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デクラスを待ち疲れた貴方へ 創造の力を持つ貴方の心へ直接アプローチ 2

      ~ DS支配からの卒業 Section1 相対(2)~

体験する現実は、どんなにデメリットのように見えても実は心の奥底に隠れたメリットがあり、そのメリットによって自ら創造しています。この観点から心の奥を探ってメリットを見破り、何故これほど待ち望んでいるはずのデクラスが起きないのかの原因を考察していきたいと思います。
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さて、相対(1)の続きです。
矛盾する二つは同時に両方あっていい。両方あるのが自然界。両方あるのがこの世界の法則。

とお伝えしました。

なぜ両方あっていいというこの認識が大事なのかというと、自分の潜在意識、自分の心の闇に切り込んで行く時にこの認識が大事な大事な後ろ盾となるからです。

さて、相対(2)です。DS支配からの卒業と相対がどう関係あんの?それを進めていきます。

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光を求めて闇を排除する
正義の味方、悪を正す 

思い当たりますか?こんな傾向。私は思い当たります。でも仕方ないんです。だって童話やドラマや映画はほぼ、勧善懲悪でしたから。悪者は " 絵にかいたような極悪 " でした。だから潰していい、叩いていい。悪を叩きのめしに颯爽と現れた正義のヒーローカッコイ~ってのが王道で定番でした。

現代だったらDSですね。ここで私が取り上げるまでもなく、徹底的に調べ上げてDSの悪事を皆さん、知り尽くしている事でしょう。

初めて知ったら精神崩壊するほどのあんな事やこんな事、知ったら人間だから頭に来るのも当然だし、公の場に引きずり出して、裁かれろ。滅びてしまえ。そしてこんな世界はもう沢山だ!本当に変えたい、そう思うのは当然です。

そしてDSに立ち向かった勇気ある人は過去には全員消されてきました。諦めていた頃に浮上してきたのが2020年あたりからのカバール崩壊!!? の兆しでした 庶民がうかがい知れない水面下では進んでいるという進退情報に一喜一憂し続けているのは私も同じです。

このまま待ち続ける?インフルエンサー達が言うように波動アゲアゲ ルンルンで毎日を楽しく待っていようか、それとも抗議行動起こす??

外での話はここまでにして、ここから少し、心に切り込んでいきます。なぜなら意識が現実を作っているから。

でもご安心を、あなたの心に切り込むのではなくてここからは私の心に切り込んでいった経過報告です。けっこう痛いかも…読む勇気のある方は続きをどうぞ!

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1、見えているのは誰の世界?

この世界にはれっきとした物理的世界、人間社会があります。私が死んでも世界は続く、社会は続く。だけど生きている今、見えている世界と社会は「私の目で見た」「私の意識が感じた」世界です。

わたし  :主体
世界・社会:客体 

では「見えているもの」は一体何なのか、「"私が"認識したもの」です

光には可視光と不可視光があり、見えているのは可視光だけ。波長が合っているものだけを認識しています。ラジオもそう、チャンネルを合わせたものを聞いています。

主体は常に「わたし」です。←ここを忘れがち

だとすると…ここでゾッとしてきます DSの悪事を認識している私。ということは私の中に、あんな要素があるとでも言うの?

認識できる自分の世界に「社会悪」を見ているということは、自分の内側にこそ、自分の直面するこの現実に社会悪を現出させている何かの要因があるわけです。"わたしの現実" とは "わたしが認識する世界" です。

2、何のメリットがあって この現実を"創造"した?

私達は実は自分達の現実を自由に創造できるものすごい力を秘めています。
(何にも叶ってないよ!という声には別の機会に書きます)

では何を望んで創造してるんでしょう?答えは メリット です。
(とても深いのでメリットについても別の機会に書きます)

私には望む現実を作る力がある。

今現在、社会悪を認識している世界にいる

何がメリットで、私はそれを生みだしたのか。

…仮説ですよ?

メリットは「裁きたいから」です。そのもっと大元は「自分は正義の側でありたい」から。ついでに周りにもそう証明したい。幼い頃からの刷り込みの通りに…

「望む現実を作れる力を持つ我々が 裁きたいから、その望み通り、裁かれる対象がある」という仮説。

最初に社会悪があって、だから正義感が生じた のではない。
逆です。私はいつも正義の側でありたい。正義の側である証明は  ”悪者の存在"  があることによってなされる。

更に正確に言うなら 同時 です。争うということは、同じ土俵に同じ時刻に立っている必要があるからです。

裁きたいという願望があって、願い叶って裁く対象を認識した。
しかも、裁くには極悪なら極悪ほどいいんです。心が痛まずに堂々と非難出来ますからね。まさに今の状況です。

それも仕方ない事なのかもしれません。私たちは勧善懲悪、正義ものを見て育ち、それが刷り込まれていて、無意識のうちに光側になりたいが為に悪役を常に探しているんです。それも、やっつけても心が痛まない程の極悪な悪役を‥

私の心を深く潜っていって、心の奥底に見つけてしまった、私が認めたくなかった事をここで思い切って告白してしまいましょう。

戦いを見るのが楽しいと思ってる。強悪な組織と光の同盟、役者は全部揃っている。地球の解放をかけた光と闇の最終戦争、ですって!?こんなに面白い時代ってある??

なんと不謹慎極まりない、心の奥底の思い。

だから、この世界を見てたのか。
なぁんだ、そうだったのか。

ここまでなら単なる不謹慎な自作自演女ですが、ここでは終わらない!

表層ではDS支配を終わらたい!なんて言っときながら、実は戦いにワクワクしていて、ぶっちゃけ悪者叩きがしたかったなんて、DS存続の片棒担ぐような事をしちゃってたなんて、不謹慎だわ…(もちろん大がかりな事なので私だけじゃなくて皆で共同創造したのでしょうけど…)

ここで、相対(1)で述べた 相対OK!が生きてきます。

「良い私」も「ひどい私」も、両方あって=相対、どっちでもOK=。OKしなければ自分のひどい心なんか到底見る勇気は起こりません。

ジャッジメント(裁き)を手離そうとよく言われますが、心の奥底に何重にも鍵をかけた自分でも気づきたくないメリットを見つけるまでは、本当の手離しには至らないのではないかな?と思います

デメリットは手離そうと言われなくてもいつでも捨てたい。手離しがたいのは隠れたメリットです。そして、手離す為には、手離すもの=メリット が何なのか、正体を見つける必要があります。正体不明のものを捨てようと思っても無理ですから。

メリットを見つけて手離すと決めることは、例えて言うなら、バッティングセンターで次々打ち出される球を打ち返す行為=対応 ではなく、打ち出す機械(?)の電源を切る事と同じだと思っています

ここでタイムラインの話です。共同創造したこの現実ですが、創造した現実がお互い交錯しなければ体験はしないわけです。

そして全員の移行していくタイムラインから 「裁きたい」気持ちが消えたなら、全員の世界から裁きたい対象が不可視領域になるのではないか、と

外側をいくら憎んでも終わらない。

発信源は必ず自分。そして答えはいつも自分の中にある。

相対を後ろ盾に創造の源である自分の奥深くに潜水して、自分の内なる二極をただ見ること、気づくこと、

そう思うに至った理由が必ずあるので、どんな自分でもいいよって言ってあげる許可こそが、今この時期だからこそ目下の重要課題なんじゃないかなって思っています。

最後まで読んでくれてありがとう。参考になればうれしいです。

國 臣子

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