列車の中の出会い グダニスク~ワルシャワ(ポーランド)<旅日記第40回 Nov.1995>
車掌が、わたしの切符に因縁
ポーランド北部、バルト海沿岸の港湾都市グダニスクから、首都ワルシャワに帰る列車に乗った。旧東欧世界ではユーレールパスという外国人用のお徳用割引定期券は使用できない。駅で買った切符には、意味はわからない手書きの文字や数字がうねうねと入っていた。
アメリカ在住のポーランドおばさんに助けられる。
車内で私の切符を手に取った車掌が不審そうにその文字を眺め、執拗に質問をしてくるが、ポーランド語のため何を言われているのかさっぱりわからない。通路をはさんで向かいに座っていた中年の女性が様子を気にかけ、助け舟を出してくれた。車掌が何を聞きたいのかを聴きだし、わたしの切符は正当に駅窓口で買ったものであることを説明してくれたようだ。おかげで助かった。
助けてくれた女性は、グダニスク出身で、現在はアメリカのミシガン州に移住しており、ポーランド語と英語が話せる。アメリカでは旅行会社を営んでいて、ビジネスのため頻繁にヨーロッパとアメリカを往復している様子だった。今回は私用でグダニスクにいる母親を訪ねた帰りだという。この人と知り合ったことで3時間ほどのワルシャワまでの車中は退屈しなかった。
それに、ワルシャワに着いてからもいくつかあった困り事を解決するアシストをしてくれた。
ポーランドに来てわたしの一番の困り事は、手持ちの現金が底を突きかけていることだった。
日本を出発前、シティバンクというアメリカの銀行に口座を開設、世界中のATMで現地通貨を引き出せるようにしてあったが、当時のポーランドにはまだ使用可能な金融機関は見あたらなかった。万一のためトラベラーズチェック(旅行用小切手)も持っていたが、換金可能な場所が、マリオットホテル並びの会員専用のアメリカン・エキスプレス(アメックス)というクレジットカード会社の窓口しかなかった。
わたしはアメックスのカードは持っていないので会員専用の窓口サービスを受けられないが、列車で知り合った女性が会員だったため急場をしのげた。次に行くドイツには、シティバンクがあるだろう。それまでの資金は確保した。
気がかりのタネを解決すると、今度は旧市街に案内してくれるという。
ワルシャワは、第二次世界大戦で市街地が壊滅した。街はガレキと化したが、バラバラになった石をパッチワークのように組み合わせることで奇跡の復旧を遂げた都市である。戦争前の景観に復元したというエリアを案内してもらい、ケーキとお茶をごちそうになった。
帰国後もメール交換続く
アメリカには大学生の娘がいて、日本に行きたがっているが、日本はどんな国かなど聞いてきた。メールアドレスを交換した。その後、数年間、メールでのやりとりが続いた。
(1995年11月4日)
てらこや新聞124号 2015年 08月 14日
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