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ポンペイ(イタリア)<旅日記第51回 Nov.1995>

 ヨーロッパをめぐるのに4か月間と、たっぷりと時間のある旅だった。

 それがかえって、あっちに行こうか、あそこはやめておこうかなどと現地であれこれ取捨選択をすることにけっこうムダなエネルギーと時間を使ってしまうことがあった。

羅針盤のない一人旅で知らない国に入るときは、まずはその国の首都から入り、ちょっとはその国の“仕組み”に慣れておいてから興味のある地方に出向く。

 この旅のイタリアでは、ドイツのケルンから夜行でローマに入り、その南のナポリへと向かった。

 最近、イタリアからエーゲ海クルーズを楽しむツアーに参加した70代の夫婦は、「旅行会社の人は、『ナポリでは街に出ません』と言うんですよ」と話していた。団体旅行のお客さんを連れて歩くには、ナポリはひったくりや強奪などの被害に遭う危険が大きいということなのだろうか。

 わたしが旅した20年前と今とでナポリの治安に変化があったのかどうかは知らないが、大手代理店の団体旅行にはナポリはあまりオススメできる都市ではないということだ。その代わり、ナポリを経由しないと行くことのできない南イタリアの魅力ある観光名所は数多い。

 位置感覚的には、半島の先っちょの小さな町や島々にいくためのゲートウエイのような都市がナポリだ。

 わたしの住む三重県の伊勢志摩に当てはめれば、志摩半島に対する鳥羽みたいな位置にあるのかもしれない。食べるという享楽においてもパスタやピザの発祥はナポリで、ほんまもののある路地裏をうろつくにはある程度の危険は覚悟しないといけないみたいなヤバさがある街なのかもしれないな、ナポリというところは。

 ヨーロッパの旧市街の石畳の道を、真っ赤なボディに「Look JTB」と書かれたエアコンの効いた大型観光バスが走り抜ける。日本人団体客専用バスが、重い荷物を背中に担いで黙々と歩くわたしのヨコでエンジン音を吹かす。そうしたツアーの行き先は、豪華クルーズでカプリ島の「青の洞窟」を訪ね、海の幸を堪能するリゾートだろう。

 観光バスでぐるりと行ってしまうような旅の場合はナポリがどんなであろうと無関係に通り過ぎればよい。けれど、わたしの場合、この先、宿が取れるのかどうかわからない小さな町に行きたいときは、いったんは最寄りの玄関都市にステイし、そこで土地の勘のようなものを身につけ、ガイドブックではわからない現地情報をゲットしてローカル線やバスルートのダイヤを知って、日帰りで済むのか、その先で宿をとったほうが有利なのかどうかを判断する。

 ヨーロッパでも少しへき地のようなところに来れば、この先「どうにかなるサ」ではなく、慎重に情報を確認する。とはいえ、多くは適当な自分の勘に任せることが多く、それなりにドジを踏んでしまい、半日棒に振ることもある。しかし、まだ30代半ばだったそのころはすべてを経験として蓄積できた。駅を乗り過ごし、一つ向こうの駅から歩いて戻るような失敗をしてもそれを取り返せるエネルギーがあった。

 数ある失敗の一つにすぎないが、ポンペイに着いたときはもう午後4時を過ぎていた。

 火山の噴火で積もった火山灰に町がすっぽりと埋もれた紀元79年のローマ人の都市の遺跡は、せっかくここまで来たのに日没の1時間前には閉鎖になるということで、入るのをあきらめてしまった。

 遺跡の外から発掘された街路をちらっと見たが、のちにポンペイ遺跡の価値を知るにつけ、悔やむことが多い。

 埋もれたときのままに見つかった遺跡からは当時の人々の暮らしぶりが生き生きとしのばれるもので、ワインのある居間の食卓や人々の交流の場である居酒屋、街区や道路がある。いったい文明って何なんだ? 日本ではまだ卑弥呼が生まれるよりも前の時代に。

 1時間やそこらあれば見ることができるのではないかという錯覚はわたしたちが知っている博物館などで勝手に身につけてしまった勘違い。丸一日でもかけてでも見る気概が必要なのかもしれない。いま思うのは、翌朝早くナポリを出て、たっぷり1日かけてポンペイという街を見て、古代を感じれば良かった。ただ、実際には遺跡の中に入っていないからどんなふうだったかは知らない。肖像画やワインの壺や食器など出土品はナポリの美術館に収蔵されているそうだ。

 遺跡は見ることができなかったが、ローカル列車の車窓からぼんやりと眺めた南イタリアの海岸線の平和な風景を楽しむことはできた。

 松阪にあったイタリア料理店「カピタノ」さんは、このポンペイよりさらに半島を進んだところにある宿泊付きのレストラン「カピタノ」で修業をされて松阪で同じ名の店を出し、ピザを焼く窯もナポリから取り寄せたものだと聞いた。あとでふり返ると、高速鉄道で主要都市を中心にめぐるヨーロッパではなく、ローカル列車と路線バスで南イタリアの半島めぐりや、イタリア中部のトスカーナ地方の村々をもっとしておきたかった。ほんの断片に触れただけの旅だった。

 そんな後悔は、その土地を去ってからわいてくる。そのせいもあって、スペイン最南端のアンダルシア地方では小さな都市と小さな都市をつなぐバスで田舎を回ることができたのは良い思い出だ。

(1995年11月18日)

てらこや新聞136号 2016年 08月 13日

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