ナポリ人有情 ナポリ(2)(イタリア)<旅日記第50回 Nov.1995>
街の中心に近い場所で、開けっぴろげの大衆食堂を見つけた。
まだ時間が早かったせいか、がらんと広い店内はガラガラ。長方形の加工板に鉄の脚の付いたテーブルがいくつか置いてある。ナポリタンというわけではないが、スパゲティを注文した。
食べ始めると、厨房から、右手にフォーク、左手にスプーンを持った親父さんがわたしのほうにすっ飛んできた。
大衆食堂のおやじにスパゲティの食べ方教わる
「いいか、こうやって食べるんだ」。
スパゲティの食べ方を教えに来てくれたのだ。
わたしは、もともとフォークで麺をくるくると巻くのが苦手。20代のころはイタリア料理の店には行ったりしなかった。ましてやデートでそのような店に行くことも避けてきた。けれど30代になると、あんまりスタイルのことには気に掛けず、おいしいものは食べたいという気持ちを優先するようにはなっていた。それに、ここは、ミラノやフィレンツェの気取った店ではなく、ナポリの大衆食堂だと油断していた。
ところがなんとこの街には下町の親父さんがいた。
日本人が外国人に箸の使い方を教えるように、左手のスプーンの上で右手のフォークを使ってくるくると麺を巻くよう手ほどきをしてくれた。これを本場仕込みというのかもしれない。以来、スパゲティを食べ、麺が巻きにくいとき、あの親父のワンポイント・レッスンを思い出す。
ピザ屋での忘れられない出来事
屋根はテントのような店でピザを食べたときのことだ。
客は、先に、ダブダブのトレンチコートを来たボサボサ頭のおじさんがひとり。若い店員とのやりとりがどうもヘンだ。
店員は怒っている。
どうやら、無銭飲食らしい。
店員の兄ちゃんは、「ポリツァイ」(警察)、「ポリツァイ」と言い、店の電話のダイヤルを回した。おじさんはすっかり観念し、うなだれている。
わたしが注文したピザが焼き上がると、店の親父が出てきて、静かな口調で説教を始めた。警察が来るまでの時間稼ぎと思われた。
店の親父は、頃合いを見て、「さあ、立って。行けよ」。
やはり静かに促す。
座ったまま、親父を見上げるダブダブトレンチのオジサン。
立ち上がったオジサンの後ろには、兄ちゃん店員が立っている。兄ちゃんは、トレンチコートの左右両方のポケットに紙袋に包んだ熱々のピザを2つねじ込んだ。驚いて振り返るオジサンにはニッコリ微笑んでいる兄ちゃんが目に入った。
警察に通報したフリをして、実は電話などしていなかったのだ。
一つ離れたテーブルで一部始終を見ていて心温まった。いいものを見せてもらった。
たっぷりとナポリを堪能した。
さて、あすは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって発生した火砕流で一瞬にして埋もれた都市ポンペイ遺跡へ出掛けるとしよう。ナポリからローカル列車で海岸線を走れば1時間もかからず到着するはずだ。
(1995年11月17〜18日)
てらこや新聞135号 2016年 07月 15日
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