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お前は俺の息子ではない!

私と夫(佐藤剛)は、夫が肝臓がん末期が判明し、夫の実家で義父母と暮らすことになりました。

義父(佐藤正美)は夫が幼少の頃から何人もの愛人と暮らしており、義母(佐藤美代子)は妻子ある男性と駆け落ち結婚を繰り返し、4回目に佐藤正美と結婚しました。平成7年、義父が75歳、義母が70歳の時でした。

義父母は新婚ほやほやで、義母(佐藤美代子)が義父(佐藤正美)に、「新築の家が欲しい」とおねだりして、義父は(株)クボタハウスで大邸宅を建てました。義母は私に「お父さんが私のために立派な家を建ててくれたんよ」と自慢していました。

夫は、新築する前の古い家でも充分に住めたのに・・・と、言っていましたが、義母からすると、義父・正美が愛人と住んでいた古い家が嫌だったのでしょうね。

平成7年に建てた4千万円の大邸宅は佐藤正美の名義で建てましたが、義父母は高齢のため住宅ローンが通らず、ローン名義は佐藤剛(私の夫、佐藤正美の息子)になっていました。当時、夫(佐藤剛)は大阪に住んでおり、この大邸宅は義父母だけで暮らす家でした。

この時から、夫は、毎月家のローン代金15万円の義父母が暮らす家の借金を背負うことになったのです。
大阪で仕事をしながら、やっとのことで義父母の家のローンを支払い、退職してからも年金が全て家のローン返済に消えていき、私が夫を養ってきました。

そして、夫は肝臓がん末期になり、入退院を繰り返し、家のローンも払えなくなりました。

令和2年8月28日、とても暑い日でした。この2ヶ月後に、夫は肝臓末期がんで亡くなりました。

義父母は朝から、いそいそと、2人でタクシーに乗って出かけて行きました。カラオケや病院に行くのならば、私に車を出してと頼むのですが、どこへ行くのか不思議でした。

帰って来るなり、2階にどやどやと上がり、
市役所でもらってきた書類を夫(佐藤剛・佐藤正美の息子)につきつけて、
「お前は俺の息子ではない。これが証明書類だ」と激怒したのです。

夫は肝臓がん末期で弱り切っており、ベットから立てない状態でした。

何故、義父母は、息子(夫)に、お前は俺の息子ではないと言うのでしょうか。

先日、義父母の会話が、私達夫婦が居候する2階の6畳の部屋に聞こえてきました。
「剛が死んだら、私達に、家のローンがかかってくるから、親子の縁が無いという事にしないと、大変になる」

つまり、夫と親子では無いと言う証明をしておかないと、夫(剛・義父母の息子)の家のローンが義父母にふりかかってくる訳です。
義父母の自分たちが家を建てて長年住んで、息子の剛(夫)が家のローンを支払っていたのに、「ありがとう」の言葉も無く、ローンの返済が義父母たちに回ってくると感じ、

「お前は俺の息子ではない!」・・・親子の縁を切っていく。

言いたい放題言った挙げ句に、義父母は、市役所の親子ではないという証明書類を床に投げつけ、2階から降りていきました。

夫は、この親子では無いという証明書類を自分のノートにそっと挟んでいました。
夫は何も言わず、私は涙があふれました。
もう、私達がじっと我慢して暮らす、この狭い6畳の部屋が夏の暑さで燃え上がっていました。

浅はか、縁切りをするための義父母の行動、住民票では縁切り証明にもならず、誰がこの住民票を取得したかは市役所の依頼書類に残ることを義父母は知らないのでしょう。

・嫁のしつけ方:縁を切るには住民票の紋所が見えぬかと息巻くこと、ただし、住民票は縁切りの役には立たないことを知らないふりをすること。

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