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アウシュビッツ(その一) (ポーランド) <旅日記 第32回 Oct.1995>

 “トンデモ”旧紙幣両替詐欺に遭ったよ!

 アウシュビッツへは、クラカフの駅からバスでおよそ1時間半。バスに乗る前、駅で米ドルをポーランド通貨に両替したが、ここで詐欺被害に遭ってしまった。替えたのは30ドル。つかまされたのは、デノミ前の旧ポーランド紙幣。この国に着いたばかりで、デノミが行われたことはむろんのこと、どれが新札でどれが旧紙幣なのかさえ区別がつかない。

 30米ドルは大金だった。

 1泊6ドルから8ドル程度のホテルに泊まる金銭感覚が染みついているから、大金をドブに捨てたような喪失感にとらわれる。被害に遭ったのは円換算で2500円(当時の1米ドルは80円程度)だと思って忘れるしかない。

「プロレタリアート万歳」

 欺された旧紙幣には、「プロレタリアート万歳」のようなことが書いてあった。社会主義ポーランド時代のお金だった。通貨の単位から「0」を5つぐらい消去しないとダメだ。「10000」という単位のお金でも、二束三文以下だ。記念に持ち帰ることにした。

 欺されたことに気づいたのはいつどの時点のことだったろうか。もし、どこかで飲食をしようとしたとき、「こんなカネじゃ食えねーよ」とか、「お前、警察に突き出すぞ」などと怒られれば記憶に焼き付いていると思うのだが、そんな記憶はない。おそらく、出会った人々は、「外国からの観光客によくあることなんだよ。あんた欺されたんだね」と同情を寄せる表情ばかりだったのだろう。

 唯一覚えているのは、その後に訪れたワルシャワで出会い、いろいろと親切にしてくれたポーランド人に、記念にとっておいた旧紙幣を見せたときのことだ。かれは「こんなもの、どうして持っているのか」と驚いたので、事情を説明すると、「なんでこんなことをするポーランド人がいるのか」と 悔しがった。わたしが被害に遭ったことへの同情ではなく、してはならない行為をしてしまった、自分と同じポーランド人への怒りであった。わたしのために本気で怒ってくれたのだ。

田舎道をひたすら走ったアウシュビッツ行きのバス

 さて、朝9時半に駅を出たアウシュビッツ行きのバスは、田舎道をひた走る。ポーランドに来てから目立つのはポプラのような樹木。もうすっかり秋が深まり、冬が到来しつつあるような寒々とした空気を感じる。

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 アウシュビッツは、ヒトラー政権下のナチのもとで造られた強制収容所で、絶滅収容所とも呼ばれる。収容されたのは、ユダヤ人だけでなく、ロマ・シンティ(ジプシー)、政治犯、精神障がい者、身体障がい者、同性愛者、捕虜、聖職者、さらにはこれらを匿った者などに及ぶという。ピーク時の1943年には14万人が収容されていたという。

「ARBEIT MACHT FREI」

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 収容所の入り口に、「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)」というドイツ語の看板が架けられているのは皮肉である。ヨーロッパ各地から貨物列車に閉じこめられるようにして運ばれてきた人たちも目にしたことだろう。収容施設から目に見えない森の向こうに向かってまっすぐに続く鉄道のレールが残っていた。このレールを見て、ここで起きた悲劇を生々しく感じることができた。                (つづく)
        (1995年10月28日)

「てらこや新聞」115号 2014年 11月 02日

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