のぶよし

 本人のプライバシーにも関わるため、ここではフルネームを伏せさせていただくが、僕の古くからの友人に、のぶよしという男が居る。そもそも田舎育ちということで同級生が少なかったこともあり、地元の友人とはとりわけ狭く濃い交友関係にあるが、その中でも特に彼とは気心知れた仲だ。彼は、肉屋(正式には飲み屋)育ちの柔道部で、幼い頃からめちゃくちゃガタイがよく、力持ち。そんなパワフルさに加え、薄い制服から透けて見える「大将」と書かれたインナーに、強面だが優しいといった親分肌な彼自身の性格も相まって、クラス内で多くの人(特に男子)から慕われていた。ちなみに彼の家の馬刺しは絶品。一方、クラッシュオブクランというスマホゲームを「のんの」という名前でプレイしてしまったり、冷蔵庫の余り物でMacBookを作ってしまったりと、どこかお茶目な一面もあり、俗にいう「愛されキャラ」でもあった。そんな彼との名前に関するエピソードを紹介したい。


 小学生低学年の頃のとある日の彼との会話。
「俺の名前、のぶよしって読むけど、この漢字は色んな読み方ができるみたい」
彼は少し自慢げに私に言ってきた。
「へー」
私は冷静を装ってこう受け応えたものの、これは小学生の私にとって非常事態だった。というのも、当時小学生だった私たちの間では名前いじり(例えば私の場合ざぶみとかさしみとか)が流行っていた。そんな中、その名前いじりに対して彼の言うように、本名自体が色んな読み方ができるとなれば、例え酷い呼び方をしても、それが正当化されてしまい、いじりがいじりでなくなってしまう。そうなると彼への名前いじりは意味を失ってしまう。まさに、彼はたった今、名前いじり無敵宣言を下したのだ。私は、彼の一方的な無敵宣言を阻止するべく、“色んな読み方”から徹底的にアラ探しをすることにした。
「へぇ〜じゃあ、“のぶのぶ”は?」
以前までの彼に対するスタンダードな名前いじりだ。私は様子を見ることにした。
「いけるよ〜」
なるほど。色んな読み方ができるとなれば、そう来ることは予想できていた。まぁでも、彼が読めると言うならそうなのだろう。
「じゃあ、“よしよし”は?」
これもスタンダードな名前いじり。
「いけるよ〜」
まさかの回答。それまでのスタンダードから2つ目までもが封印されるとは…それまでの彼に対する名前いじりからスタンダードの双翼が封じられたのだ。由々しき自体に突入した。緊張が一気に走る。これ以上の彼への名前いじりは、スタンダード(常識)から一歩踏み出し、非常識に足を踏み入れなければならない。ここで勇気を踏み出さなければ彼は無敵宣言に守られ、こちらからの射程圏外の安全地帯から私たちに向けて一方的に名前いじりをしてくるのだろう。彼のアウトレンジ戦法を破るには、勇気を持って射程圏内に潜り込むこと。明日の我が身を守るべく、私は非常識の奥地へと向かった。
「じゃあ、“よしあき”は?」
そう、彼の本名に含まれていないワード“あき”を入れてみる。初めての試みだ。さすがにここまで来れば、彼もあき…
「いけるよ〜」
彼は間髪入れずに答えた。しかし私の挑戦は止まらない。
「じゃあ“あきまさ”は?」
流石にこの一文字も彼の名前に含まれてい…
「いけるよ〜」
耳を疑った。彼の本名に全く入っていない“あき”と“まさ”。彼はそれでもなお、いけるというのだ。
「じゃあ“ころっけ”は?」
やけくそだった。その日の給食の献立を問う。ここまできたら名前いじりというよりはゆるキャラだ。
「いけるよ〜」
のぶよしは相変わらず食いしん坊だなぁ。
「じゃあ、“ミラクル”は?」
明日の我が身を守るためにはあてずっぽうも致し方な…
「いけるよ〜」
あかん。いけちゃあかんねん。カタカナやぞ。どんな読み方やねん。あとのぶよしのその見た目的にミラクルって感じではないやろ。むしろ一番かけ離れてる。
「じゃあ“ミチコ”は?」
「いけるよ〜」
ミチコってなんやねん。自分から持ち出したけど何!?性別すら変わってる。今の彼は、性別の壁を超えるのだ。
「じゃあ“れいじ”は?」
しまった。ころっけ、ミラクル、ミチコとそうそうたるメンツで持ってしても跳ね除けたのぶよし。ここに来てはや普通の名前だ。



「それは無理かな〜」


なんであかんねん。普通にいけよ。ころっけ、ミラクルがよくてなんでれいじはあかんねん。ころっけはええんか。ころっけぞ。ころっけ。
気づくと私は、彼の頭を思いっきりどついていた。
目から大量の涙が溢れている。



しかし、涙で彼の輪郭が霞む中、その涙の奥には、確かにいつもと変わらない笑顔の彼がいた。

数年経って私は一つの答えにたどり着いた。多分彼は、モノマネは有名人の物真似じゃないと受け入れないタイプなんだと思う。だから、よしあき、あきまさ、ミラクル、ミチコがよくて、れいじだけあんなに頑なに拒んだのだろう。あの時、れいじではなく、いっこく堂だったらどうだっただろうか。いっこく堂だったら、私は殴っていなかったのだろうか。しかし、いっこくどうは、物真似芸人なのか、腹話術士なのか。のぶよしの解釈一つで変わってくるかも知れない。ただ、いっこくどうには大きな欠点が一つだけある。腹話術士であるが故に、口を完全に閉じる喋り方ができないということだ。そうなると完全な物真似にたどり着くには、大きな障壁になってしまう。せめて日常会話でそこまで使うことのないパ行はどうにかなるにしても、頻度が高いマ行が言えないとなると、大きな致命傷になる。マ行が言えない物真似芸人を、彼は本当に物真似芸人として判断するのだろうか。この時の彼の判断は、2つの意味で、“め”が離せない(話せない)
最後に、彼の「のぶよし」の元の漢字はというと。





「延修」




いや普通