見出し画像

コミュ障の後遺症は長く残る


いわゆる「コミュ障」というスラングはあまり使いたくないですが、「いじめ」に起因するコミュ障問題には長いこと悩まされました。

■うまく笑えない
大学に入ってからのある飲み会でのこと、同席していたA君がとてもにこやかに屈託のない、その場にいる誰もを幸せにするような極上の笑顔でおしゃべりをするのを見て、ああ、こんなふうに笑えるんだ、いいなあ……と、ちょっとした衝撃のような羨望のような感情が湧いたことがあります。

あんな笑い方は自分にはとてもできないと思って悲しくなった、というのが本当のところかもしれません。

で、見つけたのがokwaveでのある相談です↓

友達といて上手く笑えないんです。 客観的に冷めて見ている自分が心にいる感じで、素直に楽しんだり 出来なくて、自然に笑えないんです。(中略)
中学生時代所属していたバレー部内で本当にイジメが好きだった女子中心に散々までに精神的なイジメを受けた経験があり、当時は本当に人間不信に陥って、自殺しかけた時期がありました。以降、冷めたもう一人の自分が心に強く存在している感じでしたが、二年なり部活を辞めクラスも変わり優しい沢山の友達に囲まれてまた自分らしく生きれるようになりました。その時期は本当に辛く世の中に絶望した感じで本当に笑顔を忘れました。
https://okwave.jp/qa/q8149873.html

この相談者の気持ちは本当によくわかるというか、ああ、そうだよねと思います。

思ったことをストレートに言うと馬鹿にされたり、失敗すると叩かれる、とにかく何をやっても悪意で返される、ということが長く続くと人との距離をうまく取れなくなり、本心を出さなくなるんですよ。そんな人間が他人への警戒心を解いて無防備に笑えるわけがない。これは相手が優しい人であっても変わりません。

こんな例えをするのもどうかと思いますが、長いこと虐待されてしまったために人間不信になった犬や猫をイメージしてもらうと近いかもしれません。そんな犬猫を優しい里親のもとに救い出したとしてもすぐに警戒心が解けるはずはなく、しばらくは怯えた目で逃げ回られたりすることでしょう。

私がいじめられていたのは中学までで、高校以後は問題なかったのですが、人間関係をうまく作れないという後遺症はどちらかといえば大学に入った後で出てきてしまいました。おそらく高校生までとは違って大学以降は「社会人」的な面が必要とされるからだと思います。大学生以降、若者が社会に入っていくときに求められる「コミュニケーション能力」の中には明らかに「明るく元気で愛嬌の良い立ち居振る舞い」というものがあります。私にはそういう要素は決定的に欠けていました。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?