久しぶりにランニング。雨。でもランニングに天気はあまり関係ない。だってどうせ汗でびしょびしょになるから。どうせ家に帰ってすぐシャワーを浴びるから。 雨の日のランニングは、すごくいい。 外にいる人達は雨に濡れまいと傘をさす。右手、もしくは左手は傘をさすためだけの手となり、何をするにしても片手しか使えなくなる。それはもう片腕を失ってしまったのと同然に見える。みな窮屈そうに見える。 そんな人たちを尻目に、僕は傘をささず、颯爽と走り去る。火照った体に冷たい雨が降り注ぐ。汗で蒸さ
特に予定もない日曜の昼下がり。家にいてても仕方ないのでカバンに携帯と財布と本を放り込み、まだ行ったことのない近所の大きな公園へ行く。 公園に着く。人があまりいないかつ、木陰になっているベンチを探そうと彷徨い歩くが、お花見シーズンもあり、どこも人で溢れかえっていた。 15分ほど歩いて、「まぁ、こんなもんだろう」と、そこそこ人はいるけどまだマシな木陰のベンチで妥協する。 本を開いて読む。喧騒は多少あるものの、意外と集中できるもので、しっかり本の世界に入り込む。でも15分に1
この文章を書いているのは3月31日。入社日の前日。少し酔っ払いワクワクしてきた。酔う前は憂鬱な気持ちでいっぱいだった。多分朝起きれば憂鬱な気持ちでいっぱいになっているだろう。でも憂鬱なぐらいがちょうど良いと思ってる。ダメージが最小限になるから。とりあえず夜中2時半まで海外サッカーをリアタイしなくちゃいけないので睡眠時間は4時間くらいになるだろう。 朝7時に起きる。雨。寝不足。最悪のスタート。眠い目をこすり、準備し、駅へ。 満員電車。今まで見たことも乗ったこともあったのに、
何か憂鬱なことがあったり、しなきゃいけないことが沢山あり、明らかにキャパオーバーな日。そんな日と低気圧がぶつかると人は狂う。2日前の低気圧はかなり食らった。晴れの日なら、道端の草の青々しさや、公園で遊ぶ子どもたちや、すごく接客のいい店員さんに癒やされ、憂鬱な気持ちも紛れる。でも低気圧はそんな気も起こさせまいと、僕の心をチェーンでぐるぐる巻きにする。視覚、聴覚、嗅覚から入る情報全てを不快なものへと変換し、脳に届ける。街を歩いてて普段うるさいと思わない会話や風景、人の視線も全て嫌
京都の高校生 18,19,20と京都に。滞在中はインドで知り合った高校生のY君の家に泊まらせてもらった。 Y君がインドに行ったのはビートルズがインドに影響を受けているからとのこと。面白い子だなと思い、そこから色んな話をした。最後、京都に来たときはぜひ泊まってください、と言ってくれたので、じゃあマジで行くよ、ということでマジで行った。 Y君はちゃんと物事の本質を捉えようとする所があり、話を聞いているとまるで人生の酸いも甘いも経験したおじいが頭の中に住んでいるんじゃないかと
ユニクロで5、6歳の男の子と母親、父親の3人が買い物をしていた。どうやらお父さんの買い物らしい。Tシャツを体にあてがい「コレどうかな」と母親に聞いている。 すると男の子の方が「ちょっとお母さん来て!」と呼びかける。そして鏡の前で舌を出す。「べ〜〜」 すると母親は「うわー、すごい」と、 何がすごいのかは分からないがとりあえずの反応をする。 そしてまた父親が「こっちのほうがいいか」と言い、母親は「サイズ小さくない?」という。 そしたら男の子はまた「べーー」と舌を出す。
今まで行った喫茶店の名前史上、一番好きな名前。 「ちょっとロボ行ってくるわ。」 言いたくなる。 「ロボ」 硬いようで柔らかい少し間抜けさもある響き 硬さは多分「ロボット」から来てるんだろう。でも語尾の「ボ」がなんか柔らかくて間抜けな感じがあって。それが喫茶店の名前ってのもいい。喫茶店とロボットはかけ離れてるけど、どっちも古さを感じるし、語尾の「ボ」の柔らかさが心地良い。 うん、喫茶店の名前グランプリ圧倒的優勝です。おめでとうございます。
ずっと気になっていた「14歳の栞」という映画を鑑賞。埼玉県春日部市のとある中学校、2年6組に在籍する生徒全員を追ったドキュメンタリー映画。全ての生徒のインタビューと学校生活が切り撮られ、それぞれが何を考え生活をしているのかが赤裸々に映し出される。 まず感じたのは今までのようなあくまで作り物の青春映画とは一線を隠すリアルさ、というより生々しさ。ちゃんと僕たちが聞いてきた音が聞こえ、その音は脳内にあの頃の光景を鮮明につくりだす。教室の喧騒はもちろん、チャイムの音、黒板にチョーク
大人になったなと感じることがたまにある。(いい意味でも悪い意味でも。)今回は悪い意味でだ。 松屋に入り、牛丼の並と豚汁セットを注文。普段なら大盛り、もしくは特盛にするのだが、なぜか今回並盛に。お腹は減ってたし、全然食える余裕があったのになぜか並盛に。 食い終わったあと、「あれ?いつもよりなんか機嫌がいい。牛丼を食い終わってこんなに機嫌がいいのは初めてだ」と思った。 なぜか。 それはちょうどいい量だったからである。 今まで僕は無理をしていたのだ。牛丼屋から出ると、いつ
街中で1人でにやにやしながら歩いてる人を想像してください。なんか危なそうと思うじゃないですか。 えー、、、僕もその一味です。移動中は基本音楽かラジオを聞くので、ラジオを聞いてる時はどうしても笑ってしまいます。これは仕方がない。でもさすがに突然「ガハハハハッ!!」って笑うのはヤバすぎるし、街の人をビックリさせてしまう。だからそれを必死に堪えようとする。すると街中でみるニヤケ顔の危ない人の完成です。 努力はしてるんです。 配慮はしているんです。 堪らえようとはしているんで
クレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲、森見登美彦さんの小説、「太陽の塔」を見て、「なんか惹かれるな」と思い数年。ようやく実物を拝むことができました。電車に揺られ40分、昼の2時頃に実物を見たのですが「すごいけど期待したほどではないな」と思ってしまいました。しかし太陽の塔内部の展示には圧倒されました。「万物の生命の源である太陽」をテーマに70mの建物の外部と内部をその一つのテーマで表現する、まず現代アートでここまで規模の大きいものは珍しいし、それを全部見るのに30分ほどかかるの
沖縄には戦争の資料館がたくさんあり、3つほど周った。戦争の悲惨さについての資料はたくさんあったが、戦争が起きた理由についての資料がもっとあっても良いと思った。人が人をいっぱい殺してまで達成したい目的とは?利益か、思想か、恐怖か、熱狂か、攻撃性か、あとなに? 悲惨さから戦争はダメだ、っていうアプローチだけじゃ足りないというか、それを訴えてもまだ戦争してるから、そこに至るまでの理由や戦争のメカニズム的なものも知らないといつの間にか戦争に繋がる流れが始まっていて気づいた時には遅い
猫が好きです。昔は犬派党の犬大臣だったのですが、20歳当たりに電撃移籍。猫派党の猫大臣になってしまいました。野良猫を見つけるととりあえず近づいて「そなたの頭、撫でさせてもらえませぬか」とお伺いを建てるのですが、ほとんど逃げられてしまいます。今日久しぶりに逃げない、人懐っこい野良猫に出会いました。「にゃー」となきながら足元でスリスリ。すかさずかがんで「そなたの頭、撫でさせてもらえませぬか」と伺い、「にゃ~」と。「よし」と思い、撫でさせてもらいました。するとすぐ手から離れて足元で
鳥山明先生が亡くなられたとのこと。悲しい。 週末、ゲオに行ってドラゴンボールのDVDを借りるのが小学校時代の楽しみでした。夜の10時に寝なさいと言われ、でも続きが見た過ぎて、深夜の2時に起き「一応、寝たよね…」とリビングで続きをみていたら怒られました。昼休み、キックベースで味方が三塁ベースからホームベースに帰ってきて点が入ったときは、みんなで「てんさん…」とチャウズの自爆シーンのように抱き合うのがお決まりでした。もちろん本気でかめはめ波を出そうとしてました。 いっぱい夢を
ある本に影響され、日記的なもの書こうと思います。「日記的なもの」とは?。〜的なものと曖昧に表現するのは自分のダメなクセです。振り返るとこういうクセのせいで曖昧な言葉しか使わず、曖昧な関係のまま終わってしまった人が何人もいるよう気が… ウグッ… …日記を書きます。 でも、そう決めた今日は特段コレといった出来事もなく、平凡な日で、平凡な日の中でもさらに平凡な日で、麦焼酎のソーダ割を飲んで、ダラダラYouTubeを観て、そろそろ寝るか状態で、かなり酔っていて、なんかそろそろボロ