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多様性とは何か考えた1時間

今回は、「多様性」とは何かを大学生5人で話したのでそれを文字に書き起こしたいと思います。これは社会課題×Z世代をコンセプトに”誰もが気軽に社会問題を口にすることが出来る場を作ろう”という想いで発足したコミュニティのイベントの一環です。とっても楽しくて学びのある1時間だったのでついシェアしたくなりました!

正解なんかない。

社会問題と聞くと少し重いなと感じてしまうのは僕も同じです。

なぜならそれは無意識的に正解を求めてしまっているからなんだと考えています。

そこで正解を求めない、色んな視点を学べる場があったらもっとフランクに会話できるんじゃないかなと思ってこの場所を作っています。

今後はもっとフランクに、恋バナをするかのように社会について話せるようになりたいなと思っています。

多様性って簡単?難しい?

この質問をした時に、全員難しいと答えました。

僕自身も難しいと思っています。なぜなら色んな意見があるし、その言葉の背景には色んなバックグラウンドがある。それを全て受け入れるのは容易いことではない。どこかでその人の意見を否定してしまったり、耳を傾けなくなってしまうこともある。これは人間だから仕方がないことだと思う一方で、そういう言い訳をしてはいけないとも思う。

多様性の本質は全ての意見を受け入れ、受容しあうことだと僕は考えている。しかし、自分が受け入れることができないものがあったとしてもそれは健全な多様性の一部だと思う。全ての意見を一度受容した後であれば。


他の方の意見も非常に面白かった。

・「受け入れる」「受け入れない」の間に着地点があると思うけど、それがよくつかめていない。対人関係もまだ20年間だけだから。

・扱われる人たちがマイノリティだから議論の場になった時に、数の圧を感じてしまい絶対に勝てないから。

・整えられた場所なら良いが、整えられていない場所だとあまり理解が進まないから。

・多様性を全世界に周知するのは難しい。


このようにまだ20数年しか生きていない我々にとっては「受け入れる、受け入れない」以前にまだよくつかめていないのだ。さらにこのような話題に前のめりな人々だけの環境であれば議論は進むが、いざ自分のリアルの友人とこのような話題を話すとなかなかcomfortableな環境ではない。

何年後かにこの質問をした時に、1人でも「多様性は簡単だ」と言える人がいたら社会が前進したのだと言えるであろう。

多様性の一部であって「本質」ではない

日本って女性のキャリア支援とか、障害者雇用を多様性として打ち出してるけど、それは本質じゃない。多様性の本質は、”人を許容しあって、いろんな人がいて、色んなバックグラウンドを活かしてイノベーションを起こしていく”ことである。日本の多様性は、根本的な多様性とはズレている。

真の意味での多様性を理解するには、1960年代に遡ってシリコンバレーの歴史を知る必要がある。

1960年代、シリコンバレーではデジタル革命が起こり始めた。
サンフランシスコ周辺では、LGBTやMBA保持者、研究者、音楽家など多種多様な人々が一緒に暮らしており、お互いのバックグラウンドを尊重していた。

そんなシリコンバレーに、いつしか「世界を変える」という反骨精神が生まれ、やがて互いを受け入れ、価値観の違いを受け入れ、融合させ、上乗せし、アイディアを出し合っていった。
あらゆる個性と個性が混ざりあいながら、他社を受け入れ、発想を高め会うことによってコンピューターを中心とした新しい世界を創造した。


多様性とはつまり精神の在り方のことだと思います。
マイノリティもマジョリティも、互いを受け入れ合って、何も否定しない。だからこそ、イノベーションを起こすことができる。

また、シリコンバレーの成功のカギについて興味深い意見を発見した。

ところで、シリコンバレーの成功のカギがテクノロジーでないなら、いったい何だろう?知性でないことは確かだ。頭脳は成功のカギではない。それよりもはるかに重要なのは、勢いと多様性だ。
引用:『シリコンバレー式 最高のイノベーション』p38

このように多様性とは、多種多様な人々を受け入れ、そこから学び、意見を融合させていく。こうやって本質を捉えるといかに日本の多様性が本質的ではないかが浮かび上がってくる。

では、なぜ日本は本質を捉えていないのか。正解はないがみんなで話してみた。

・手段と目的の入れ違い?

・やってるだけで、その背景に意味はないからなのでは?

・「とりあえずやっとけばいいやろ感」

たくさん意見は出たが、3つをピックアップした。

現在日本では、「多様性」「ダイバーシティ」がバズワードとして流行っているので、そこに便乗して「とりあえずやっとくか」となっているのではないかというのがここでのまとめだ。

実際に僕もSDGsバッジをスーツにつけている人や、SDGs推進室の方、人事の方々とお話しするときに「御社のSDGsの取り組みは?」と質問することが多い。そこで回答として9割返ってくるのが「環境への取り組みです」だ。5番目の「ジェンダー平等の実現は?」と聞くとウチはまだそこまでやる考えはないと返される。「多様性は?」と聞くと多様性に関してはやってますよと言われるが、どれも女性のキャリア支援や障害者雇用でその方針の背景は空っぽだ。

それはおかしいだろという怒りを抑えながら呆れるのが日常茶飯事。

まさにバズワードを利用して、手段と目的を間違え、やってますよ感を出して、いい企業ですよアピールをしている。多様性というワードは便利なものだ。

身近な人から変えていくにはどうしたらいい?

企業を変えるのは至難の技であると思う。

我々の世代が、多様性について詳しくなったり、多種多様な人々を受け入れ、そこから学び、意見を融合させていくという考え方が、ある種普通となれば必然的に企業も変わらざるを得なくなってくるであろう。

しかしながら、同世代、それも身近な友人から変えていくのは難しい。難しいけどここから変えることができればまさにイノベーションは起こるだろうと仮定している。

そこで最後に身近な人から変えていくにはどうしたらいいかをみんなで考えた。

・間接的なアプローチで身近な物を創造してもらう。例えば、「リンゴについてどう思いますか?」と聞き、「丸い」や「赤い」という答えが返ってくるのを利用して、人それぞれ「りんご」を違う見方で捉えていることに気づいてもらうことで多様性を理解してもらうやり方。

・広告で刷り込ませる作戦。日常の中で目に入ってくるものに多様性を取り入れることでそれが普通になってくる。

・社会問題でもなんでも「自分ごと化」できるかどうか。

1番出来そうなのは、りんごについてどのように思うかを問いて、そこから多様性を実感してもらうやり方だと思う。ここで多様性を実感してもらえなくても、その実感してもらえないということを自身が受け入れることによって、それはそれで多様性であるという言い回しもできるであろう。

会話は続けよう

色んな意見があってその背景には色んなバックグラウンドがある。

みんな違ってみんないい。

日々変化するこの世の中で、意見はどんどん変わっていくものだ。

もしかしたら、こんなことを書いている僕自身も、明日何かのきっかけで意見がコロッと変わっているかもしれない。しかしながらそれはそれでいいんじゃないかと思う。だってそれが当たり前で、そうじゃないと面白くない。

今は「多様性なんて意味あるの?」や「とりあえずやっとくか」と思っている人や企業も、いつかきっと、意見が変わっていくと思いたい。

みんな違ってみんないい。非常に便利な言葉だ。これこそが日本流の「多様性」や「ダイバーシティ」なのかもしれない。

これからも会話は続けていきたい。

いつか恋バナを話すような楽しい話題にできたら最高だよね。


クリエイター

かいみょん


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