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結婚指輪を無くしてしまった。

無い。
どこを探しても、私の結婚指輪が無い。

何度もジュエリーボックスを開ける。
確かに一昨日 外出した際には付けていたはずで、その時一緒に付けていたオニキスの指輪は、きちんとジュエリーボックスの定位置に収まっていた。その左隣のスペースは、からっぽのままになっている。

これはまずいと思い、机周辺の床を這いつくばったが、無い。かばんの中も 机の中も 探したけれど見つからないのだ。
まだまだ探す気ですか?と陽水さんに聞かれても、これ以上探す場所など思い当たらない。私は、この机の前でしか指輪を外さないからだ。
机周辺に無いなら、もうお手上げ。だから、探すのは諦めることにした。
もう探さない。

結婚して18年かぁ。
ぶっちゃけ、安物の指輪だった。
一緒にショップに見に行ったわけでもなく、ただ旦那が自分で勝手に行って、買ってきて、ポンとくれた。私はその店がどこなのかも知らない。どっかのイオンの中のどっかの店だということと、決して高くない、とても安価なものだということしか。


私はろくなプロポーズもされていない。
旦那の父親があまりにせっつくので、しゃーねぇ籍でも入れてやるかというものすごく軽いノリで結婚した。そして、旦那の父親があまりにせっつくので、しゃーねぇ行ってやるかという ものすごく適当なノリで新婚旅行に行き、更に旦那の父親があまりに(略)で、しゃーねぇ撮ってやるかと結婚写真を撮った。ちなみに、旦那の父親が張り切りすぎて帝国ホテルをブックしようとした結婚式は、しゃーねぇと妥協せずにきちんと断った。ガン拒否である。結婚式は要らない。理由はめんどくさいし、恥ずかしいから。


そんな感じで、結婚にまつわるいろんなものが、要らなかった。式もドレスも要らないし、本当は写真も要らなかった。18年も経っているのに、全然見返していないし。
指輪も、形だけのもので良かったのだ。だから、あのイオンのどっかで買ったという指輪で十分満足していた。逆に、あの指輪ひとつだけで、私の結婚の儀式は全て終わっていたと言っていい。
店も値段も、どうでもよかった。
ただひたすら、嬉しかったことをよく覚えている。

その指輪を、無くした。

私はモノに執着しないほうだと思っていたのだけれど、どうやらこの指輪には、自分が考えていたよりも かなりの思い入れがあったようだ。
無くしてしまって、いま途方に暮れている。
もうあれを左手に嵌めることはないのかと思うと、なんだかとても悲しい。
「Uの字にへこんでいる方が下側にくるように嵌めると、指が華奢に見えるらしいよ」
店員に教わったのだろう、そう言ってあの指輪をくれた旦那の言葉を、思い出す。いや、誇張ではなく、嵌めるたびに毎回思い出していた。

決めた。来月、新しい指輪を買う。
どっかのイオンに行って、どっかの店に入って、適当な安物を、適当に買ってこようと思う。それを私の結婚指輪(改)として、今後身に着けようと思う。それが私らしいと思うから。
佐野イオンがいいかな。多分、旦那は小山のイオンで買ったんだろう。近いから。今日旦那が帰ってきたら、アレをどこで買ったのか聞いてみよう。
覚えていない可能性が大きいけれども。

ただ、そうやってきちんと心に決めてしまえば、同じように大切にしていけるはずだ。モノに価値を与えるのは自分なのだということが、よく分かった。大切なものだからこそ、迷ったり悔やんだりも するのだろうけど、そればかりしていても毎日暗くなっちゃうからね。悲しむのは少ない方がいいよ。1日でいい。明日から指輪を探す楽しみが増えた。
私には何の才能もないと自負しているけど、こと諦めるということに関してだけは、つくづく天才的だと思っている。これも才能か。
諦めがプラスに働くことだって沢山あるのだ。

ホントはひょっこり出てきてくれれば、お金も浮くから助かるんだけどね。

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