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映画「晩春」 能の意味

なんとなく小津安二郎監督「晩春」のウィキペディアページを見ていて気付いたことがあった。3回ぐらい見たかなこの映画。

この映画、紀子(原節子)が再婚話の出た父(笠智衆)と能を見に行くシーンがある。その劇場に再婚相手とされる女性もいるのだが、紀子はファザコンと亡き母への思いからか、その女性を結構すごい目で見ている。

紀子としては自分も結婚したくないし、父が再婚して今の生活が終わるのが嫌なのである。そしてその能なのだが、教養のない私には何の内容かさっぱり分からない。今日日、東大出てようが三流私大だろうが、能が分からなければ教養なんて無いのだ。

この能は「杜若」で、遠く都に置いてきた妻を想う歌を下敷きにしたもの、だそうで、要するに舞台では遠い妻を思う話、客席では再婚しようとする父の娘が再婚相手をにらんでいるw

(ここからネタバレ注意)

そういう対比があるわけだが、父の再婚話というのは実は紀子を結婚させるための作り話だったんだよね。これは映画の最後で分かる。

そうすると、例の能のシーンはすごいシーンだということになる。娘は父が再婚すると思い込んでいるが、父はおそらく、亡き妻を杜若のストーリーに重ね合わせているわけで。

つくづく自分に教養が無い、日本文化を知らないというのは悲しいことだと思った。この映画は能を知っている人には全く違って見えるわけだから。恐ろしい映画だ。

ちなみにその再婚相手役は三宅邦子だったかな。本当に美人だしセリフもきれいに発声するし。洋服より和服が似合う感じかな。落ち着いてはいるが昭和臭くもなく、すごい女優だと思う。

日本人は能を見てももうさっぱり分からんでしょうけど、欧米人はオペラ見て分かるのかな?

晩春 ~映画の読解 (2)

こちらのサイト、紀子と父が最後の京都旅行をした夜に紀子が着ていた浴衣がアヤメの柄であったことを指摘している。杜若もアヤメ科。

とすると紀子はこの能における「杜若の精」なのか。能では杜若の精は悟りを得て消え去ってしまう。ちょうどそんな風に紀子も得心して嫁に行ってしまうわけだ。

そういえばこの映画では、有名な「壺論争」というのがある。紀子と父が最後の京都旅行をした夜に寝床についた後、部屋にあった壺が意味ありげに映し出される。やや不気味というか、不自然なシーンである。さてこの壺のデザイン・模様はどんなものだったか。また研究してみたい。

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