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ナポリ(イタリア)①<旅日記第49回 Nov.1995>

「ナポリを見てから死ね」。

いやだ。こんなところで死にたくはない。


 「ナポリを見てから死ね」。こんな“格言”があるそうだ。ナポリには人生の享楽がぎっしりと詰まっている。そんなナポリを知らずに終える一生なんてあまりにつまらないでないかという意味のようだ。そんなナポリに出掛けようと、ローマから南へと向かう特急列車に乗り込んだ。

用心、用心。

 しかし、ガイドブックを読むと、おいしい話ばかりではなさそうだ。スリ、ひったくりの手合いには特にご用心。いかにも裕福そうな北イタリアと違い、イタリア中央に位置するローマよりも南にあるナポリは貧しい。ローマでは被害にこそ遭わなかったが、ニセ警察官に狙われた。もっと用心するに越したことはない。

 車内でパスポートや航空券などの貴重品はカメラマンベストの内側にしまい、しっかりとチャック。財布には小銭と、万一のときに差し出す1米ドル紙幣だけ残し、あとは靴底のスポンジの下に隠し、鞄のチャックには南京錠で鍵をした。わたしの所持品の中で最も高価で人目を引く、キャノンもひとまずカメラバッグごと、「ブラックホール」(何でも入るというパタゴニア社製の黒一色の怪しい大きな鞄の商品名)にしまった。

 あとは気持ちを引き締め、すたすたとスキを見せずに歩くことだ。万全の態勢で駅から街へと出た。

 防犯上、街なかでは地図を開かなくても済むよう、泊まりたいホテルの位置を記したメモを手の中にしのばせた。が、なんということはない。ひなびた田舎町っぽい。古い建物ばかりで、手入れは行きとどいていないが・・・・。

 これなら大丈夫そうだ。「地球の歩き方」は、大げさに書きすぎるなあ。殺風景な建物の下の歩道をテクテクと歩いた。人々はのんびりとしている。その街が危ないかどうかは歩いてみれば雰囲気でわかる。

 気持ちの緊張を解いた、ちょうどそのときだ。この旅最大の身の危険に見舞われたのは。

そのとき、ガガガガガー。

ガガガガガー。

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 なにが起きたのだろう。一瞬わけがわからなかった。ものすごい音とともに、頭の上の古い建て物の外壁の石が落ちてきたのだ。軒先でバウンドして、1メートル前方に落ちて砕け散った。長さ30センチはあるコンクリートブロックのような外壁だ。頭に当たったらその場で死んでいた。あまりの 恐怖に立ちすくんだのが幸いした。そのまま前に向かって歩いていたら、いまごろわたしはこの原稿を書いていなかっただろう。

 周囲の建物から人々が、わたしの回りというより、砕けて散った石の回りに集まった。わたし以外に歩行者はいなかったからけが人とか犠牲者はいない。

 群がった人々がザワザワと話し、なにやら、わたしのほうを見る。

 「オイ、死にそうだったんだぞ。大丈夫か?のひと言はないのかよ」。と、心の中で思う。

しかし、それどころか、目線は冷たい。

「(この石を割ったのは)こいつか?」という調子でわたしを指指す男がいた。別の男が「いや違う。こいつがやったんじゃない。上から落ちてきたんだ」と言ってくれたようで、頭上を指で指している。やれやれ。ヘンに犯人扱いされなくてよかった。僕は死ぬところだったのだぞ。

 それにしても、こんなところで死んでいたら・・・。それこそ、物盗りのえじきだったろうか。果たして身元は確認してくれるだろうか。警察官はなんだこのアジア人はという扱いだろうか。地球上のたった1人きりという危うい立場を思い知らされた。まさしく、ロンリー・プラネットな気分だ。

 貴重品を盗られないよう万全の態勢をとったはずだが、頭の上から石が降ってくるなどとは想像はしていなかった。

 ナポリを堪能もせず、死んでたまるか。砕け散った破片に当たることもなく、そして、歩道の器物を壊した犯人にされなかったことを良しとしておこう。

 ともかく、なんともなかったのは良い。早くホテルに入り、荷物から開放されたい。体が汗ばんでいるので、熱いシャワーを浴び、さっぱりしたTシャツに着替えたい。

 ホテルは日本円にして1800円ぐらいの部屋だが、床の大理石が心地よく、ひんやりと心地よい。
 ひと心地ついたら、身軽になって街を歩くぞ。まずは、ナポリ1おいしいピザ屋と、世界的ガイドブック「ロンリープラネット」が推奨しているところへ行こう。それに、ビールだ、ビールだ!
                 (1995年11月17日)

           てらこや新聞134号 2016年 06月 05日

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