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<旅日記⑳ Oct.1995>ヨーロッパ国際列車の夜(アムステルダム~ウイーン)

 アムステルダムを夜8時56分に出て、翌朝10時58分にウィーンに到着する予定の国際列車。アムステルダムの駅ホームは「7-B」。車内の席は「RAAM(WINDOW)35」。「7-B」ってどのあたりだ?「RAAM」って何だ? 乗る場所らしき所もホーム上で確証が持てない。プラットホームまで勝手に入って行けるのはよいが、屋根もなく真っ暗で、人っ子一人いない。

 「ここでいいのかなあ」となんとも心細い。

 やがて、ものすご~く長い列車が入ってきた。

 やれやれ良かった。列車に乗って、部屋の扉を開けると、6人一室。3人ずつ向かい合わせの個室だ。うー、贅沢。3か月間、大陸の西ヨーロッパの国ならどこへでも乗り放題のユーレールパス(1等車用)を日本で買ってあった。だれかが乗ってくるまではわたし1人だったので広々と使える。

 これは、朝までぐっすり眠れそうだと思ったが、それは間違い。

 夜行なので外の風景はまったくわかないドイツをすっ飛ばし、オーストリアに行く。

ユーゴのあのおじさんと出会う夜行列車!

 連載としての「旅日記」を載せていただく前に書いたユーゴスラビアのおじさんが乗ってくる物語となった車両だ。

 途中、ドイツのルール工業地帯の都市の駅から乗って、車掌に誘導され、寝ているわたしの部屋に入ってきたおじさんは、何本も何本も缶ビールを勧めてくれ、とても人が好い。わたしがなにかの拍子に「ケルン」と言ったら、「ここがケルンだよ!」と体を揺り起こされてしまった。起きると、また新しい缶をくれる。そして、わたしはまた眠る。再び眠ったころにがらんと扉が開き、部屋の照明が付いたかと思うと、今度は切符とパスポートを見にやってくる車掌さん。車掌さんが行くと、また、新しい缶がわたしの前に置かれる。

 快眠とはいかないが、安全で愉快な夜だ。

 それにしても、わたしはバカだ。

 アムステルダムからウィーンに一気に抜けるなんて旅の常識を完全にはずしている。隣国から隣国へとできるだけ一本の線となるよう、ルートを描くべきだろう。タイでスイス人青年が教えてくれたおススメのルートは、すでに崩れている。

初めは、“ドイツ飛ばし”をしてしまった。

 なぜドイツ飛ばしをしたか。

 当時、ドイツは怖い国という勝手な先入観を持っていた。

 そこで、まずはちょっとやわらかめのイメージのあるオーストリアから入ってヨーロッパに慣れたあとにしようと思った(ドイツへはその1か月後、チェコ、ポーランドを経由して入国することになる)。

 ただそれだけの理由。

 当時、日本で報道されるドイツは、ネオナチかぶれの若者が外国人に排他的な行動をとっているというニュースばかり流布されていた。そんなわけでちょっとたじろいでしまったのだ。

 あとで実際に旅してわかったことだが、外国の事情についての報道は、ニュース性の高い衝撃度の高い出来事に偏るので、その国に対するイメージはそうしたニュースで出来上がってしまうものなのだ。だが、実際はそういうわけではない。

機能的には完璧日本人好みのドイツ式

 ドイツは、日本人にとり、最高にストレスのかからない国だと思った。たとえば、駅のインフォメーションで行き先を尋ねてびっくり。何時何分の「○○」行き列車に乗って、何時何分に「△△」駅で乗り換え、「△△」駅では何番線に行き、何時何分発の「▽▽」行きに乗り換えると目的地には何時何分に到着するかをきちっと表示した、近鉄特急よりもはるかにわかりやすく乗り換え方をタイムスケジュール化した紙を、近鉄の特急券を発行するようにささっと作成してくれた。なんとも機能的なシステムだ。さすがドイツ!

 イギリスの駅では、チケットを発券する窓口で、順番がわたしより前の女性がくどくどと聞き、ななかな終わらないので時間に間に合うかどうかヒヤヒヤさせられたことがある。インフォメーションとチケット売り場をわけてくれたら済む話なのだが・・・・。

  機能性が日本人の気質に合うのがドイツという国だった。

やってはならないこともあった。

 しかし、戸惑うことはあった。

 カウンターで円形に囲むビールバーで向い側に座った中年のおじさんが、わたしと目が合うとにんまりと、ヒトラー式に右手を前に高く上げてきた。ジョークでこれに応じるわけにはいかない。

 また、街角に座った、ドラッグでいかれていそうな一人の若者が、わたしが通るとサルの真似をするポーズをとり、「キー、キー」と声をあげた。再び前を通ったときにも繰り返したので、明らかにわたしをめがけてやったのだろうと確信した。

 また、ウィーンのユースホステルで部屋がいっしょになったドイツの若者が、電気髭そりのコンセントの接続がぐらぐらとしているのを見て、「厭になるよ。オーストリアは東欧みたいなものだ」と小馬鹿にしていた。

 もちろん、そんなことはほんのごく一部。旅には楽しく、気持ちのよい出会いのほうが圧倒的に多い。

 話がそれてしまった。

キレイ。美しすぎて・・・・。けれど。

 さて、列車の旅は、夜が明けてからウィーンに到着までの何時間ものあいだ、外の景色がもやっていて、白いレースのカーテン越しに山や草地の淡い風景を見ているふうでとても感じが良かった。

 この平和で美しいオーストリアから、列車で行けてしまう隣国のユーゴは戦渦にある。オーストリアの風景が美しすぎるだけに、一歩、隣国に入るだけで砲火の音が響く場所がある国際条理の不可思議さを思わずにはいられなかった。

 出稼ぎ先のドイツから内戦中の故郷ベオグラードに帰る、もう会うことはない親切なおじさんの無事を願った。

ええっ?これがウィーンか?イメージが違いすぎる。

 降り立った終着の西ウィーンの駅。

 ええっ? これがウィーンか? イメージが違いすぎる。

 ひとけのない古びた壁面の下には風に吹かれるにまかせた落ち葉。寒い風景。場末の雰囲気。しようがない。たちどまらずに歩いた。客を引こうと、物陰にたたずむ、濃い化粧の女性と目があったが、「ゴメン」と軽くお辞儀をして通り過ぎた。

 あった。

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 ↑ ウイーン西駅からのさびれた街並みを歩いて15分ほど。建物の前に見える電線はトラム(路面電車)のもの。それに乗ればとても便利な立地。宿泊したこのホテル。中は、この外観からは想像できないくらいシックでいいホテル。あるじと、そのお母さんのおもてなしもアットホーム。詳細は、のちほどの記事で触れることとします

  駅のインフォメーションで見つけた小さく小ざっぱりしたホテル。

  いわゆる、ウイーンらしいところに出るには、ホテルからすぐのところに駅があるトラム(路面電車)か地下鉄を利用すればいいらしい。

                 (1995年10月5~6日)
 初出「てらこや新聞」103号  2013年 10月 31日

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