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令和になっても村八分? とか

田舎の牢獄シリーズの前回の続き……ではなく、今回はある記事に触発されて書いた内容です。

その「ある記事」というのはこれ↓↓↓

文中に↓↓こんなことが書かれていますが

これを聞いて驚いた人は多かったんじゃないでしょうか。21世紀の今でもそんな村八分みたいなことする奴がいるのかと

本当の田舎出身の人間としては確信を持って答えますけど、

うんざりするほどいますよ。

といってもこれ、別に田舎だけでもないんですけどね。

著者の城繁幸氏も書いているとおり、「日本人にとって社会とは単にそういうものなんでしょう」というぐらい、普通なんです。

ということは何か理由があるはずなので、「どうしてこうなった?」のかを考えるほうが生産的でしょう。(理由が分れば対策が打てるかも・・・)

私はそういう「田舎体質(とひとまず言っておきます)」にさんざん悩まされた末に都会に逃げてきてようやく生き延びた人間ですから、この種の体質には積年の恨みがあります。が、しかし、今では「田舎には田舎の事情があり、そうならざるを得なかったのだ」ということを一応理解しているつもりです。だから、非難する気はありません。ただ、自分はそういう世界では生きていけないと思うので、静かに距離を置くだけです。

と、個人的な立場表明を終えたところで、「そうならざるを得なかった田舎の事情」って何? という本題に入りましょう。

ただし始めに書いておきますけどこの話はすごく長くなります。ここまでで既に長いですけど、さらに10倍ぐらいは続くと思います(マジか)。


日本社会の「集団主義」傾向の源泉とは

まずは参考書籍としてこういう本がありまして・・・

重要なポイントをいくつか私の視点でまとめるとこういう点があります。

(1) 室町幕府は、紛争が起きたときは責任の所在を明確にし、直接の加害者個人に一切の責任を負わせることで問題を解決しようとしていた。これは現代人にも通じる感覚であった

(2)しかし、当時の紛争当事者にとっては、「責任者個人を特定して処罰する」のはどうでもよく、彼らの最大の関心事は、喧嘩が集団間の紛争に発展してしまった以上、敵対集団が集団としての適切な謝罪の意を表わすことに尽きる

(3)その「謝罪の意」を象徴するのが、「加害側の組織が被害側と同等の損害を受けること」であり、その実務的な落とし所が「喧嘩両成敗」であった

と、箇条書きにしてみましたが我ながらこれじゃあピンと来ないと思うので、お得意のロジック図解で行ってみましょう。

そもそも、生物としての個々の「人間」は非常に弱いもので、本当の「自然」界に放り出されたらあっという間に死んでしまいます。人は何らかの集団に所属しないと生きられません。

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ただしこの「集団への所属」の度合いの強弱は地球上の地域によって違っていて、日本は非常に強い方であると思われます。つまり「個人と集団との一体性」が強い社会です(その理由については個人的な仮説がありますがとりあえず略)。

そうすると困るのが、「個人間の紛争が即、集団間の戦争へとエスカレートする」ことです。

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前掲の参考書籍にはそういう歴史的な事例がわんさか出ています。他に

という本にも事例が豊富です。

現代なら「個人間の紛争は、裁判で双方の言い分を聞き処分を下せばよかろう」という、個人レベルで責任を問えばいいという感覚でしょうが、昔はそれでは済まず、戦争(帰属集団を巻き込んだ殺し合い)になってしまうわけです。

しかし、ガチな戦争をすると双方に莫大な被害が出てしまいます。戦争というのは始めるよりも止めるほうが難しい。行くところまで行ったら「敗者皆殺しあるいは奴隷化」ですが、その過程では勝者側も無傷では済みません。復讐の連鎖が続けば双方全滅だってありえます。

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こうなると「どっちが悪い」という「責任を問う」ことにはもはや意味がないわけです。戦争になってしまったら、勝っても負けてもどのみち死にます。

それよりは、「双方が同じ程度の被害を受ける形を作って終戦にしよう」というのが「喧嘩両成敗法」なんですよ。そうすれば1人ずつ死ぬだけで済む。それで両方のメンツが立つじゃないか、というわけです。

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「1人ずつ死ぬだけで済む」なんて現代の感覚ではとんでもない話ですが、15~16世紀、死が今よりもはるかに身近にあった、そして「個人」という感覚が希薄だった時代の話です。(しかも、実際には「メンツ」さえ立てばいいので、詳細は略しますが「死なずに済む」場合も多かったようです)。

とはいえ、「1人ずつ死ぬだけで済む」……という事態さえ起こらないほうがいいのは言うまでもないですね。それにはどうすればいいかというと

とにかく、もめ事を起こすな!

というのが集団の基本的な価値観になり、そのための実務的な方法として

取り決めを作ってそれを守る

ということが重視されるわけです。

つまり「ムラの掟」を絶対視するコミュニティの出来上がりです。

ここで思い出していただきたいのが、1つの会社に長年勤めて定年退職する社員の定番の挨拶に「大過なく勤め上げ・・・」というフレーズがあること。

「成果を挙げる」ことよりも、「もめ事を起こさない」ことを重視する組織の象徴のような言葉だと思いませんか?

さて、ここで問題になるのが、「ムラの掟」に従わない構成員がいたらどうするかです。

何らかの制裁が必要ですよね。

それが「村八分」というわけです。

「ムラの掟」というと何か傲慢で横暴な庄屋とか名主が気ままに村人を支配する道具として使っていたようなイメージがあるかもしれませんが、本来は「紛争を防止するためのルール」でした。たとえば「線香水」というこんな手法があります(出典:土砂どめ奉行ものがたり)。

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水を公平に分配するためにこういう手法まで作って運用していたわけです。こういうのも「ムラの掟」のうちです。

また、その水の大元をたどっていくと、ひとつの水源を複数のムラで共有していたりします。当然、ムラどうしの間で似たようなことをやらねばなりません。近代に入ってから作られたものですが、円筒分水という施設もそのための仕組みの1つです。

日本は世界有数の人口密度の高い国で、それも国土の大半は山林なので狭い平地に多くの人口が集中していました(もちろん現代でもそうです)。ムラどうしの間隔が狭く、水や山林という資源を共有していたため紛争が発生しやすく、それを防ぐための工夫が必要だったわけです。

そうした工夫がつまりさっきも書いた「取り決めを作ってそれを守る」ことですが、これはムラどうしだけでなく、ムラと領主の間でも同じです。ムラと領主の関係は支配-被支配ではなく双務契約であり、「お互いが取り決めを守る」ことによって成立していました。その契約がムラの生存を左右する以上、ムラは構成員全員がそれを守るように統制する必要がありました。もしその契約を守らない構成員がいたらどうするか?

何らかの制裁が必要ですね・・・以下同文。

「村八分」というのは本来そうした「ムラの生存に不可欠な事情」があって成立してきたものです。それを、法治主義が浸透した現代において、生存のためのインフラも十分整備されている都会に住む人が肌感覚で理解できないのは無理もないでしょう。

しかし、だからといって「田舎ではいまだに村八分が・・・」というような「前世紀の遺物、時代遅れの人々」というような感覚で考えるのはやめたほうがいいと思います。というのは、城氏もいうとおりこれは田舎だけの問題ではないからです。無意識に染みついた価値観、思考習慣はそう簡単には変わりません。

いろいろと書き足りない気がしますがとりあえず今日はこのへんで。


(追記)書きかけのメモを一枚追加しておきます。

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