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14歳の栞

ずっと気になっていた「14歳の栞」という映画を鑑賞。埼玉県春日部市のとある中学校、2年6組に在籍する生徒全員を追ったドキュメンタリー映画。全ての生徒のインタビューと学校生活が切り撮られ、それぞれが何を考え生活をしているのかが赤裸々に映し出される。

まず感じたのは今までのようなあくまで作り物の青春映画とは一線を隠すリアルさ、というより生々しさ。ちゃんと僕たちが聞いてきた音が聞こえ、その音は脳内にあの頃の光景を鮮明につくりだす。教室の喧騒はもちろん、チャイムの音、黒板にチョークで文字を書く音、机を移動する時の引きずる音、机の下にある教科書を入れる部分の金属の音、そういった細かい音が作り物にはない生々しい音をしていた。現役の中学生と先生が意識せずに出す音と偽物の音ではこんなにも違うのかと思い、今までの音に対する幅や奥行きが広がったような気がした。また生徒1人1人の表情にも生々しさを感じた。まだ完成されていない、途中の顔。これから色んなことを吸収できる柔らかくてスポンジのようなあの顔にすごく引き込まれた。

でも見終わった後、心に残ったものは、そこから来るノスタルジーや青春映画の爽やかさではなく、あの頃理想とした大人になれてるのか、という残酷な問だった。

映画の冒頭5分間、産まれたての馬が立ち上がり、歩くまでのシーンがあり、それは動物の自立(大人になる)過程を表現している。そこから14歳の少年少女たちの大人になる過程(修了式までの50日間)を記録していく。彼ら彼女らはそれぞれのモヤモヤとした輪郭がはっきりしない悩みや問に真剣に立ち向かっていた。その姿は美しく、それこそ冒頭の馬が立ち上がろうとするシーンが思い出された。

その姿を目の当たりにしたとき、14歳の自分に今のあなたはどうですかと問われてるような気がした。あの頃の僕らはスクリーンに映る彼らと同じ様に、すごく不器用でそれに正面から向き合うことしか出来てなかったと思う。今の自分はそれに正面から向き合い、そのモヤモヤとした輪郭を捉え、解決することが出来たのだろうか。いや、解決はできてなくていい。それを上手く視界にいれないことができる器用さを手に入れただけじゃないのか。もしくは答えが分からない問題なのに丸をつけて解決した気になっているだけではないのか。

そんな対処を出来るようになることを大人になったと表現しているだけかもしれないと思った。現にあの頃悩んでいたときはちゃんと泣いていたが、今は泣かなくなった。でもこれは強さではない気がしている。正面から向き合っていないだけな気がする。この状態をあの頃の自分は許してくれるだろうか。

理想とした大人になれているのかは分からないし、そもそも大人が何なのかもこの映画を見て分からなくなった。だってその映画に出てくる14歳たちの悩みと大人たちの悩みはは表面の質が違うだけで核の部分は一緒だったから。

でもあの頃の自分が幻滅しないような大人でありたいと思う。そのためには見て見ぬふりをしない、その悩みをちゃんと抱えて歩くことが重要なんだろうなと思う。そうすると足腰が強くなり、悩みも軽くなる気がする。それこそ手軽に持ち運べる文庫本くらいに。それをいつか懐かしいと思えたら、それは素敵なことだと思う。もし見て見ぬふりをしてしまったら懐かしむこともできないから。もし向き合うことに耐えられないのなら一度その抱えてる本に栞を挟んで休憩する。そしたら迷わないから。その栞が今を教えてくれるから。

追記:
エンディング、2年6組の生徒たちが河川敷を歩いているところにクリープハイプの栞が流れる。この文章の最後の方に所々その歌詞の断片を入れてみた。そうしたくなるくらいこの曲が好きだし、より好きになった。この曲がこの映画を輝かさせていたし、出演した生徒たちへ向けての応援歌のような気がした。改めてクリープハイプの栞が好きになった。見た日から今日まで毎日聞いてる。

あとこれ配信とかレンタルとかされてない劇場だけでしかやってない作品なのでお早めに。たしか東京は3月末までどっかでやってる。公式サイトででどこで公開してるとか書いてあったはず。

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