精神世界と物質世界のバランス。
この仕事をやっていて思うのは、なんでそんなに精神世界と物質世界を切り分けて、精神世界を特別視する人が多いんだろうってことです。
精神世界、つまりスピリチュアルなことは僕にとって、物質的なものと同じようにあまりにも当たり前のこととして存在するので、切り分けることも特別視することもありません。小さい頃から父方と母方の祖父母の家では仏壇に手を合わせて挨拶して、お寺が運営する幼稚園で過ごしていたので、そういう目には見えない要素が日常のあちこちに存在していたからだと思います。
極端に「スピリチュアル大好き!」と偏向状態になっている人も、極端にスピリチュアルなことを嫌い、疑い、拒絶し、馬鹿にするという人も、ベクトルは違えど「極端な偏り」という同じ質を持っていると僕は思っています。
現実的で物質的なものとスピリチュアルなことに境目はない。
僕はそう思っています。マナカードでラマク(Lamaku)という松明のカードがあります。「勝利」という質を持っていますが、実はこのカードは精神面と物質面のバランスが取れてこそ、勝利に繋がるという解釈があるのです。つまり、現実的なこととスピリチュアルなことのふたつの領域を自由に行き来できることが重要なのです。ラマクには啓発やひらめきという意味もありますが、啓発やひらめきというものは、そういうふたつの領域を柔軟に行き来できてこそ得られるものだと思います。啓発やひらめきは独りよがりの妄想ではありません。
かつて長年ヨガをやっていました。超現実的に体を動かすことによって、精神的な部分へのアクセスになり、刺激やひらめきのような気づきが得られることを常に感じていました。ヨガはまさに体と精神の領域を行ったり来たりしながら、自分自身と向き合うための時間です。
京都でお世話になっている整体の先生もまさにそういう感じです。先生の施術は体と精神を自由に行ったり来たりする自己対話のような時間だし、先生との会話もそんな感じで、あまり言葉にするのが得意ではない先生が言った抽象的な言い回しを、僕が翻訳して明確に言語化して先生に返すというやり取りがとても多く、それが互いにとってのインスパイアになっているのです。
実は「言語化」という作業って、まさに精神的領域から現実的領域へとシフトさせるものだと思っています。頭の中にある漠然としたものを明確な言葉にするという行程は、段差なく繋がれたふたつの領域の間にあるグラデーションをなめらかに往来しながら、言葉を紡ぎ出していくように思います。
自分の内にある精神世界と物質世界のバランスが偏っていると思ったら、現実的に役に立つ啓発やひらめきを得るための自分という土台を整えてください。
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