アッシジ(イタリア・ペルージャ近郊)<旅日記第53回 Nov.1995>
街に着いてからそのことに気づいた。
中学生のころに観た名作映画「ブラザー・サンシスター・ムーン」(1972年公開)の主人公・聖フランチェスコが暮らした町だ。
駅舎から向こうに見える丘がアッシジの町
イタリア中部ペルージャ近郊のアッシジ。駅に降りると、5キロぐらい向こうに見える丘が、その町だ。駅からバスに乗って、坂をぐるぐる回って、上って、上って。丘のてっぺんのところで下車すると、世界遺産のフランチェスコの聖堂や修道院のある町を一番うまく表現できるかと思い、丘の上の町をさらに上から望むオリーブ畑に入ってカメラに夢中だった。
だが、ここまで来たなら、入っておくべきだったろう。
2年後の大地震でこの修道院も大きな被害
後悔の念を強くしたのは、この旅から2年後の1997年にイタリア中部を大地震が襲い、この修道院も大きな被害を受けたというニュースを聞いたときだ。残念なことにガイドのない旅の間は、自分がどこに来ていて、この町が歴史的にどんなに重要な歩みをなしていて、目の前に見える修道院や城がどんなに有名なところかも知らないうちに通り過ぎていることがざらにあった。すべての旅を終えて日本に帰り、後悔しても遅い。
それはそれとしても、アッシジの町はとても良いところだった。中世に、平坦地の真っただ中にここだけこんもりとした丘陵地に、修道院を中心とした都市を築いた。高いところからたっぷりと眺望を楽しみ、オリーブ畑を歩いて写真を撮りまくり、石造りの家々が連なる町をらせん状に歩いて降りた。あとはまっすぐに駅まで延びる田舎道を5キロほど歩いて帰った。途中でオリーブを収穫している真っ最中の農家の一家に頼み、収穫の様子を写真に撮らせてもらった。
村上春樹であれば、ワインの農家を巡り、クルマのトランクにいっぱいワインのボトルを詰め込んでくることだろう。わたしはカメラマンベストにカメラバッグ、愛用のキャノンを首に掛けて歩く、歩く。
帰りの列車
夕方4時18分の列車に乗る。薄暗い車内より外のほうが明るい。車内はガラガラだったが、日本女性が一人で乗っていた。イタリア在住の方で、日本人観光客をガイドした帰りだということだった。「夏だと、このあたり、ヒマワリがとてもきれいなんですよ」。建物がごちゃごちゃしない郊外の車窓風景はとてもなごむ。
乗客はわたしたち以外は、アメリカ人のグループだ。「あんたたちはアメリカ人?」と確認はしていないが、絶対にアメリカ人だ。姿を見なくても「音」でわかる。
同じ車両の随分離れたところから聞こえてくるしゃべり声と、その英語。ヨーロッパにはいろいろな言語があるが、イギリス人の英語を含め、ヨーロッパの響きがある。どことはなしに音がこんもりとして柔らかったりシックな響きがする。どれもヨーロッパ言語としてまわりに溶け込んでいるのだが、どうもアメリカ人の英語だけはきわだって聞こえてくる。声が大きいように思うし、音がカラカラと弾んでいる。ヨーロッパの音になじんでいないのだ。たぶん、アメリカ人はそのことに気づいていないだろう。
私はだんだん、ヨーロッパ人たちの、何語であろうが、あの「モゾモゾ」という感じに響いてくる言葉が意味もわからず好きになりかけていた。イギリス人の英語はヨーロッパ言語に聞こえるのだが、アメリカ人の英語はヨーロッパとは 異質なもののように思えた。言語も、着る物、食べ物の違いと同様、その土地、土地の風土なんだと思う。
いつのまにか、車内は、目の前に座っているガイドの女性の存在だけが確認できるくらいの明るさだった。もう夏じゃないのに、イタリアの列車はまだ夏時間なのかな。日はどっぷりと落ちている。
女性は比較的すぐに下車し、あとはアメリカ人のグループだけだった。声だけがやたらと響くワ、うるせい!
(1995年11月20日)
てらこや新聞138-139合併号 2016年 12月 04日
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