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死にかけている人間はとりあえず安全な場所に避難しなければいけない


包丁をじっと見つめていた小学生の冬

あれは11~12歳ぐらいの頃だったと思いますが、まだ小学生だったある冬の日、私は自室に先のとがった包丁を持ち込んでいました。心臓を突き刺せば死ねるだろうと思ったからです。結局、着ていたTシャツの胸のあたりに切れ目を入れてはみたものの実際に自刃を断行するには至らなかったので今も生きています。まあ、仮にやったとしても肋骨にブロックされたりして、素人の腕では実際に心臓を突くのは難しいようですが。

他には橋の上から川に飛び込んでみようかと冷たい川の流れをしばらく眺めていたこととか、飲むと毒であると聞いた台所用洗剤をコップに半分ほど出して、これを全部飲めば死ねるかなと眺めていたこととか、小中時代にそんなことは何度もありました。

しかしいずれも未遂以前の「思っただけ」ですし、当時誰にも「死にたい」などと言ったことはないので誰もそのことは知りません。特に中学時代の担任教師は知らなかったでしょう。彼女は私が学校に行くのが嫌になって数日休んだ中3のあるとき、家にやってきてこう言いました。

「勉強の出来ないA君でも明るく学校に来てるのに、どうして成績優秀な君が来たくないの?」

アホかお前は。成績優秀なら学校に行くのが楽しいとでも思っているのか? と、口には出しませんでしたが私はそのときこの担任教師に心からうんざりしたものです。それ以前から彼女が担当教科の国語の教師としても無能な上に学級運営の能力も無いことはハッキリわかってましたが、この一件はその実例の1つです。

「あんたが名前出したAが俺へのいじめの主犯だろうが? わかんねえのかあんたには!? それでよく担任やってられるな?」

と、口には出さず黙ったまま、彼女にはお引き取りいただきました。ちなみにこの担任氏、伝え聞くところによると私が卒業後数年経ったときに「開米君は一度も遊びに来ないね」などと言っていたらしいですが、行くわけないだろ馬鹿かお前は、とはこのことです。それぐらい本気で何も分かっていない、そういう人物でした。

本音を言える相手はどこにもいない

こいつには何を言っても無駄だ。

心中にあったのはそういう思い。
けれど、「こいつ」に言っても無駄なら、では誰に言えばいいのか。

安心して口を開ける相手はどこにもいませんでした。親も含めてです。

そして、当面の問題を先送りするために、私はまた学校に行き始めました。「勉強」に関してはなんの意味もない授業でも、黙ってその時間机に座っていれば、学校としては「問題ない」ことにできるわけです。

学区外の高校に進学できる?

ところが、受験シーズンが近づいた冬の時期、中3の12月ぐらいだったと思いますが、ある望みが生まれました。学区外の弘前高校に進学してみないか、と親に言われたのです。
当時青森県は県内の高校学区の区切りが今よりも狭く、私が進学するとしたら順当なのは家から通えるG高校で、弘前高校は隣接学区にあったため本来は受験できません。ただし定員の数%だけ「越境枠」があり、その枠内で越境入学者を受け入れていました。

「弘前なら、家からは通えないな・・・」

まっさきに私はそう思いました。私の家は五所川原市内でも端にあったので、朝早く家を出ても高校に着くのはお昼に近くなる見込みでした。これでは通えないので、もし受かったら実家を離れて弘前市内に下宿せざるを得ません。

「それはありがたい」

と考えた……というよりそれが私にとっての希望の火になりました。そうなれば、自分を敵視し迫害してくる人々がのさばっているこの場所から逃げ出せる。縁を切れる。

弘前高校は青森県内の御三家と言われる進学校でG高校よりもレベルが高く、しかも越境入学なのでさらに合格ラインが上がります。そこで「大丈夫か?」と心配する声も周囲にはありましたが、私自身は「とにかく実家の地域を抜け出したい」の一心で志願先を弘前高校に切り替えました。それまでも学区内の模試では5位以内ぐらいでしたし、「本気で受験勉強したらまず大丈夫だろう」と考えたわけです。

結局その受験に成功し、私は家を出て弘前市内に下宿して高校生活を始めることができました。高校の同級生は中学までとはうって変わって性格のいい奴らばかりで、ようやくいじめられる心配をせずに過ごせるようになり、自殺を考えることもなくなりました。私以上の変わり者も何人もいましたし、成績も上位とはいえトップでもないのでそれほど目立たなくなり、とりあえずは「平穏な日々」を送れるようになったわけです。

といってもそれで問題がすべて解決したわけではなく、その後もいろいろと「田舎の牢獄」に由来する問題には苦しめられたのですが、ひとまずその話題は別な機会にします。

まずは安全な場所を確保しよう

死にかけている人間はとりあえず安全な場所に避難しなきゃいけないんですよ。
他のすべての問題は生存を確保してから考えればいい。

大げさに言っているのではなく、子供の「いじめ」問題というのはそういう種類の問題です。

私にとっては「いじめ」といっても「いじめ自殺」報道で伝え聞くものに比べるとまだそれほど過酷ではなく、自殺は考えましたが中学卒業までは生き延びて、たまたま巡ってきた「高校受験」でそこから抜け出すことができました。しかし実際に抜け出すために使える方法は人により千差万別だと思います。

40年前の私の周囲にはありませんでしたが現代の都市部ならフリースクールもありますし、学校には行かないという選択肢もあってもよいと思います。というか、もし私に子供がいたら、いまだに組体操ピラミッドをやらせるような小学校に通わせるぐらいなら他の道を探すでしょう。

いろいろ書き足りない気がしますが、今日はこのへんで。

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