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劇場版モノノ怪 唐傘 考察5 歌山の最後 「私の、おつとめ・・!」の意味は?

さて、何度か鑑賞してもなかなか分からなかった歌山様の最後についての考察です。今回もネタバレしてますので、ご注意ください!

「役目を全うするうち、いずれ高くから見えるようになる。手放すことも苦ではなくなるだろう」


そう話す歌山の手のシミが、何度となく映し出されていた。「大奥に長く居すぎた」ことの象徴のように。


「わたしの、おつとめ・・!!」運命を受け入れた歌山

歌山が大奥の最高責任者として、大奥の末永い安泰の為に『なかったこと』 としなければならなかったもの。北川の死、麦谷、淡島の事件。それらは各自が投げ入れた大切な物とともに、大井戸の底に「なかったもの」として隠蔽された。

大奥の150年の永きに渡る安泰は 文字通り「亡きもの」として古井戸の底に葬った者・物の思いの上に成り立っていた。

そして、麦谷の事件の際、男子禁制の大奥にいきなり立ち入った怪しいいで立ちの薬売りに即刻、通行手形を与えた歌山。歌山は気づいていたんだと思う。捨てられた者・物の情念が なにがしかの姿、モノノ怪となり大奥内に蠢(うごめ)いていることを。そして「唐傘とやらを見事 斬って見せよ」と薬売りに申しつけた。

歌山は、初日に井戸に何も投げ入れず「お勤めに身を捧げる覚悟はできております!」と言ったアサを重用し、アサがたった数日の新人にも拘わらず異例の抜擢をしていく。

それは、アサの「おつとめに身を捧げる覚悟」が自分(歌山)と同じ (自分の後継者になれる素養がある) だと歌山が感じたからではないかと思う。

大餅曳の儀が中止されれば怪異はおさまるかと歌山に尋ねるアサに「そう、思うか?」と答える歌山。アサの答えによっては、もしかしたら・・歌山は一瞬の迷いが出たのかもしれない。しかしアサは頭を下げた。「(中止はしない。それが)私達の、おつとめです!」と。歌山は「そうだな」と答える。何を迷う事があろうか、最初から道は決まっていたのだ。

体制のほころびを古井戸に打ち捨て、大奥を揺るぎなく維持していくことを選択したのなら、捨てたものの情念と捨てられたものの情念がモノノ怪を生じる。

アサは言った、「おつとめに身を捧げる覚悟はできております!」と。そのまさにアサの言った文字通りを地で行く覚悟を歌山は決めていた。おつとめに、身を・・いずれ狙われる自分の生命を・・捧げる覚悟だったからか、と。

「何を捨てた!」「なぜあんたが唐傘に狙われる!」現し世に顕現しようと迫る唐傘の壁を押しとどめながら薬売りが歌山に問う。


歌山は 己を 捨てたのだ。


つまり歌山は、

  • 「組織の為に個を犠牲にすることもある」、それを知った上で、組織の為を常に選択していく事がおつとめであり

  • 犠牲になった情念がモノノ怪になり、モノノ怪を斬ると言った、怪しい初対面の薬売りの滞在を許可するのもおつとめであり

  • 唐傘が最後に狙うのは自分だと分かっていて、そうなるであろう自分の最後を受け入れる事もまた、「わたしの、おつとめ」なのだ、と・・


現代社会にも通じる大奥の物語

非常に語弊があるかもしれませんが・・・

現代社会で言いかえれば、組織を守ることを第一に、会社内で起きた不祥事を知りながら隠蔽・偽装工作し、解決策を示してくれそうな外部者(薬売り)に一縷の望みを託し、解決できない暁には自分の首が飛ぶことも覚悟している組織の長、という感じなのですかね~

現代社会であればこんなことが明るみに出たら、ここぞとばかりにスケープゴート、非難ごうごう、

たしかにやったことは現代であれば法律で裁かれるような事、

しかし、歌山の決意は善悪という堺を超え、振り切っている。切なくて、カッコ良い。

ひとつの選択をしたことで生じる結果までを、肚を据えて受け入れる覚悟は、すごみがあり、小気味良い。ドスの効いたカッコよさ!

そう、モノノ怪は確かにいるが、悪者はいない。それがモノノ怪の物語。

(※注 犯罪はそれでもダメですよ~!)

歌山は、合成の誤謬の最大の犠牲者?

中村監督が劇場版モノノ怪のテーマとして挙げた「合成の誤謬」。

組織の長として選択したやり方が最後には自分に死をもたらす事を覚悟していた歌山は、合成の誤謬の最大の犠牲者だったのかもしれない。

歌山様とアサの会話で印象的だったのは

「ここ(歌山様のお部屋)ならモノノ怪に」
⇒(自分が殺られても大餅曳には影響が出ないな)、がきっと省略されている。

アサが「・・ではいないと思います!」
⇒「おそらく、北川様はどなたのことも恨ん ではいないと思います!」

こう言った時、歌山様は驚いていた。つまり、歌山様は自分のやり方は恨まれて当然だと知っていながら役割の為に己を捨て切っていた・・・

そして歌山様の最後、赤い渦巻となった3人の女中が迫っていく中、「これが私の、これが私の、おつとめ・・!!」と・・

唐傘が反応する「捨てる」の人の数だけある、様々な形・・・
そんな観点から見ても、一筋縄ではいかない果てしない深さがありました。


ちなみに、なんですが
歌山様のお部屋の 狐の嫁入り のふすま絵が好きでたまりません。
あと最低2回は見に行きますよ~♪


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