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部誌「海路」

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編集者挨拶

こんにちは。海城高校文芸部高二の武藤龍之介と申します。今年の部誌の編集を担当させて頂きました。今年の文化祭では美術部と共に「絵×句展」を実施した影響で、部誌の完成が遅れてしまいましたが、noteを利用するという形で皆さんにお届けできることを嬉しく思っています。去年同様、散文班の活動が停滞している関係で「海路」のみの公開となりますが、部員一人一人の個性溢れる作品が掲載されていますので、ぜひ楽しんでご覧ください。
今年の部誌は掲載者紹介、自選十句、そして一部の部員による自由作文で構成されています。

①掲載者紹介:部長による偏見を交えつつ皆様に部員を紹介いたします。誰よりも部員のことを理解している(であろう)部長の人柄を垣間見ることができます。
②自選十句:部員に過去に作った句の中でお気に入りの十句を並べてもらったものです。個人のこだわりが詰まった作品となっています。順番やタイトルにも注目してご覧ください。
③自由作文:テーマは決めずに部員に自由に書いてもらった文章をそのまま掲載しています。 主に自選十句の自句自解となっていますので、②の内容と合わせて楽しんでいただけると嬉しいです。

最後に、この部誌が多くの皆さん閲覧して頂けることを祈りまして、編集者の挨拶とさせていただきます。それでは「海路」をお楽しみください!

掲載者紹介

高三

尾崎 貫太
元部長。中学時代は野球部に所属していて、高校からはラクロス部に転向。周りを見る能力が高く、リーダーとしての気質が凄まじくある。個人的に尊敬している。右も左もわからない新入部員に対して、ものすごく優しい。褒めすぎたのでなんか貶しておこうかとも思ったけど、何も貶すところが思いつかない。どうしよう。

関 友之介
元吹奏楽団の指揮者。僕にはおしゃれのことはちっとも分からないがしかし、関先輩はなんかおしゃれ。てかそもそも、長髪の指揮者という属性がかっこいい。ずるいなあとたまに思う。句会でたくさん意見を提供してくれる。正直ありがたい。人に刺さる句を詠む気がしていて、僕にもすごく刺さっている句がいくつかある。

田村 龍太郎
元古典芸能部部長。たしか陸上部にも所属していた。多趣味な人で、よく喋る。とにかくよく喋る。古典芸能部の友達から聞く限りどこにいてもそんな調子らしい。普段はそういう調子なのにディベートではあまり喋らないの、正直おもしろいキャラだなと思ってる(笑)。こないだ古典芸能部の友達に、高三になってからもピンピンしていることを伝えたら、俳句なんかやってないで勉強しろよって言われてた。頑張ってください。

三内 洸
元ラクロス部部長。俳句に熱い男。俳句甲子園ってスポ根だなあと僕が思っているゆえんの一つが三内先輩。文化祭のときに、やたらと来た人が「あ、これ三内の句じゃね」と三内先輩の句の前で言っていたので、よっぽど顔が広いんだろうなあと勝手に思ってる。他校の人ともいろんな人と喋っている印象がある。

南 幸佑
元吹奏楽団所属。句作の量がおかしい。一説には一日四十句くらいまでなら余裕らしい。作句だけでなく、俳句関連の読書量も多い。知識もすごくて、俳句そのものの知識もそうだけど、俳論や俳句史についても知識があり、日頃幅広く知識を摂取していることが分かる。個人的にも、俳論だったりもっと広く芸術論についても議論させてもらって楽しかった。その手の議論が僕は大好きなのだが、なかなか学内に相手がいないので貴重な存在。意見が合うわけではないけど、僕の意見をすごく柔軟に理解してくれるので議論しやすい。あと後輩の世話をめちゃくちゃ焼いてくれる。悪く言えばお節介焼きだが、先輩がいなくなった今、そのお節介のありがたさを改めて感じている。

高二

蒋 騰
文芸部部長であり山岳部部長で、美術部にも所属している。そしていま部員紹介を書いている人。美術部に入っているとは言ったが、絵を描くわけではない。ただ、美術部の空気感が好きで入部しているだけだ。こういうのが許されるあたり、海城っていい学校だなと感じる。ゆる~く集まってゆる~く各々が好き勝手なことしてる美術部の感じがすごく好き。ここの繋がりがきっかけで今年の文化祭の『絵×句展』は開かれた。元々僕は、密かに絵の展示会を開いてみたいという夢を持っていたので、簡単な形式とはいえ夢が叶えられてうれしかった。

治郎丸 哲平
バドミントン部所属。高二の中では最新メンバー。元々僕の友人で、ところどころ変な言動をする変 人タイプ(彼に言わせたら僕も大概らしいがそれはさておく)で、こいつに俳句作らせたらおもしろそうだと思って執拗に誘っていたら入ってくれた。句作量が多い部員の一人。彼もけっこう俳句の理論体系への興味があるらしく(本人がそれを意図しているかは定かではないが)、考えさせられるような質問を投げかけられたりして、こちらとしても学びを得ることがある。

日髙 一樹
吹奏楽団所属。彼にはやる気があるんだかないんだかよく分からない。ずっと作句しないでだらけているなーこいつとか思っていたら急に真面目な顔をし出したりする。それも大体提出締切の直前に。しかもそれで出した句がめちゃくちゃいい句なことが多い。特に高二の間では彼の句の受けがいい。うらやましい!

武藤 龍之介
うちの文芸部の高二の中で最古参であり、高二の中心的存在。我々の学年のディベートはかなりの割合で彼に頼っている節がある。そしてこの部誌の編集者。僕が部長なのに丸投げしてしまって申し訳ない。まじでありがとう。高一の間は僕が一人だけ入部のタイミングが遅い新参の部員だったこともあり、深い関わりは持たず、綺麗な句を書く子だなーくらいにしか思っていなかった。でも、高一終わりの公式戦にお互いが出たり、俳甲で同じチームをやったりするうちに仲良くなれた(と勝手に思っている)うちの一人。たまたま二人とも同じ塾のまったく同じ授業を取っていたことも大きい。

山本 佳和
吹奏楽団所属。おそらく高二で最も謎な男。なんとなく日頃何を考えているのかよく分からないし、一緒にいても急にいなくなったりする。それからよほど将棋が好きなのか、四六時中macbookで将棋を打ってる。でもな、山本、ディベート練習中はやめないか?(笑)ちゃんと知ってるからな。そんな彼が作る俳句はやはりというべきか、摩訶不思議なものばかり。全然僕が聞いたこともないような単語が出てきたりする。高二に存在する大きな個性として、これからも頑張ってほしい。でも山本、頼むから急にどこかに消えないでくれ。

高一

遠藤 泰介
夏の俳句甲子園では補欠メンバーとして、柿木とともにAチームについて行ってくれた。文化祭のと きも装飾を少し手伝ったりしてもらった。残念ながら彼の句を見る機会をまだたくさんは得られていないので、これからどういった句を見せてくれるか楽しみだ。これを書いている蒋は、現時点では自選十句をまだ見ていないので、この部誌が完成したときに彼の句が見れるのを実は楽しみにしていたりする。

柿木 晴翔
高一の最古参。ラクロス部に所属。Aチームの補欠メンバーとしてついて行ってくれた。一度一緒に 公式戦に出たこともある。これまでの海城文芸部の部員の句では絶対に出てこないような措辞を彼は頭のうちに持っていて、ときどきびっくりさせられる。

濵野 佑太
卓球部に所属している。彼も文化祭のときに少し手伝ってくれた。特に決勝用の垂れ幕の飾りつけは 背の高い彼がいなければなかなか難航していたに違いないから、助かった。ありがとう。部内で数打ちのために数人でやっている一日一句で彼の句をときどき見るが、素材の切り取り方が個人的にめちゃくちゃ好き(しかも一日二、三句のペースであげてくれている!)。これから使える表現や語彙が増えていくとどうなるのかすごく楽しみ。

自選十句

近道 尾崎 貫太

短日や湯河原は坂多き町
あら汁の鰭のあつぱれ寒の入
窓拭きの跡を拭きをり木の芽風
美術館の裏につらつら椿かな
風船の膨らみて鼻隠れたり
高架下は雨の匂ひや夏に入る
昼の蚊や花瓶の水を入れ替へて
草いきれ濃し罰走の近道に
拍手して二の腕揺るる残暑かな
桜紅葉いましがた鳩十羽行く

雨ながら 関 友之介

分け入れば泡立草の記憶めく
呼ばれたる名のおだやかや稲の花
観音の指に秋蝶とまりけり
秋蝶やかの山寺が雲の下
青空に梯子架けたりゑのこ草
雨ながら明るし龍淵に潜む
ありし日の雲を思へば菊翳る
秋いよいよ空の深きを鳥流され
くろがねの雁くろがねの湖のうへ
花芒凪の十万億土なる

英雄なき時代 田村 龍太郎

鳴く声を猿かと思ふ霞かな
風船を放す英雄なき時代
草いきれ井戸の煉瓦を積み直す
河馬大爆進肯尼亜大乾季
元寇の去りし港や曼珠沙華
龍淵に潜むや椀に金のすぢ
秋刀魚焦がして紀の国は峰近し
うそ寒の騙し絵に騙されてみる
海老天の衣浮きをり晦日蕎麦
松取りてがらりと祇園通りかな

悠久 三内 洸

風船をもらひたる日や手を洗ふ
幾重にも霞たなびく比叡かな
日傘の級友凛として遅刻
ラクロス疾し草いきれかき乱す
冷ます身体の八月に飽和せり
送別の一縷が心地螻蛄の鳴く
枕そして障子の隙を大花火
龍淵に潜む青きを幾重にも
空き瓶はけふを映すや素十の忌
コスモス畑どこまでもお前らと

ひと雨に 南 幸佑

あかときの山鳩鳴ける障子かな
全集の金泥さびし浮寝鳥
革手袋くたびれゐるや卓の上
ファスナー多し風船売のジーンズに
ひと雨に草木よろこぶ朝寝かな
はつなつの鳶旋回す舫ひ綱
カラオケを出て七月の薄暮の街
麦茶飲む一人がこはき夜なりけり
龍淵に潜む眼鏡に小さき螺子
賽の目の一ばかり出て十三夜

眼 蒋 騰

風船を蹴つてリビングへと向かふ
春霞骸骨に眼のありし場所
薄暑光列の一箇所うごきだす
七月は淡し岬の草をあるく
草いきれどこへ行つてもひたすら空だ
身を縮こめて潜る水にも残暑
切り傷がうまれるやうな水の澄み
幽邃の鳥居が濡れてゐる良夜
波の色うすめて浜辺くじらの死
銀化と夜闇の類似性について

初心 治郎丸 哲平

油絵の具手にべつとりと残暑かな
角を天に向けるやカブトムシの墓
ラジオよりアンテナ伸びて鰯雲
峯雲や牛は土煙より来て
万緑やはやぶさ2は飛び続け
動かない夜の重機や秋桜
蟋蟀や一戸空き地になつて闇
白きシャツ今日も白くて星月夜
暫くは木犀の香を纏ひけり
葡萄触れ合ひて明るき色となり

懐古 日髙 一樹

牛飼ひの硬き掌春霞
手鏡に映すくせっ毛シクラメン
七月の蝶の飛び立つ陵墓かな
蚊を打ちて日暮病棟へと戻る
駄菓子屋を飛び出し草いきれに集ふ
龍淵に潜む彗星仄かなる
秋刀魚焼く音や小路に日の淡し
冬銀河その譜は未完かもしれず
田園を汽車のぶち抜く日傘かな
枯蓮の負けぬ心や光堂

てらてら 武藤 龍之介

鞦韆に立ち見る母に旋毛かな
風薫るキウイ畑の廃車かな
海洞の底てらてらと翁の忌
行商の去りし砂丘や紙風船
朝寝してぎしぎしといふ親不知
七月の夜の雨都心白みけり
水筒のころんと響く日傘かな
草いきれバックパックを地に放る 
網の秋刀魚船の生簀にぶちまける
ベランダに靴の片方虫しげく

まわり 山本 佳和

目は細き明日も忘れる流し雛
龍淵に潜む飛行機雲遠く
細雪ラジオの網が「真珠湾」
ジグソーの消えた一個の達磨忌よ
龍淵に潜むかウクライナかすか
柳塔婆暑中見舞いを仏壇に
蝙蝠やメメントモリの超音波
美人局で買う絵日傘は靡きたり
冬館赤穂浪士に拵へて
川施餓鬼何度中神無視したか

ザリガニ釣り 遠藤 泰介

蹴球や飛び込む先のシクラメン
山頂で世の蓋をする遠霞
土手の脇ザリガニ釣りて土薫る
燕来て季節知らせる手紙かな
小石投げナマズ肥たる河の底
良夜にて水面に眠る宝石よ
晴れ間より雨垂れ被る鴉の子
無月にて病床に臥す妻の手よ
幼き手桶のぼうふら吸い寄せる
朝顔は昨日と夜を退かし咲く

思索 柿木 晴翔

絶交の帰路噴水は音を立てる
風船に綿菓子雲の速さかな
賢治忌やジパングの地図島一個
窓ガラス伝う驟雨や我静か
筑波峰を覆ふ霞の厚みかな
幾年も砂利の音はせず石蕗の花
柿落葉愛想笑いを覚えた僕
オリオンの八つ目見える離島に住む
暮の春急行の皆顔見知り
猫じゃらし撫でて世界とはなんなんだ

小さき夏の日々 濵野 佑太

標本の鈴虫羽を立てるかに
夏の風呂おとうとが石けんを蹴る
古時計短針の先端の蟻
盆帰省祖母のやつれしぬいぐるみ
転寝やふたり裸足の重なり合い
暑き日や太き眉毛の整わず
堅牢の本を天道虫登る
扇風機ビニール紐を戦がせて
病床の狭き視界に牡丹かな
サンダルが水に浸かりて吸い込んで

自由作文

「てらてら」を語りたい 武藤 龍之介

タイトルにもあるように今回の部誌では「てらてら」について一句ずつダラダラと語っていきたいという思いから自由作文を書き始めた次第です。自分の俳句について自分で振り返るというのは中々無いことで文に起こすという形では初めての経験なのですが、自選十句と合わせて楽しんでいただけると幸いです。

鞦韆に立ち見る母に旋毛かな

季語は「鞦韆」で春。句から読み取れることは公園などのブランコに立つと普段はしっかりと見ることの無い母親の「旋毛」が見えたということだけで、「かな」で落としているのに感動の焦点がどこにあるのか分からない謎に溢れた句。不思議とこういう句ばかり作れてしまう時期があって、中でもこの句は気に入っていたことから俳句賞25にも出してしまった。

風薫るキウイ畑の廃車かな

自分の代表作として間違いなく挙げる一句。部活のメンバーからも好きと言って貰えるし、何より、俳句賞25で高柳克弘先生選の秀逸十句に選ばれたことが自信を持ってこの句を語れる最大の理由だと思う。季語は「風薫る」で夏。「キウイ畑」を吹き抜ける爽やか風が青々と茂るキウイの葉を揺らしている様子なんかが想像できて、「廃車かな」という下五からはどこか寂れた農村の雰囲気が漂っている。実は自宅の裏に(流石に句の景ほど田舎では無いと思うが)キウイ畑が広がっているので実感に即して詠めた句でもある。

海洞の底てらてらと翁の忌

高一の時に東北研修旅行で見た海食洞を元に作った一句。季語「翁の忌」との取り合わせという面ではまだまだ推敲の必要があると思うが、自分の句柄を探る上で転機になった句として残しておきたくなった。自選十句のタイトル「てらてら」というオノマトペはこの句を印象づける表現。多分、人によって思い浮かべる「てらてら」と映る光は微妙に異なるだろう。かといって、ネオンのような光を考える人は少ないだろうと思うし、多くの人には薄く差し込む日の光が揺れている水面を仄かに輝かせている様子を考えてもらえるだろう。句の中にある他の語と密接に関係を持ちつつも間接的に対象物を見せて、景に広がりを持たせることが出来る。それがオノマトペの魅力でないだろうかと思っている。

吹き足して紙風船のてらてらと 

「絵×句展」

最近、特に気に入ってオノマトペを使っている傾向がある。

行商の去りし砂丘や紙風船

俳句甲子園の東京地方予選で使用した句のひとつ。どこか空想的な景なので守りの練習が大変だったのを覚えている。(一生懸命に語ってくれたチームメンバーに感謝です。)行商人が商品として持ってきた「紙風船」を落としたのか、「砂丘」近くに住む子供が遊んでいた「紙風船」が飛ばされてきたのかもしれない。詠みは人によって異なるだろうけれど、「砂丘」と「紙風船」の取り合わせということだけでも十分魅力を語れた一句。

朝寝してぎしぎしといふ親不知

「ぎしぎし」というオノマトペの選択がハマった句だと思う。朝寝しながらもどこか隣の歯と擦れている様子や変な場所から生えてしまった「親不知」の熱を持った痛みが上手く表現できたのではないか。地方予選で決勝まで進めずに使われることがなくて残念だった反面、今になって自選十句として人の目に触れる機会ができて嬉しい限り。

七月の夜の雨都心白みけり

全国大会の予選句で最も推敲に時間がかかった句。「七月」の激しい雨に光を放つ夜の都会が曇っている様子を詠みたかったが、上手い表現を見つけるのが難しかった。新宿の学校に通っている人間ならでは視点を初めて俳句に組み込めたという意味では思い入れもある。夜の「都心」の魅力を語るという面ではディベートも話を広げ易かった。

水筒のころんと響く日傘かな

「日傘」を差している人の鞄の中に入っている「水筒」から聞こえる微かな氷の音が、夏だからこそ感じられる涼しさを際立たせている一句。この句では特に「ころん」というオノマトペの選択に時間をかけた。チームメンバーから句のイメージに合う音色をあげてもらったのを覚えている。例えば、「からん」「ことん」「しゃらん」など。たった三音で思い浮かべる句の響きが大きく変わるのが分かって面白い。

草いきれバックパックを地に放る 

俳句甲子園に使用した句の中で一番早く形になった句かもしれない。自分が地学部に所属していたこともあり、鉱物採集のために登った山で「バックパック」を下ろして茂みに座り込む感覚が体に残っていたことが大きいと思う。残念ながら海城Aチームに試合で敗れて、この句を自ら語ることは無かったが、実感に即した自分らしい句を先輩と戦う最後の舞台で見せられたのは素直に嬉しかった。

網の秋刀魚船の生簀にぶちまける

全く使用されることの無かった全国大会の決勝句。食材として詠まれることの多い「秋刀魚」を生きた状態で詠み込んだので、自分の俳句の中でも挑戦した部類に入る。結果としてチームの句が並んだ時、句柄に幅を持たせることが出来たように思う。また、「ぶちまける」という動詞で季語を魅せられたことが句作の上での大きな収穫だったと思っている。

ベランダに靴の片方虫しげく

並んでいる十句の中でも最近作ったもの。セン俳で即吟した句なので取り合わせとして納得いかない点も多い。けれども、即吟で生まれたという点からも現時点で自分が作る俳句というのが鮮明に表れている句のように思えて、自選十句の最後に置くことにした。

以上、自由作文として好きなように自選十句「てらてら」について語っていきました。句によって思い入れに差があるために文章量や内容もバラバラになってしましたが、楽しんでいただけたのならば嬉しいです。この自選十句と自由作文がこれらを読んで頂いた皆様の心を「てらてら」と照らしていることを願っています。
最後に、今年の部誌では自由作文を任意の提出という形で募集したのですが、予想以上に数が集まらず、例年は担当しないはずの引退した高三の先輩に頼むことになってしまいました。編集者として反省しています。受験勉強でお忙しい時期に引き受けて下さった先輩方、本当にありがとうございました。

宇佐美魚目『秋収冬蔵』鑑賞  関 友之介

宇佐美魚目、スマホの予測変換が一発で出してくれません(泣)。
部費で『魚目句集』を買いました。宇佐美魚目の句はなんとなく「変」だと思っていて、しっかりとした写生が魚目独特の感性を通して行われています(これを仲間内で「魚目フィルター」と勝手に呼んでいます……筆者だけ……)。そんな『魚目句集』の中で、せっかくなので、個人的に好きな句が多い第二句集『秋収冬蔵』から何句か引きました。なお、句集は旧字体なのですが、書くにあたって新字体にしました。ご容赦ください。

昼花火虻が花粉に眼を汚し

異様な句です。「昼花火」が不気味とさえ思えます。昼花火は夜の花火と違って閃光を放つのではなく、空に色のついた煙がしばらく残ります。それと、虻の目に花粉が付いている様子との取り合わせ。異様で、どこか不気味でいて、息を呑むものがあります。「虻が花粉に眼を汚し」の連用形が効いていて、目に花粉がつきながらもそれに構わず、花に頭を突っ込みガサガサしている虻の様子がうかがえます。

自動車解体こほろぎ産卵管を地へ

自動車の解体工場の錆臭く、オイル臭い空き地で、こおろぎが産卵管を地面に突き刺して産卵している。こおろぎの光沢であったり、脚の関節だったり、どこか金属質な様態が「自動車解体」によって鮮明になります。「解体」と「産卵」は、終わりと誕生という、要素としては対極にあるのですが、この句全体からその対比はあまり感じられず、「自動車解体」の字余りが強い印象を持つことや句またがりなどの全体の韻律から、むしろ「解体」の方向へのイメージが強く感じられます。字余りではあるが、「解体」や「産卵管」など、一拍に二音が含まれる言葉が効果的に配置されていて、口に出すとむしろ心地いい。また、「こほろぎ産卵管を地へ」が写生を堅持しているから、というのもありそうです。写生から情感が引き出される、筆者の理想とする句のひとつです。

冬に死す青絵の皿の舟と波

死というのはその人を終わらせてしまうものである一方で、永遠を与えてくれるという側面もあるかもしれません。この磁器のお皿に描かれた、しぶきを立てる波、それに揉まれる舟。これらも永遠なのです。ところで、「舟と波」と言われると、どうしてもまず葛飾北斎の版画、富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」を思い浮かべてしまいます。「神奈川沖浪裏」はとてもダイナミックで、版画であるにも関わらず、動きを持つような気がします。一方で、この句の「舟と波」は、じっくり読むにつれて躍動感を持たない静止画となっていきます。ここに至った時、この句の深みが感じられます。 

石につく鮎に明るき杉丸太

「石につく鮎」と「明るき杉丸太」が「に」によって並べられている構造でしょうか。「つく」の解釈が難しいですが、筆者は、鮎が川底にいて流れに逆らって泳ぎ、その場にとどまっている様子だと考えました。昔は、材木を川に流して上流から下流に運んだそうです。川を流れていく杉丸太の明るさ(言われてみるとたしかに明るいという実感がある)と川底の鮎の輝きが、ひとつの情景として立ち上がり魅力的です。さて、初読のとき、筆者はこの句をうまく読めませんでしたし、この鑑賞を書いている時もあまり確信なく書いている部分があります。それは、筆者の川の経験が欠けていることが原因のひとつであるような気がしていて(筆者は鮎を実際に見たことがないのです……)反省も込めて備忘録的に載せておきます。  

山中の冷えきびきびと神の顔

冷え冷えとした山の中をすこし息を弾ませながら歩いていく。この句の主体は、山との関係が深い人、たとえば猟師とかでしょうか。狩猟は山やいのちへの感謝と表裏一体で、猟銃を担いで山を進んでいく猟師は山(自然)の厳しさを知っています。「きびきびと」という言葉が効果的ですし、実感があります。魚目の句は緊張感のある美しさがあると言われます、それがよくあらわれている句です。

ひやひやと水の落ちゆく山の中
秋天下山落ちきつて太る水

一句目、「山の中」の体言止めが効いていて、いま主体がいる山中の実感を読者に湧かせます。「ひやひやと」も美しい言葉で、肌に感じる冷たさ、紅葉しはじめた頃の山の情景も浮かびます。この川は狭くて急な川である気もするし、沢からのちょろちょろとした水である気もします。その水が山をくだり、だんだん集まっていって、二句目、川が合流して川幅が広くなったところ。山を流れてきて、ようやく開けたところの「秋天下」の広がりが心地よい。思わず「あぁ」と言いたくなります。流れも穏やかになって、「太る」という言葉がよくあっています。主体の心も安らか。

山みちを紅炉へもどる虚子忌かな

魚目には高浜虚子に師事していた時期があり、その時のことは『宇佐美魚目の百句』(武藤紀子著、二〇二一年、ふらんす堂)からうかがえます。その本の中でもこの句は取り上げられています。以下引用です。

「私は虚子晩年の弟子だ」と魚目は言う。
いろいろさまよったあげく、戻るところは赤々と立ち上がる炎のもとなのである。
紅炉の火は、あたたかく、なつかしく、自分をまるごと包み込んでくれるのだろうか。

『宇佐美魚目の百句』武藤二〇二一、六七頁

「山みち」というのがいいですよね。筆者には、俳句の魅力は「誰かの経験が体の中に入ってくること」だと思っている節があり、この句を読むと、どこかさみしいようなあたたかさを感じます。

以上、八句を引用しました。こうやって書いてみると、宇佐美魚目の句の本質は、自然物への強い思い入れが写生にあらわれている、ということである気がします。それが、時には異質で、ときには自然への鋭い眼差しであるのですが、それらの写生の根底には対象への強い関心がある気がして、だからこそ、読むと魚目が句を作る時に感じた関心が実感されて、どこか懐かしい心地がします。強い思い入れ、というと、魚目の句には「松」「鮎」といった題材が多いです。また、句集のなかで度々句に前書があり、そこから、浅井光男といった画家との交友関係が見られます。そういった他の芸術への関心(魚目自身が書家であったりします)が、魚目の句のある種の前衛芸術的な部分、異質さに繋がったのかも知れません。
他にも鑑賞を書きたい句はたくさんあるのですが、そろそろ筆を置きます。宇佐美魚目、高校一年生で俳句を作り読みはじめてから出会った中で、筆者の一番好きな俳人かも知れません。卒業したら『魚目句集』を自費で買って読み直します。

俳句から紐解く海城A 三内 洸

『海路』を発表するにあたって、僕も寄稿の機会を頂いたので気の向くままに書いてみます。
俳句甲子園が終わって二ヶ月が過ぎました。準優勝の喜びも束の間、受験勉強の日々を送っています。ありがたいことに、他校のみなさんとも仲良くなれて、この自由作文のハードルも上がってきたところです。そんな中、こんなふざけた文章を寄せて大丈夫なのだろうかという疑問と、ふざけたい気持ちが混じりこのような結果に至りました。鼻で笑ってもらえると助かります。では。

田村とは、この文芸部で知り合った。田村の明るく、陽気な性格にはいつも心を明るくさせられた。このチームの中だと、一番ノリも近くていつもお互いにふざけ合っては笑っていた。祖父母の家が博多で、地元トークも盛り上がったし、配信者や際どい話など、本当によく喋ったと思う。個人的には、句歴も近いし考え方も似ているので、ライバルのようにも思っていた。彼がいたから文芸部の、なんでもない日々が明るい思い出に埋め尽くされているのだろう。

十月や保健だよりを飛行機に

俳句をやっていることで、日常を楽しめた気がする。高校に上がり、成績や進路など考えることが増えた。ラクロス部と文芸部は、そんな嫌なことを忘れられるような、日々の中のオアシスであった。(とか言うけど句会は結構サボってたね…ごめん。) 僕にとって、俳句と関われたこの三年間の日々は輝かしいものである。
僕が高三まで俳句を続けることができたのは、間違いなく同級生の皆のおかげだと言える。特に去年の第二十四回俳句甲子園は、僕にとって転機だった。自分以外の同期がベスト四まで進み、あの場で脚光を浴びていたのは誇らしかったと同時に、とんでもなく悔しかった。(補欠で選んでくれたのは涙が出るほど嬉しかったよ。) だからこそ、今年の第二十五回俳句甲子園は、積年の思いを晴らす大きな場であった。決勝まで友と歩んできた道のりは、僕の中で一生忘れられない思い出だ。

空き瓶はけふを映すや素十の忌

実は南とは文芸部以前から知り合ってはいた。だが、知り合っていた程度である。真面目で賢い、誠実な南は僕と交わることのない世界の人間だと思っていたら、彼は句会にいつの間にか顔を出していた。彼からは多くの俳句の知識をもらったし、相談もした。知識の量が半端ではないので、僕は彼にある種の畏敬の念を抱いていた。
だが、俳句を通して交流を深めるとともに、人間らしいというか、一途でかわいい(?) 一面もあるなあと気づいた。彼は人と関わるのが好きで、意外と寂しがりやらしい。奇しくも僕と似ていたのだ。 (似ていない所の方が多いが…)
彼の影響で俳句に真摯に向き合うようになった。そして、これからも俳句にそう向かっていたいと思うようになった。

賽の目の一ばかり出て十三夜

関も、文芸部にいなければ関わっていなかったろう。最初は右も左もわからぬ様子であったが、今思えばあの頃から鋭い感性を持っていたと思う。彼はチームの中で一番新参なのだが、勉強量で言えば南と並ぶ、いやもしかするとそれ以上かもしれない。
私にとって彼は高嶺の花のような存在であり、神経質そうで絡みづらかった。しかし、俳句を通して通じ合えたような気がする。話してみると意外と気さくで、気分屋で、割と適当人間で…そんな彼が今年の俳句甲子園決勝で流した涙は全僕に刺さった。一見天性の才能のようなものを感じるが(もちろんそれもあるとは思うが)実は陰で人一倍努力していたのだ。彼のストイックさにはいつも圧倒される。
我々のこのつながりはいつまで続くだろうか。まだ一八年しか生きていないが、多くの出会いと別れを経験してきた。海城を卒業したら我々は別の進路になる。全員が俳句を続けるかもわからない。例えそうだとしても、僕はこのみんなと一生付き合っていたい。この関係はいつまでも続けるつもりだ。(無理矢理にでも…?)

花芒凪の十万億土なる

尾崎は、中三の時に同じクラスになり、仲良くなった。文芸部の最古参である。彼に俳句をやらないかと尾崎が誘ってくれたおかげで、今こうして生きている。僕はいつも尾崎になんでも頼っていたし、文芸部のことはずっと任せっきりだった。だが彼は、怒らないどころか、文句も言わないのだ。とんでもない苦労をかけたと思う。
ラクロス部でも、彼は頼れるMFだった。海城ラクロス部には高二の後輩が一人もおらず、練習にしろ試合にしろとにかく人数が足りなかった。時には同期のやる気が落ち、人が来なくなったこともあった。そんな中でも休まずに来てくれた尾崎は本当にいいやつだと思う。
彼はきっと、今年の俳句甲子園にかける思いは一番強かったのではなかろうか。中学二年生からずっと海城文芸部に関わってきていて、その集大成だったからだ。そういうこともあり、僕は彼を勝たせたい気持ちで(何様?) 今大会に挑んでもいた。
だから決勝のあの舞台まで一緒に行けたのは感慨深い。今度は、依存することなく全員で勝ちに行けた、そのことが何よりも嬉しかった。
(…と思いきや、試合後のインタビューで号泣した僕の背中を、ずっと尾崎が手で支えてくれた。いつまでも僕は彼に依存しているようだ。)

そんな俳句甲子園だが、もう選手として出ることはできない。今年からやっとディベートが再開し、対面で句を鑑賞し合う楽しみを初めて味わったと思えば、もう引退とは…。フェアウェルパーティーや、SNSでの交流を通して南は沖縄から北は北海道まで、多くの先輩、同級生、後輩とつながり仲良くさせていただいている。せっかく仲良くなったのに、合間見えないのは寂しい。(句会のお誘い、コーチ勧誘など…お待ちしています…!)
俳句がみんなとのつながり、縁であると思う。このつながりを持てたことが一番の収穫であり、宝物だ。みんなとの縁は離さず、ずっと大事にしたい。だから、俳句を詠む。卒業しようが、どこへ行こうが、俳句が僕らをつなげてくれる。

桜紅葉いましがた鳩十羽行く

最後に、夢を語りたいと思う。僕は海城文芸部で、みんなで過ごしたあの時間が大好きだ。そしてその時間が無くなってしまわないでほしいと願っている。そこで、卒業したら、全員で句を持ち寄り、同人誌を作り上げたいと企んでいる。完成した暁には、お世話になった顧問の先生方、コーチの先生方、OBの先輩、海城文芸部、そして仲良くしてくださる他校の皆様にお送りしようと思っている。そしていずれは綺麗に製本して販売したり…。妄想が止まらない。
そのためにまずは、受験勉強を頑張って第一志望校に受かろうと思う。みなさん、楽しみにしていてください。

「ひと雨に」解題  南 幸佑

部誌の編集担当である武藤くんから、自由作文を書く機会をいただきました。とはいえ僕は大学受験生の身、何か新しい題材を探す余裕はありません(この文章自体も、いつもより朝早く起きて急いで書いています)。
仕方がないので、自選十句として僕が提出した十句連作「ひと雨に」の簡単な自句自解を書こうと思います。俳句に馴染みのない方が本冊子を読む際の一助になれば、また自分自身の記念になればと願いつつ。

あかときの山鳩鳴ける障子かな

 「あかとき」は「暁」の古語。「よく冷えた冬の朝、目を覚ますと外から山鳩の声が聞こえてきた。部屋の障子からは、冬の朝日が差し込んできているなあ」くらいの景でしょう。
この句を作った去年の十一月ごろは飯田龍太を耽読していて、〈どの子にも涼しく風の吹く日かな/『忘音』〉〈別の桶にも寒鯉の水しぶき/『涼夜』〉などの句を意識しながら句作していた記憶があります。氏は自身の作〈春暁の竹筒にある筆二本/『忘音』〉について「「春暁」という季節の言葉は…いちばんひと気のない、慾のすくない言葉に思えた」と述べていますが(『飯田龍太全句集』角川文庫、二〇二〇年、六八七頁)、簡素な言葉を選ぶというのは僕の語の選択の基準の一つにもなっています。

全集の金泥さびし浮寝鳥

「全集の表紙に印字された金色の文字が、どことなく寂しく感じられる。折しもここから見える池では水鳥が水面に浮かんだまま眠っているなあ」のような句意でしょう。
この全集は『田中裕明全句集』です。田中裕明は一九五九年生まれの俳句作家で、俳句界の第一線で活躍していましたが、僕の生まれた年と同じ二〇〇四年の十二月に病で亡くなりました。僕は含羞と優しい詩情に満ちた氏の句が大好きで、何かしんどいことがあると全句集を読み返すのですが、その度に田中裕明の早世を思って寂しくなります。

革手袋くたびれゐるや卓の上

「机の上に、先ほどまで着けていた革手袋が置いてある。クチャっとしていて、古くなった革もくたびれているなあ」くらいの景。
ある物の様態をとことん描写する句が好きで、掲句もそれを目指したつもりです(実現にはまだ遠いですが…)。ちなみに、蛇足ですが、中七に切れを作るのは小澤實氏の文体を意識しています。

ファスナー多し風船売のジーンズに

今年の俳句甲子園・地方大会の提出句。「春、通りかかった風船売を見てみると、履いているジーンズにやたらとファスナーがたくさん着いているなあと気づいた」くらいの意味でしょう。春の日差しがファスナーに反射しているような様子も想像されて、個人的にお気に入りの句です。

ひと雨に草木よろこぶ朝寝かな

「春の朝、布団でのんびりしていると、外ではしとしとと雨が降り始めて、その雨音に植物が喜びを感じているように思えた」くらいの景でしょうか。孟浩然の漢詩「春暁」があるように春の眠りは外への意識と深く結びついていますが、この句は朝寝をしながら植物の生命感に共鳴するような感覚を描いたつもりです。これも地方大会の提出句。

はつなつの鳶旋回す舫ひ綱

「初夏の埠頭、舫綱が置いてある上空で、一羽の鳶が輪を描き飛んでいる」といった景。五月ごろ家族と横浜に遊びに行ったときに作った句ですが、漢語の連なりによって鳶の気高いありようもなんとなく思わせる句になったのではと自負しています。今年の角川俳句賞に提出した連作にも入れました。

カラオケを出て七月の薄暮の街

カラオケの部屋には窓がなく、また防音にもなっているせいで外界との接触がまるっきりありません。夏は冷房もギンギンに効いていて、長い間歌っていると体がうっすら冷えてきます。そんな中、歌い終えて外へ出ると、街の情景や人声、七月の暑さや夕べの日の光が一気に身に迫ってくるように感じられる、といった句意でしょう。
下五が字余りになっていて、一息に読み下すと最後にふっとスピードが付く感触があると思います。この句は全国大会予選の提出句。

麦茶飲む一人がこはき夜なりけり

コロナが広がって以降、一人でいるのが怖い、あるいは寂しいと感じることが時々あります。具体的な身の危険を感じているわけではないのですが、ふと無性に誰かと話していたくなるような感覚を時折覚えるのです。そのような時の対処法はまだ見つけられていないのですが、とりあえず俳句を作るというのは一つの逃げ道かと思っています。

龍淵に潜む眼鏡に小さき螺子

 俳句甲子園・全国大会決勝リーグの提出句。「龍淵に潜む」とは、夏に雨を降らせた竜神が秋になると棲家たる淵に帰っていく、という想像上の季語で、大まかに秋分の頃のことを指します。
この句で僕は岸本尚毅先生による審査員賞をいただきました。岸本尚毅は初学時代から好きだった書き手であり、岸本尚毅賞も高校一年生で俳句甲子園に出場し始めてからずっと憧れていた賞でした。人生最後の俳句甲子園でこの賞をいただけたことは本当に嬉しく、また一方でもっと俳句のことを勉強しなければと身が引き締まるような感覚も覚えています。

賽の目の一ばかり出て十三夜

十三夜は、十五夜の十三晩の後の満月には少し満たない月が出る夜を指します。冷え込む晩秋の夜、手持ち無沙汰に任せてサイコロを転がすと、二・三回続けて一の目が出た。そこになんとなく気を引かれつつ、一方でなんとなくうら寂しい気もするような、そんな微妙な心理の陰影を描いたつもりの句です。
この句は全国大会決勝戦の提出句。僕たち海城Aチームは幸にして決勝戦まで進むことができたので、この句は僕が俳句甲子園の試合で使った最後の句になります。中学三年生の終わりに文芸部に入部してからおよそ三年間、思い返すといろいろな人にお世話になりました。恵まれた環境だったと思います。

八月二十一日、第二五回俳句甲子園の全国大会が行われた松山市から帰ってきてから、自分が卒業後に俳句を作り続けられるのかどうか、ぼんやり考え続けています。外部コーチの方や年上の俳句作家からは、仕事が忙しくて俳句に割く時間がない、高校時代の同期が次々と俳句から去っていった、などといった話をよく聞きます。高校卒業後に自分に降りかかるであろう数多の苦難を乗り越えて俳句を書いていく覚悟があるのかと問われると、今の自分にはあまり自信がありません。
しかし一方で、俳句を書くのはやめたとしても、俳句の読者ではずっとあり続けたいと思っています。書店でふと詩歌コーナーに寄って句集を手にとるような、そんな瞬間があれば幸せだなと思っています。まあ将来何が起こるかは分からないためこんなものは所詮学生の夢想に過ぎませんが。

とはいえ、とりあえずは卒業後の行き先を獲得するのが先決だと思います。受験勉強頑張ります。

おわりに

最後まで部誌「海路」をご覧いただき本当にありがとうございました。
作品を通してありのままの海城文芸部を見せられたのかなと思っています。
今後、noteをどのように活用していくのかということは全く決まっていないのですが、再び作品を公開する機会があれば、Twitter等で告知しますので楽しみに待っていただけたら嬉しいです。

それでは!



 








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