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【地歴日記 #13】 ソビエト連邦の国章デザインはどのように出来上がったか

担当:部長



1922年12月29日、ロシア社会主義連邦ソビエト共和国(RSFSR)、ウクライナ社会主義ソビエト共和国(ウクライナSSR)、白ロシア社会主義ソビエト共和国(白ロシアSSR)、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国(ZSFSR)は、連邦結成条約に署名し、30日にソビエト連邦が成立しました。しかしその時、国章はまだ出来ていませんでした。

1923年1月10日、ソビエト連邦中央執行委員会は、国章の作成のための委員会を設立しました。そして連邦のシンボルに取り入れるべき重要な要素を決定しました

新しい国章には、太陽、鎌と槌、そして「万国の労働者、団結せよ」のスローガンが取り入れられる事になりました。


鎌と槌


2月、国章の作成命令がゴズナク(ソビエトの紋章、紙幣、硬貨、メダルなどを製作していた会社)に通達されました。ゴズナクに所属していた芸術家たちは、国章の考案を始めます。
初期のデザイン案は、現在もモスクワのトヴェルスカヤ通りにあるモスクワ中央電信局の建物に残っています。



モスクワ中央電信局、壁に紋章が埋め込まれている




D.S.ゴリャドキンは、太陽の上に鎌と槌が配置されている五角形の紋章の周りに産業の象徴を配置した国章を提案しました。

D.S.ゴリャドキンの国章案




J.B.ドレイェルの国章案は、鎌と槌、星、リボンを要素に組み込んでいます。

J.B.ドレイェルの国章案




A.G.ヤキメンコ、N.N.コチュラ、V.D.クリプヤノフらも、デザインを提案しました。

A.G.ヤキメンコの国章案1
A.G.ヤキメンコの国章案2
N.N.コチュラの国章案
V.D.クリプヤノフの国章案



V.P.コルズンは、最終的に採用された国章にとても近いデザイン案を提出しました。

V.P.コルズンの国章案

この案には地球の要素が含まれています。地球のデザインを追加する事を提案したのは、ゴズナクの芸術・複製部門の責任者であったV.N.アドリアノフでした。これは、世界中の全ての国がソビエト連邦に加入できるという事を示すためです。


ゴズナク芸術・複製部門責任者、V.N.アドリアノフ




6月28日に、ソ連中央執行委員会書記で幹部会議長のA.S.エヌキーゼが、国章案上部の”CCCP”("USSR”、ソビエト連邦の意味)の代わりに赤い星を配置する事を提案しました。

A.S.エヌキーゼの提案を取り入れた修正国章案
ソビエト連邦中央執行委員会書記・幹部会議長、A.S.エヌキーゼ



最終段階で、芸術家のI.I.ドゥバソフが描画を完成させました。

I.I.ドゥバソフによる国章の最終描画
芸術家、I.I.ドゥバソフ


7月6日、ソ連中央執行委員会の第二会合でこの紋章図が採択されました。

そして9月22日、ソ連中央執行委員会書記・幹部会議長のA.S.エヌキーゼによって、最終的に承認されました。


1924年1月31日に第二回ソビエト大会で採択されたソビエト連邦憲法には、国章の説明が含まれています。


「ソビエト社会主義共和国連邦の国章は、太陽、トウモロコシの穂で囲まれた地球とその上に配置された鎌と槌、6つの言語で表記された『万国の労働者、団結せよ!』、そして五芒星によって構成されます。」

(6つの言語とはロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、グルジア語、アルメニア語、タタール語)


その後ソビエト連邦の構成国が増えるにつれて、全ての連邦構成共和国の言語でスローガンが表記されるようになり、リボンの数が増えていきました。


ソビエト連邦は1991年に崩壊しましたが、国章は1995年までは通貨や公式文書、パスポートに使用されていました。現在でもロシア連邦ではソ連のパスポートが有効です。


[最終的な国章の変遷]

1923年〜1936年


1936年〜1946年


1946年〜1956年


1956年〜1991年