか辞書はできあがったが、武士である新吉達には、どこでどう売ればいいのかが分からない。結局、新政府に出仕している郷里の先輩達に頼んで買い上げてもらうなどして、完売したのが明治四年のこと。その売り上げで早速、新吉は前田献吉とアメリカに旅立ち、今フィラデルフィアにいる。
「そんないとこを持ってるのやったら、なあ、村田」
岩倉が意味ありげににやりと笑いながら、新八ではなく大久保を見る。
新八も岩倉がなにを言いたいのかをすぐ察したが、なにも言わず大久保に目をやった。大久保は分かっているのかいないのか、穏やかな顔で碁盤に視線を注いでいる。
「手を打つまでもないこと」
やや間を置いて、ぼそりと大久保がつぶやく。
「は? なんやて?」
不意をつかれたかのように、あわてて碁盤に視線を泳がせる岩倉。蛙のように身を伏せ、じいっと碁盤の上に目を凝らす。
「……また負けか」
岩倉は唐突に持っていた碁石を、ばらばらと碁盤に投げ出した。
「いやな、大久保。これは放置しておけん問題やぞ」
一呼吸置いて、岩倉は強引に話を戻した。また意味ありげに、今度は新八を見る。要するに、退屈しているのだ。
「おいはわるものでございもす」
岩倉の意を読んで、すまし顔で言う新八。そんな新八を見る大久保の瞳に浮かぶ笑みに、岩倉が眉をしかめる。
「まだアメリカにも着かへんうちからこれでは、困るぞ」
「武士の意地でございますれば」
新八に代わって、大久保があざやかな強さが浮かぶ笑みで応えた。
「大久保は副使やっちゅうのに、焚きつけとるんか」
「いいえ、滅相もございませぬ」
平然と言い、大久保が新八に視線を送る。その視線を受けて、わざと不敵に笑う新八。
新八は使節団中で頑固保守党の頭領株とされ、いつしか「わるもの」と呼ばれるようになっていた。
使節団は新旧政権の寄せ集めで、海外の知識も豊富な旧幕臣が書記官の座を多く占め、各省の理事官やその随員は、公家や旧幕臣からすれば陪臣である諸藩の出身者が多い。
そういう随員達には、維新をきっかけに栄達した下級武士が多く、つい最近まで生きるか死ぬかの毎日を送っていたような、血気盛んな者ばかりだ。新八自身も、王政復古の政変が起こる直前の不穏な空気の中新選組と斬りあって負傷したし、戌辰戦争では東北を転戦した。
そういう男達が、いきなり慣れない洋服を着て、西洋のマナーを守れと言われても、素直に従えるわけがない。
武士の意地がある。日本人としての面目がある。
西洋の物ならなんでも取り入れようとし、こぞって似あわぬ洋服を無理に着て得意になっている、その馬鹿馬鹿しさ。
なんのための倒幕だったのか。なんのための戦いだったのか。日本人が日本人でなくなっていくようで、新八には腹立たしかった。
そんな中で西洋通ぶって、あれこれと口うるさく、ここぞとばかりに言う連中への強烈な反発もある。
旧幕の知識人からすれば、新八達諸藩の出身者は、ろくに学もない成り上がり者だ。自分達がいなければ使節団が立ちゆかないのも知っているから、知識を武器に人を馬鹿にし、大きな顔をする。
そういう事情もあって、西洋の知識をひけらかす連中へのあてつけで、食事の席などでわざとやりたい放題にやって見せたりしたのは、新八だけではなかった。
「岩倉公ほどのお方が、奴らの言いなりでは困りもす」
新八が頑固保守党の頭領らしく胸を張って言うと、岩倉もどことなく芝居がかった仕草で新八を睨む。唇の端に、苦々しさがにじんでいた。
「向こうに着いてまで、やらへんやろな」
岩倉の瞳の奥に、新八は小さな炎のように揺れる不安を見た。岩倉の向かい側では、大久保が黙って自分の黒石を集めている。
その端然とした横顔に、岩倉は大久保といると落ち着くのかも知れない、と新八は思う。
岩倉と大久保は、幕末以来無二の政友だ。岩倉が和宮の降嫁問題に絡んで失脚、長く蟄居させられていた時も、公私に渡り心を砕いて岩倉の面倒を見ていたのは、薩摩藩の重役だった大久保だった。
岩倉もやくざの親分が衣冠を身につけている、と言われるほどだが、大久保の肝の据わり方にはかなわないに違いない。一度こうと決めたら、大久保は揺るがない。そこが好ましく、頼もしい。
答えないでいる新八を、ゆっくりと瞳を上げて見る大久保。
「そげん意地を張っちょっ暇もなくなりもんそ」
わざとなのか、強い薩摩訛りでひとり言のようにつぶやいて、大久保はほんの少しだけ微笑んだ。
大久保の言葉通り、船中でのことなど、まだまだ挨拶程度だった。
了