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<旅日記⑦ Sep.1995>ホーチミン・シティ(ベトナム)

[楽しい予感がしてきた]

この旅でどうしても訪れておきたい国はベトナムだった。

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旅を始めた1995年9月は、アメリカとベトナムの国交回復(1995年8月5日)からまだ1か月というときだった。

ようやく外の世界にドアを開き始めたベトナムを自分の目で見ておきたいと、日本を出発する前にビザも取っておいた。

政治的理由などまったくない。たんなる、好奇心である。国にも旬な時というものがあって、ベトナムはまさに旬だ。新しもの好きのバックパッカーたちが一斉にこの国を目指す。数年もたてば、経済成長著しいフツウの国になってしまう。「さあ、急げ、いまのうちだ!」という感じだ。鎖国時代を終えようとする幕末に欧米の商人たちが日本を目指したようなものである。

バンコクまで来ていたから入り方はいろいろある。が、わたしは予想される 命の危険に対しては臆病なほうである。タイから陸路(バス)でカンボジアを越えてベトナムに入るとか、ベトナムと中国の国境の橋をまたぐ(徒歩)とか、そんな無謀なことはゴメンこうむりたい。バンコクでベトナム航空の破格に安い航空券を手に入れ、インドシナ半島を、ひとっ飛びで越えた。

「違う世界」に来た。

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「違う世界」に入ったことを実感したのは、旧・サイゴンであるホーチミン 国際空港に到着したときだ。
薄暗い入国審査場はしっかりカメラで監視されている。ざわつきすら凍りつくような緊張感。カーキの軍服のような制服と帽子の入国審査官には、“無愛想という表情”すらない。荷物検査場と呼ぶのがふさわしい税関では、所持している新聞、雑誌、本の名称、フィルムの本数に至るまですべて書き出した書類を提出。係官から初めて表情を読み取れたのは、わたしのカメラバッグを開けた瞬間だった。失礼な言い方だが、税関職員の顔は驚きでのけぞっているのがわかった。

一斉にわたしの“札束”を追う目

わたしが持ち込んだ、最新のキャノンEOSの最高機種の一眼レフカメラと、レンズ数本。これを目にしたときだ。実は、富士フィルムの「プロビア」というポジフィルムと、コダックの「トライ・エックス」というモノクロを計200本、日本から持ち込んでいたが、ヨーロッパへの航空券ともども、シンガポールの日本人宅に預かってもらっていた。少しでも荷物を軽くしたいのと安全の確保、それに空港で余計な詮索を受けないためである。それは、すべて、当時のベトナムに入国するのを想定してのことだ。

カメラ機材と、20本程度のフィルムなら、許容されるだろう。それに職業を尋ねられれば、場合によっては厄介な職種だが、「ジャーナリスト」と答える。

税関の外は、外国人旅行者を待ち受けるタクシーやミニバス、バイクの運転手、ホテルの客引きたち。外国人1人につき6人、7人が群がってくる。米ドルしか持っていないので、両替屋を探す。空港内にはなく、 路上の屋台のようなところだ。出来るだけ1ドル紙幣を予備として残しておき、20ドルをベトナム通貨の「ドン」に替える。わたしの手にある20ドル紙幣に一斉に目線が集まる。その手の動きにすべての目線がついてくる。20ドルの代わりに、どっさりとした札束に替わったベトナム・ドンを持つ手の先からわたしのふところに収まるまで、一斉に、目が追っかけてくる。歩くと、そのまま、一団がついてくる。

ちょうどピカピカの黄緑色のカローラのタクシーと、小ざっぱりした運転手を見つけた。近くに2人連れの アメリカ人の女性を同時に見つけたので、行き先はあなたたちの行くところでいいからシェア(相乗り)しようと声を掛け、いっしょにクルマに乗り込んだ。

「ゲストハウス72」の女将

 彼女たちが行こうとしているホテルは「ゲストハウス72」ということだった。わたしは入管への申告にはガイドブックに載っていた老舗どころの「レックス・ホテル」の名称と所在地を書いておいた。一泊60ドルもする一流どころに泊まれるわけがない。目指すは一泊7ドルぐらいの宿だ。「ゲストハウス72」でいい。

 もう雨期に入ったのか、曇り空のもと、街は色のないモノクロ写真の 世界。エアコンの効いた新車同然のタクシーの静かな車内から、車道にあふれかえるバイクと自転車の喧騒を眺める。わたしたちの乗ったクルマは、バイクと自転車、人の群れをかき分け、かき分け、走り抜けていく。異次元の世界に入ったと思った。

 外国人旅行者がたむろする安宿やカフェの集まる街の「72番地」。そこに、わたしたちの目指す「ゲストハウス72」はあった。一階に経営者の家族がいて、客室のある2階、3階を見せてくれた。アメリカ人の女の子たちは2階の部屋を見て少し気に入らなかったらしく、一軒となりの「ゲストハウス74」を見に行ったままどこかに消えた。

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 わたしは「ゲストハウス72」の女将さんの笑顔が気にいったのでここにした。日本人としては部屋まで見せてもらって「ノー」とはなかなか言えないせいもある。

 「ゲストハウス72」は、女将さんと、3人いる娘さんの中の1番上のお姉さんがマネジメントし、少数民族の女性が掃除や洗濯を引き受けている。二番目の娘さんは1階で婦人服を扱う店を経営、一番下の子はまだ中学生か高校生であどけない笑顔がかわいかった。女将さんの旦那さんは、何をしていたのか印象にない。ベトナムではだいたい女の人が一生懸命に働き、男は影が薄いものかもしれない。

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 女将さんは、「あなた、36歳? 奥さんは? えっ、独身? あのなあ、ベトナムでは36にもなって独身なんて、考えられんへんワ!」。彼女の 英語を松阪弁に翻訳すると、だいたいこんなふうだった。

 あきれながらも、いろいろ手を焼いてくれる。「鞄は後ろに下げていたらアカン。財布も。街歩くときは、ドロボーに気いつけやー!」 「あんた なあ、あの男のシクロ(自転車で押すクルマ)によう乗っとるけど、ええんやに、そんなに気をつかわんでも。放っておいたら、あの人も適当に客つかまえるから」

 すべてこんな調子で気持ちのよい女将さんだった。

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ゲストハウスから散歩がてらに歩けば、キム・カフェやサイゴン・カフェといった、飲食店を兼ねた旅行代理店があり、とても便利のいい場所だ。ホーチミンの主だったところへも歩いて行ける。初めてのベトナムへの第一歩としては上出来だ。

 それに、日本で8月の終わりまで記者として暑い名古屋近郊で働き、31日付で退職し、9月1日に成田を出て、シンガポール、マレーシア、タイと、さらに暑い夏が続いていた。疲れもあって、微熱もあったが、どうやら雨期に入ったと見られるベトナムが涼しく、微熱もどこへやら飛んで行き、元気が 回復してきている。コメで作ったうどんのフォーや、その上に乗っている香草、中華料理よりあっさりしているベトナム料理。フランス統治時代の名残のカフェオーレとフランスパン。これらのものが自分に合っている。それに、ベトナムビール「333」もいい。

なんとなく楽しい予感がしてきた。
              (1995年9月16日)

    てらこや新聞 第88号(2012年7月5日発行)初出


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