<旅日記 第26回 Oct.1995>37歳の誕生日(オーストリア・ウィーン)
また来たよ! HOTEL RUSTLER
この旅2度目のウィーンのホテルで迎える朝。
ウィーンから西へ西へと向かい、ザルツブルクからインスブルクを経て、ドイツに入り、ミュンヘンに行く予定だった。けれど、わたしの不注意で大切なカメラを壊してしまい、修理のため、インスブルクからウィーンに舞い戻る羽目になった。
「ハッピー・バースデイ!」。
あっ、きょうは、わたしの誕生日である10月18日なのか。
朝食をわたしのテーブルに運んできてくれたホテルのあるじが言ってくれたお祝いでそのことに気づいた。わたしの37歳の誕生日。前日のチェックインの際、わたしのパスポートを見て知ったのであろう私の誕生日に対する、あるじの心遣いがうれしい。
HOTEL RUSTLER http://hotel-rustler-vienna.viennaaustrohotel.com/ja/
わたしがウィーンで宿泊したホテルです。1884年建築の建物だそうです。2010年に改装されたということですが、所在地は変わらず。中庭はそのまま残されているようです。検索したところ、25年前のこの旅で出会ったあるじさんは、昔のまま、フロントにいらっしゃるようです。
ウィーン街はずれのキャノン・サービスセンター
さてと、食事を済ませたら、ウィーンにあるというキャノンのサービスセンターに行かなければならない。電話で聞いた所在地をホテルのあるじに言い、行き方を教えてもらった。ウィーンの市街地図を開いても載っていないへんぴな場所のようだ。幸い、地下鉄を乗り換えれば行けるようだ。30分ほど乗っただろうか、地上に顔を出した。車内はがらがらに空いていた。ある駅で車内アナウンスがあり、みんな降りた。わたし一人車内にいると、運転手さんに終点であることを教えられた。
ここから、乗り換える。
街より高いプラットホームから見渡すと、なんにもないところだ。目的の駅で下車し、道順を聞く。所々、道ばたにオンボロ車が放置されたような場末。街工場の屋根や倉庫があるばかり。舗装のない水たまりのある道。ウィーンのきらびやかなイメージとはほど遠い。
ようやく、あった。「Canon」マークのロゴ。
わたし以外にも、何人かが修理品を持ち込んで並んでいる。
サービスフロントの男性はわかりやすい英語で対応してくれたが、わたしのカメラを見るなり顔をしかめた。「どんなことしたら、こんなところ壊せるの?」という表情だ。
わたしもしっぽりと後悔と反省の念でいる。気になるのは修理代と修理期間だ。電話で確認したところでは1週間ということだった。が、不幸中の幸いで、2日後には取りに来いということだった。部品(シャッター幕)の在庫があったのだろう。3万円の出費を覚悟し保険会社にも電話していたが、1万円で済んだ。サービスフロントの笑顔とともにわたしの手もとに帰ってきた修理済みのカメラは、バッチリだった。そういえば、それ以来18年たった今も、フィルム交換のためにカメラの裏ブタを開ければ、ウィーンで取り替えてもらったそのシャッター幕を見ることができる。
やれやれーー。これで再び、わたしの旅を再開できる。再び、西に向かい、南からドイツに入るのはやめ、あまり寒くならないうちに東欧に行くことを思いついた。西から東への方向転換だ。
日本で買ってある3か月間有効の鉄道パス(ユーレールパス)は東ヨーロッパでは使えないが、西ヨーロッパよりは物価が安いはずだ。ウィーン中心部に戻ると、チェコの領事館に行き、ビザを申請した。
プラハへ行くぞ!
プラハへ行くぞ。頭の中にはスメタナ作曲の交響詩「わが祖国」の旋律が流れていた。
(1995年10月18日)
「てらこや新聞」109号 2014年 05月 19日
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