嘘と予感

「グルジエフは、人間はみな自分で自覚しないまま嘘をついていると言った。嘘をついている人には、この発言の意味はけっしてわからない。たとえば、たいてい、人は何か本を読んだり、人から聞いた話などを、あたかも自分の考えであるかのように話す。ここにこう書いてあったと言わず、自分が考えたかのように思ってしまうのだ。これを嘘をついていると言うのだ。」 

松村潔 7つのコスモス1より

 誰かが新聞で、或る著名人の死を知る。その時彼は確信を持って、自分がこの死をすでに「昨日」 予感していた、しかしこの予感を起させるような事柄を聞きもしなかったし、見もしなかった、と主張 したとしよう。 「昨日」その人物が死ぬであろうという考えが「おのずから」彼の心中に立ち現れたことは真実である。ただ一つの些細な事柄に彼は気づかなかった。彼は昨日、そのような考えが念頭に浮ぶ数時間前に、或る人を訪問した。 その家のテーブルの上に、新聞が置いてあった。彼はそれを読まなかったが、彼の 眼は無意識に当の人物が重い病気にかかっているという記事を見ていた。その印象が意識にはのぼらなかったにせよ、彼の「予感」はこのことの結果だったのである。――以 上の事柄をよく考えるなら 、このような場合に幻想や空想への流出口がどこにあるか、 理解できるであろう 。

シュタイナー、いかにして超感覚的意識の認識を獲得するか。より

大事な事なので、二つの文章を引用しました。
自分が考えたと思っている事、自分の予感。
それらは、実は自分がひらめいた事ではない事が多いのです。
自己観察、自己想起をしていたら、だんだんとその自分の嘘に気がつくようになってきますね。

もちろん、やって来たひらめきにも気がつくようにもなってきます

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