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連続事例検討会:第10回「 経済的虐待」


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こんな温故知新はイヤだ!

現代によみがえった病気を一つ上げるとしたら何だろうか?
梅毒や淋病をあげる人もいるかもしれない。
この日、おとぎ塾で話題に上った病は、ビタミンB1欠乏症であるあの“脚気”。
高齢者が困窮のあまり、食事をコンビニおにぎりだけで済ませてしまい、この時代になってリバイバルしたのだという。
こんな温故知新はイヤだ!の筆頭にあげられそうな事案である。

今はコンビニへ行けば おにぎりは手軽に入手できる。しかし、お年寄りがお金を管理されると“おにぎりを選ばざるを得ない”食生活となる。
ヘルシーの代名詞みたいな玄米は、美味とは言えず、戦中まわりの世代では白米がご馳走であった。
子ども時代に贅沢品だった白米を毎日食べられるのだから「幸せ」と本人が捉える。本人が搾取されているとはつゆ程も思わない
まさに「幸せはいつも、自分の心が決める」の煉獄版である。

経済的虐待というグレーゾーン

さて、今回俎上に上るのは“経済的虐待”は、自由にお金を使えなくすること と言い換えられるだろう。
その要因を分けて考えると、①誰が虐待をしているか?で対応が変わりうるし、②いくらぐらいの被害か?によってもクロかシロかの判断が分かれる。また③加害者に搾取の自覚があるかないかで対応が変化しうるし、④被害者に搾取されている自覚があるかないかでも、解決のルートが変わる。
現代における脚気の再流行は、④の自覚なき場合に該当するケースの結果であるのかもしれない。

事例の詳細はこうだ。

・夫に先立たれ数年前から、長男・中学生の孫と同居。楽しみにしている通所介護を休む、また電気や電話を止められるほどの経済状況となっている。
・長男は交通事故がきっかけで働けなくなり当人と住みはじめるが、パチンコ漬け
・当人は「息子は本当はあんなじゃない。悪いのは社会の仕組みだ」と境遇を半分受け入れている

家族間でのお金のやりとりなのか?それとも経済的搾取なのか?の線引きが難しい本事例。
早速、メンバーたちからの意見が巡りわたる。

・自分の親子関係から当事者感覚で想像する。

家計が別々なので、自立した親子はお互いに どのくらいお金を持っているのか知らないのではないか?
親を頼りにしているのは、親の財布を知ってか知らずか?どちらにせよあまり良い状況ではない。

・通所ご利用者の事例

献身的な介護をしているが、お子さんの趣味の物が玄関先に飾ってあったり、新車を買った形跡があったりで疑問符が浮かぶお宅があった。
献身的介護とゼイタク品が同居すると、支援者としては経済的虐待を疑ってしまう。

・訪問介護の事例

本人にお金があるのに、主介護者である親族が、必要以上に物を買わないケースを経験した。
「少食だから」と、お粥1パックしか与えない同居の親族。
こうしたケースは包括や行政の出番であろう、と塾長より。

・認知症専門医の見立て

歩行不安定のみであることから、おそらく要支援状態
持ち家と資産状況から、世帯分離も難しいであろう。
やりたい事を我慢する」は世の中にいくらでもあるから、経験上、虐待というにはグレーゾーン
体重減とか、食べているか?まで踏みこんでいくかがポイント。
当人の「働きづらい世の中が悪い」という意見にも、息子の「親の金を頼って何が悪い」という主張にも一理ある
要支援状態である当人が、家事一切をやっている可能性がある。
楽しみにしているデイサービスに行けないことについても、経済的虐待認定は早すぎるのではないか?

無駄づかいとストレス解消と倫理観

認知症専門医と地域包括支援センター職員の対話から、「趣味がギャンブルだと、簡単に身を持ち崩すし、周りも巻き込んでしまう」という話題も持ち上がった。
例えばソシャゲ課金についても同様のことが言えて、パチンコを禁止しても他の姿を纏って経済的虐待への萌芽となりうる。
またギャンブルに身をやつすことは、倫理的にはNGだけど、正当性は主張できるので、そこで支援する側は手詰まりになってしまう、というモヤモヤ感についても語られたことを付記しておく。

現在の虐待通報について

身近に虐待と思われる案件があった場合、発見したものには通報義務がある。
しかし、虐待を認定して動くかは、行政しだい、というのが現状である。
虐待の判断を自分で抱えないでいることは大事であると、ドクターは語っていた。
何事も抱え込まないというマインドセットは、対人支援において重要である。常に心に据えておきたい。

虐待という視点の死角

ケアラーが本人なりに考えた解決法が、無自覚の虐待であったりすることもままある。
親族が良かれと思ってしていることが、第三者から見ると虐待と捉えられるようなことは、実は想像以上に良くあるとのこと。

施設における経済的虐待

施設においては、親族による利用料の滞納が経済的虐待になる可能性がある。
不払いによって立ち退きを強いられるとなったら、それは当人にとっては生命に関わる問題となる。
福祉事業所が即刻契約打ち切りに動くとは思えないが、不払いのケースが多くなっていくと、また状況が変わってくるのかもしれない。
関係者的には、真綿で首を絞められているような怖さを感じる。

著者・岩間先生の解説

岩間先生の解説を、記録者の解釈こみでまとめると以下のようになる。
・まず、本人の心理状態を読み解くことから始める。
・色々な思いにがんじがらめにされた本人に「実はどうしたいか?」の気づきを促す
・本人に権利侵害が認められれば虐待と認定されるものの、家族の論理を悪と決めつけない
当事者たちは、自分たちの論理からしか行動できないことを肝に銘じる。
・息子、孫へ、それぞれアプローチしていく

マインドセット

困難事例をズバッと解決できるのは、レアなケースであろう。
こうしたマインドセットをどう行動に置き換えていくか?戸惑ってしまうのも本心である。

塾長が言っていたが、問題がたくさんあるということは、接続箇所もたくさんある。すなわち、色々な人をまきこめる可能性があることを示唆している。
したがって、つながる人や制度など、多くのコネクションと知識を持ちつつ、当事者とコミュニケーションをとっていくことが必要なのでは?という思いが強くなった。

思うにテキストの著者である岩間先生は、困難事例という山を登るためのマインドセットを行う。敢えて書けば、マインドセットを行うだけなのである。
我々“実践経験者”は、具体的な事例の困難さが、スナップ写真のように思い浮かんでいる状態で事例に臨んでいることになる。
このようななか、岩間先生と我々の間にあるギャップをどのように埋めたら良いのか?

我々には信念と想像力が必要不可欠なのだ。
信念とは、心・知識・技術の3つのうち、まず心ありきであると信じきること。
想像力とは、経験のなか培った各論と、学んだ総論をつなぎ合わせる作業を粘り強く続けることである。
信念を持つことも、想像力を働かせることも、泥くささとやり切る力が求められる。そして、泥くささとやり切る力が輝くには、良心という光源を据えなければならない

こんな温故知新なら……

岩間先生の提言を実践するための距離間が、月の遠さと感じる。現実は険しくて厳しい。
ズバッとしたソリューションはなかなか思い浮かばないが、それでも泥臭く・諦めずに結び目を一つずつほどいていくようなマインドセットが必要である。
今回も、新しい視点を得るのと同時に、昔から大切にしているマインドセットの正しさを再認識できた。
こんな温故知新は、控えめにいって最高である。

参加メンバーについて

おとぎ塾とは、1冊の専門書を元に語り尽くす「事例検討風座談会」である。
様々な福祉・介護職、医療・リハビリ職、施設経営者に福祉機器の専門家、さらに家族介護当事者も加わり人への関わり方をシミュレートしていく。たとえモヤモヤがあっても、まずは悩み抜くことと皆で考えあぐねること、そこに価値を見出す会である。
今回も様々なメンバーが加わった。

参加者一覧
包括・社会福祉士 訪問介護士 認知症専門医 クリニック看護師 有料老人ホーム管理経験者 障害者施設介護士 コミュニティカフェ主催 認知症カフェ主催。

スケジュール

介護のオンラインコミュニティ「SPACE」について

「SPACE」は、“介護”に関心を持った仲間が集うオンラインコミュニティです。組織や地域を越え、前を向く活力が得られる仲間とのつながりや、 自分の視点をアップデートできる新たな情報や学びの機会を通じて、 一人ひとりの一歩を応援できるコミュニティを目指しています。入会できるタイミングは、毎月1日と15日の2回です。詳しくは以下をご覧ください。

書いた人
もっちぁん
現場で働きつづける介護福祉士。特別養護老人ホーム勤務(グループリーダー)、他に介護支援専門員と社会福祉士を名乗れる。

※おとぎ塾では、『支援困難事例と向き合う』(中央法規)に掲載された18事例を元に、オンラインコミュニティ“かいスペ”の有志メンバーが意見を出し合う検討会を開催。本記事はその様子をレポートしています。

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